■生きる覚悟
【お題】キスの詰め合わせ(by 恋したくなるお題さま)/01 始まりの合図のキス
「え…?」
アシュヴィンの放った一言に、千尋は意味がわからないといった顔で僅かに首を傾げた。
実際は理解しているのだろう、その愛らしい顔は暗がりの中でもはっきりと分かるほどに蒼褪めている。
岩砦での籠城はすでに限界に達していた。
残された道は自決か降伏か。
降伏したとしてもアシュヴィンとその妃である千尋には確実に処刑が待っているだろう。
そんな形で彼女の命を散らすのは、アシュヴィンにとっては耐え難いことだった。
「── 早く行け。お前はお前の生まれた国へ帰って、光の下で生き延びろ」
彼女に一縷の望みを託し、彼女の背後──黄泉比良坂の方向を指差した。
「アシュヴィン……」
千尋は彼の指し示す方向をゆっくりと振り返り、再びゆっくりと身体を戻す。
アシュヴィンは息を飲んだ。
さっきまで蒼褪めていた彼女の頬はうっすらと薔薇色に染まり、青空を写し取ったような瞳には蒼い炎が揺らめいているように見えたのだ。
凛として自分を見つめてくる彼女は壮絶に美しかった。
「………行くわ」
ようやく心を決めてくれたか、とアシュヴィンはこっそり安堵の息を吐いた。
しかし。
「─── あなたと一緒に」
「っ!
何を馬鹿な……頼むから聞き分けてくれ!」
「馬鹿なことを言ってるのはアシュヴィンの方だわ」
千尋は静かに歩を進めると、アシュヴィンの真正面で立ち止まった。
彼の半身を覆っていたマントの胸の辺りをきゅっと握り締め、射抜くような目で彼を見上げてくる。
「黒雷アシュヴィンは、そんなに簡単に約束を破るような人だったの?」
「っ……」
「私はあなたの妃なんだよ?
何があってもあなたと一緒にいたい──
私の気持ちを無視しないで」
「……砦に戻っても、待っているのは死だけだとしても、か?」
現実を思い知らせるため、わざと直接的な言葉を選ぶ。
すると、千尋はくすっと楽しそうに笑った。
「死なないわ、私たちは強いもの」
── 降参だ。
あれこれ思い悩み、彼女を国へ返そうとここへ来るまでに、身を引きちぎられるような思いを固い決意で無理矢理封じ込めてきたというのに。
アシュヴィンはずっと肩に籠もっていた力がすっと抜けた気がしていた。
どうやら彼女の発する言霊には相当な効力があるらしい。
間近にある彼女の細い身体を、自分の腕でふわりと包み込んだ。
彼女は一瞬身を硬くしたものの、すぐに力を抜いて身体を委ねてくれたことがやけに嬉しい。
「お前がそう言うと、何とかなりそうな気がしてくるから不思議なものだな」
「『何とかなりそう』じゃなくて『何とかする』んだよ──
私たち二人でね」
絶体絶命の闇の中、彼女が笑えばそこに光が見えた。
「ふ……はははっ」
「あ、アシュヴィン…?」
こみ上げてくる笑いを抑えきれずに声を上げると、腕の中におとなしく収まっている千尋が怪訝な顔で見上げた。
笑いと同時にこみ上げてきたもの──
彼女への想いも抑えられず、彼女を囲う腕に力が籠もる。
急に引き寄せられて驚いた彼女が声を上げる前に、アシュヴィンは彼女の柔らかな唇に口付けていた。
触れた唇は彼の想いを表すように熱を持ち、彼女からは生き抜くための力が流れ込んでくるような気すらしていた。
名残を惜しみつつ唇を離し、彼女の顔を覗き込む。
その蒼い瞳に静かな炎を宿していた美しい戦女神は、顔を耳まで真っ赤に染めて目を潤ませている愛らしい少女に変わっていた。
「続きは全てに片を付けてから、だな」
意地悪く口の端を上げてニヤリと笑う。
千尋の顔がぼふん、と音を立てて湯気を上げた。
こんな可愛い奥方との未来をやすやすと手放してたまるものか。
とはいえこれからどうしたものか、と思案しつつ、彼女の頬を愛おしげにそっと一撫でしてマントを翻す。
「── っ !?」
振り返ると、ここまで乗ってきた黒麒麟の隣にいつの間にか白い麒麟が静かに佇んでいた。
「…どうしてここに…?」
「フ……そいつもお前の覚悟に付き合う気なんだろう」
「そっか……」
千尋がありがとう、と呟きながら鼻面を撫でてやると、白麒麟は返事をするようにフォウ、と鳴いた。
「── 行くぞ」
「ええ!」
アシュヴィンが鋭く声をかければ、再び戦女神の顔に戻った千尋が躊躇なく応えた。
二人が背にまたがると、二騎の麒麟は地を蹴り闇の深い夜空へと駆け上がっていく。
そして、二人の『生きる』ための戦いが、今、始まった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
このイベントを見た時に妄想したことを文章にしてみました。
だって、これから二人、死地に戻ろうという覚悟をしたんだから、
冥土の土産にチューくらいしとけよ、って思いません?
……なんかこの話のアシュ、煩悩に突き動かされてるって感じもするなぁ…。
そして、『俺が大切にお育てしてきた姫に、なんという狼藉をっ!』と憤る白麒麟を、
まぁまぁ、と宥めている黒麒麟がいれば最高に幸せです(笑)
【2008/08/19 up】