■アシュヴィンのらぶらぶ新婚生活2

 ここは常世の国、皇(ラージャ)の住まう根宮。
 今日も今日とて皇・アシュヴィンと皇后・千尋は大喧嘩の真っ最中であった。
 なぜか自分を怒らせるようなことをちょくちょくやらかすアシュヴィンにぷちキレた千尋は、アシュヴィンを部屋から閉め出し、扉の向こう側にいる彼を冷ややかに黙殺することに決めている。
 (まあ、翌日あたりにはうやむやになって、普通に会話をしてしまっているのだが)
 一度、真夜中に大声で彼女の名を呼ばわりながら扉を叩きまくる彼を一喝して以来、扉を引っかく情けない音が聞かれるようになった。
 今日もついさっきまでカリカリとその音が聞こえていたのを、千尋は一人寝には広すぎる寝台の上で布団を被ってうずくまり、聞こえないフリを決め込んでいた。
 布団にもぐりこんでいる間にいつしかうとうとしてしまっていたのか、ふと気づいた時には音はやんでいた。
 布団からカメのように頭を出し、ふぅ、と息をつく。
 どれくらい時間がたったのだろうか……しんと静まり返る部屋。
 コンコン。
 突如響いた控えめなノックの音に、千尋はぴくりと身体を震わせた。
 布団をきゅっと胸元で握り締め、こくりと唾を飲み込み、息を潜める。
「── あの、もうお休みになられましたか?」
 来訪者は彼女の夫だと思いきや、聞こえて来たのは別人の声。
「え……リブ…?  あ、ううん、まだ起きてるわ」
 布団を跳ね除け、寝台を飛び降りて扉へ駆け寄る。
 がっちりとかけた閂を外そうとしたところで、手を止めた。
「リブ、もしかして──」
「や、わたし一人です」
 千尋の聞きたいことをすぐに察して帰ってくる答え。 さすが皇の側近というべきか。
 確かに千尋は、アシュヴィンがリブに声をかけさせて扉を開けさせようとしているのだろうと疑っていたのだ。
「お茶を召し上がりませんか?  ご気分が落ち着かれると思います」
「……ありがとう、いただくね」
 閂を外して扉を開けると、リブの穏やかな笑顔が見えた。
「いつも陛下がご迷惑おかけしてすみません」
 心底すまなそうな顔で頭を下げるリブ。
「う、ううん、私こそごめんなさい。 リブにはいつも迷惑かけてるよね」
 千尋もペコリと頭を下げる。
 そう、千尋のいる部屋はアシュヴィンの部屋でもある。
 喧嘩のたびに部屋から締め出されたアシュヴィンはリブの私室に転がり込み、リブは自分の部屋から追いやられていたのである。
「や、わたしのことはお気になさらず。 さ、熱いうちに召し上がって、ゆっくりお休みください」
 リブが木製のワゴンを部屋に押し入れる。 載せられた茶器が揺れてカチャカチャと小さな音を立てた。
 仕える主がお茶にうるさいせいで、リブはお茶に関しての造詣が深い。
 千尋がアシュヴィンの妃になってからは彼女のお茶の好みもあっという間に把握して、その時の気分に合わせたお茶を絶妙なタイミングで差し出してくれるのだ。
 そんな心遣いがやけに嬉しい反面、側近として忙しい彼の手を煩わせているという申し訳なさが募ってくる。
「……本当にごめんなさい。 常世の国の復興でまだまだ大変なのに、こんなつまらないことでケンカばかりして……私、皇の妃として失格だよね」
 自分の不甲斐なさに目の奥がじんと熱くなってきて、鼻の奥がツンと痛くなってくる。
 千尋は慌てて目をしばたたいて、ぐずっと鼻をすすり上げた。
「や、そんなことは……あなたがこちらにいらしてから、この国は見違えるほど明るくなりました。 立派に妃としての務めを果たされておいでです。 ……この件に関して悪いのはアシュヴィン様ですから」
 さすがに主への苦言は気まずいのか、リブは後ろ頭をポリポリと掻きながら苦笑した。
「ふふっ……ありがとう、リブ」
 では、と一礼してから去っていくリブを見送って、千尋は扉をそっと閉め、少し躊躇ってから閂をかけた。

 閂に手をかけたまま、ふぅ、と大きな溜息ひとつ。
 その時──
「くはっ!」
 突然身体を襲った強烈な圧迫感。 肺にあった空気が一気に押し出されて、千尋は苦悶の息を吐く。
 息苦しさの中で千尋の目に入ってきたのは、身体に巻きつけられている見慣れた腕。
 千尋はいつの間にか部屋に入ってきていたアシュヴィンに、後ろからきつく抱きしめられていたのだ。
「…っ、放してっ…!」
「嫌だと言ったら?」
「…く…るしい……」
 ほんの少し腕の締め付けが緩んで、やっと息ができるようになった。 部屋中の空気を取り込まんばかりに大きな呼吸をする。
 それでもアシュヴィンの腕による拘束は、わずかな身じろぎもできぬほどに強い。
「……なんで、ここにいるの…?」
「ああ、黒麒麟で空を飛んで、窓から入った」
「っ! リブを利用したのね?  私の意識を窓から逸らさせるためにっ」
「そうだな、おかげでお前に気づかれず部屋に忍び込むことができた── だが、あいつは何も知らん。 今日みたいな日はここに茶を運んでくるのはわかっていたからな。 それに、ここは俺の部屋でもある。 俺がいて何が悪い?」
「……今、あなたと私がどういう状況にあるのか、わかってる?」
「ああ、お前は今、俺の腕の中だ」
「そうじゃなくてっ!  今、あなたと私はケンカの真っ最中でしょ!  なのに──」
「だからこうして来たんだが」
 アシュヴィンは千尋の背中の中ほどまで伸びた髪、その首筋辺りに鼻先を埋めた。
「……俺が悪かった……ごめん」
 吐息混じりの囁く声に、千尋の身体がピクンと硬直した。
 今がチャンスと言わんばかりにアシュヴィンは腕を解くと、くるりと千尋の身体を反転させて抱きしめ直した。
 鼻の頭がつくほどの至近距離で彼女の瞳を覗き込みながら、
「お前の顔も見ぬままの一人寝は寂しすぎて耐えられん」
 静かに囁きながら、そっと彼女に口付けを贈る。
 しばしの後、唇を離すと、千尋はぽふんと力なく彼の胸に顔を埋め。
「…………ずるいよ…」
 それからゆっくりと上げた彼女の顔は、耳まで真っ赤に染まり、瞳はうるうると潤んでいた。

 そして、手っ取り早く簡単に『お気に入りの表情』を見る方法を編み出したアシュヴィンは、その後千尋を怒らせるようなことは二度としなくなり、深夜の根宮に響く怪音も聞かれることはなくなったという。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 アシュヴィンのリベンジ(笑)

【2008/07/11 up/2008/07/26 拍手お礼より移動】