■アシュヴィンのらぶらぶ新婚生活
禍日神もいなくなり、すっかり平和になった豊葦原。
荒れ放題だった常世の国も緑の楽園という以前の姿を取り戻しつつある今日この頃。
カリカリカリカリカリカリカリカリ…………
ある夜、根宮のある一画を警備していたとある兵士が、奇妙な物音が聞こえてくるのに気がついた。
「なぁ……ここ、ネズミでもいるのか…?」
どっしりと威厳の漂う扉の両脇を固めている同僚に小さな声で尋ねてみる。
「あー、お前はここの警備は今日が初めてだから知らないのか」
少し年上の同僚は複雑な苦笑を浮かべる。
「あの音の原因はな──
皇(ラージャ)だよ」
「は?
皇って…………アシュヴィン陛下…?」
「他に誰がいるってんだよ。
それがな───」
少し前、かつての皇・獅子王スーリア亡き後、新たに皇となったアシュヴィン。
その妃である葦原千尋は中つ国の二ノ姫であり、二人の婚姻は政略結婚だったのだが実は相思相愛で、戦の終わった今では幸せな結婚生活を送っている。
……のだが。
ある日、アシュヴィンは不用意な一言で千尋を激怒させてしまった。
部屋に閉じこもって出てこない彼女に、アシュヴィンは扉越しに謝罪の言葉と愛の言葉
(臣下たちが聞いたら『この国は大丈夫なのか !?』と不安になるような激甘な言葉だったらしい)
を代わる代わる囁き続け、ついには千尋も根負けして謝罪を受け入れた。
戦の最中にも同じようなことがあったらしいのだが、アシュヴィンは性懲りもなくそんな痴話喧嘩を幾度か繰り返した。
「──しかし、どうして陛下はお妃様を怒らせるんだ?
いつもはあんなに仲睦まじいのに」
「そりゃあな、『男の征服欲』ってヤツだろ」
普通、『婚姻を結んだ』ということは『征服した』ということと同義であろう。
が、アシュヴィンの場合、怒り心頭の千尋を言葉巧みに懐柔して仲直りに持ち込む、ということにある種の快感を覚えてしまったらしい。
頑なだった千尋の態度が自分の囁く言葉で徐々に和らいでいき、そのうち扉が細く開いて、少し涙目になった彼女の真っ赤に染まった愛らしい顔が見える瞬間がなんともたまらないのだとか。
それでついつい彼女を怒らせるようなことをしてしまうのだ、というのがもっぱらの噂である。
「── が、それとこの奇妙な音がどう関係するんだよ?」
「まあ焦るなって。
それで、何度目かの喧嘩の時にな──」
何度も繰り返されれば千尋の堪忍袋の緒もいい加減ぷち切れた。
扉の向こうでどんな甘い言葉が囁かれようが一切耳を傾けず、何の反応も返さず、完璧に黙殺したのである。
いつもとは様子の違うことに焦ったアシュヴィンは、閉ざされた扉を力任せに拳で叩いた。
まさか中で彼女は倒れているのではないか。
そんな不安をぶつけるように扉を叩き続ける。
深夜の静まり返った根宮にガンガンガンッという激しい音が響き渡った。
「千尋っ!
扉を開けろ!
千尋っ !!」
物音に警備の兵たちが集まってくるが、そんなことにはお構いなしにアシュヴィンは彼女の名を呼び、扉を殴りつける。
と。
ごすっ!
「いっ……!」
勢いよく扉が開いて強かに額を打ちつけたアシュヴィンはたたらを踏んで後ろに下がり、じんじんと痛む額を押さえてうずくまる。
「何時だと思ってるのよっ!
そんなに扉を叩いたら近所迷惑でしょっ!
寝てる人のことも考えなさいよねっ!」
扉の隙間から顔を出した千尋はそれだけ捲くし立てると、顔を引っ込めバタンと扉を閉めた。
ガチッ、と閂をかける音がして、辺りは再びしんと静まり返り。
またいつもの喧嘩か、と呆れた兵士たちはそろりそろりと後ずさり、その場を去っていく。
ゆらり。
アシュヴィンが立ち上がり、扉に向かうと両の拳を振り上げた。
「──!」
兵たちが思わず足を止め、固唾を飲んだその時──
カリカリカリカリカリカリ…
拳は振り下ろされると同時に力なく開かれ、アシュヴィンはじゃれつく猫の如く扉の表面を爪でひっかき始めたのである。
「千尋ぉ〜、俺が悪かった、開けれくれよぉ」
黒雷アシュヴィンのなんとも情けない姿に、兵たちがその場にずっこけたのは言うまでもない。
「─── というわけで、あの音はついお妃様を怒らせてしまう皇の謝罪の音、なんだよ」
「へ……へぇ……」
皇のプライベートな居室に繋がる扉の前の警備を初めて任ぜられた兵士は、この国の行く末に一抹の不安を感じつつも、常世の国が平和になったことを痛烈に実感するのだった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
アシュ好きの方、ごめんよ(汗)
【2008/07/07 up】