■アシュヴィンの将来設計
集まった人々の熱狂ぶりとは逆に、虚ろな思いを抱えたまま淡々と執り行われた結婚式。
やり場のない思いを胸に、千尋は天鳥船の堅庭で風に吹かれていた。
兵力を集めるための手段としての婚姻。
平和な異世界で、いつかは自分も、と思い描いていた幸せな結婚とはまるで違う。
千尋には心のない結婚にどうしても意味を見出せなかった。
それでも。
国のためになるのなら──
自分の思いを殺してでも、成すべきことを成す。
そう自分を諭してみるが、政略結婚したところで何をどうすればいいのかは、まったくの闇の中だった。
カッ……
石畳を踵が擦る微かな音。
一瞬強く吹きつけた風に、バサリと厚手の布地がはためく音がした。
ゆっくりと振り返れば、そこにはついさっき千尋の夫となった男が口元に淡い微笑を湛え、風にマントをなびかせ静かに佇んでいた。
「アシュヴィン……」
悪い男ではない。
自国を救うという目的があるとはいえ、自分の父親である皇を裏切ってまで仲間になってくれたのだから。
しかし、夫として見ることができるか、といえば、今の千尋に答えることはできなかった。
隣に並んだアシュヴィンが遙か彼方を見つめながら、結婚の噂が常世の国にも広まり始めている、と告げるのを、千尋は心ここにあらずの状態でぼんやりと聞いていた。
「── 考え事は、まだ終わらないか…?」
思ってもいなかった問いかけに、千尋ははっと顔を上げる。
そこには、横から見下ろしてくるアシュヴィンの穏やかな眼差しがあった。
「昼間からずっとその顔だ──
不満でもあるのなら、聞いてやらなくもないが?」
ニッと口の端を上げ、不敵な笑みを浮かべるアシュヴィン。
「不満というか……ただ──」
言いよどんで、視線を外の景色へと移した。
もちろん、目的達成のための形だけの結婚に不満がないといえば嘘になる。
だが、そうすると決めたからには次のステップに進まなければ、自分の気持ちに目を背けてまで結婚した意味すらなくなるのだ。
「考えていたの、これからのこと……これから始まる戦いで、私が……私たちが何をすべきなのか…って」
「すべきこと、か──」
ふ、とアシュヴィンが息を吐く。
景色を見つめる千尋に彼の表情はわからないが、纏う空気が柔らかくなったような気がした。
「── それはこの場で挙げきれぬほどあるな」
「え…?」
再びアシュヴィンに視線を向ければ、彼は笑みを浮かべて星空を見上げていた。
五里霧中の千尋と違い、アシュヴィンの中にはいくつもの展望があるらしい。
さすが一国の皇子、先を見据える目を持っているのだろう──
頼もしい、と感じた。
「……たとえば…?」
「そうだな………」
アシュヴィンは空を見上げたまま、ふわりと腕を組んで考える仕草をすると、
「── まずは『世継ぎ』だろうな」
ナイスアイディア!とばかりにうんうんと頷いて、自分の案に悦に入っている。
「……………………………はい?」
「俺たちが子を成したとなれば、兵たちの士気は格段に上がる。
下手な小細工を弄するより、よほど効果的だろう」
「ちょ……あ…アシュヴィン?」
「できれば最初の子は皇子が好ましいが、たとえ姫だったとしても問題なかろう。
中つ国は代々女王が治めてきたのだしな、常世の国に女皇が立つのも悪くない」
「あ……あの………」
「いや待てよ、生まれるまで待つ時間の余裕はないか。
そうなると、一日でも早く懐妊の事実だけでも欲しいものだな──」
「アシュヴィンっ!!」
叫んだ千尋はぜいぜいと肩で息をする。
突然声を荒げた意味に気づかないアシュヴィンは、そんな千尋を不思議そうに眺めながら、
「どうしたんだ、千尋?」
「どうしたもこうしたもないでしょっ!
そんなこと、勝手に決めないでよっ!」
握り締めた拳をぷるぷると震わせ、顔はよく熟れた林檎のように真っ赤に染まっている。
「何をそんなに怒ってるんだ?
……まあ、懐妊となればお前が将として軍を率いることができなくなるのが気に入らんのだろうが、そこはお前の仲間たちがどうとでもするさ」
「そうじゃなくてっ!」
「なんだ、戦に出られないくらいで、そこまで怒ることはないだろう?」
きょとんとした顔でコクンと首を傾げるアシュヴィンがちょっぴり可愛い、と迂闊にも思ってしまった千尋はそんな考えを振り払うようにぶんぶんと頭を振り。
彼のマントの胸元ををぐいっと引っ張って、
「あのね、この結婚は協力してくれる兵を集めるための、形だけの結婚なのっ!
なんでそういう方向に話が進むのっ!」
「なんで……って、俺たちが結婚したのは事実だろう?
常世の皇子と中つ国の二ノ姫の結びつきは強いと思わせる要素は多いに越したことはない」
きっぱりと言い放つアシュヴィン。
あまりにきっぱりすぎて、千尋は口をぽかんと開けたまま絶句した。
── この男は『結婚』だけでなく『妊娠・出産』まで戦に利用するのか…!?
「そういうことで───
頑張ろうな、千尋♪」
アシュヴィンは、ぽん、と千尋の肩に手を置くと、白い歯をキラリと光らせ、見事なまでに爽やかに笑って見せた。
── 『頑張ろう』って……何を?
「あ………あ………」
「ん?」
「アシュヴィンの馬鹿っ! エロ皇子っ!」
どんっ、と彼を突き飛ばし、真っ赤な顔の千尋はバタバタと走り去ってしまった。
アシュヴィンはよろめいた身体を立て直しつつ、彼女の後ろ姿を呆然と見送り──
「……生まれてくるのが姫だったら、千尋に似たお転婆娘になりそうだな……」
眉間に皺を寄せ、顎に手を当てて、むぅ、と唸り。
一目惚れした敵国の姫を思いがけず手中に収めることができて、小躍りしそうなほどにウキウキ気分の常世の皇子の妄想は膨らんでいく一方。
「……しかし、あいつに似ていれば──
さぞかし愛らしかろうな」
将来のビジョンがくっきりはっきり頭の中にあるのだろうアシュヴィンはそう呟くと、へにゃりと頬を緩ませた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
結婚式の後の堅庭でのイベントより。
選択肢総当りやってて、真ん中を選んだ時に降ってきたネタでございます。
あ゛あ゛あ゛……かっこいいアシュヴィンが書けない……
【2008/07/26 up/2008/08/06 拍手お礼より移動】