■言 葉
遙かな時空を越えてこの現代世界にやって来た知盛は、ひょんなことからゲームクリエイターとして忙しい日々を過ごしていた。
知盛をこの世界に連れてきた望美は、慣れない世界での仕事に忙殺気味の知盛の身体を心配してはいたが、食欲が落ちるでもなく、げっそりと痩せこけるでもなく、
文句も言わず仕事に出かけていく知盛の世話を幸せそうにかいがいしく焼いていた。
とある日。
知盛の自宅マンションで夕食の準備をしていた望美は、鳴らされたチャイムに玄関まで出てきた。
「お帰りなさい。ご飯、食べるでしょ?」
知盛は玄関に入るなり手に持っていたブリーフケースをその場に落とすと、いきなり望美を抱きしめた。
「なっ! と、知盛っ !?」
望美の肩に顔を埋めていた知盛がおもむろに口を開く。
「望美…… 逢いたかった…」
耳元で囁く知盛の吐息が耳にかかり、望美はくすぐったさに背中に電気が走ったように感じた。
「はぁっ !? な、何言ってんのっ !?」
言葉とは裏腹に、望美の顔は真っ赤に染まっている。
しばらくの沈黙の後、再び知盛が囁く。
「もう、この手を… 離さない…」
「だからっ! もうっ、何言ってるのよっ !? ご飯早く食べちゃってよ! 片付かないでしょっ!」
身体をよじって知盛の手を振りほどくと、望美は足音高く奥へ入っていった。
途中、酔ったように足元がふらつかせると、自分で自分の履いているスリッパを踏みつけ、危うく転びそうになりながら。
その様子を玄関先で眺めながら、知盛はふっと小さく笑みを浮かべた。
翌日。
珍しく早く帰宅した知盛のために夕食を作っていた望美は、背後に迫る気配に思わず振り返った。
「うわっ、と、知盛っ !? 何やってんのよっ !?」
望美は手に握ったままになっていた包丁を慌ててまな板の上に置く。
それを合図に、知盛がぐいっと迫ってくると、望美の目を覗き込んだ。
「お前の瞳に… 俺が映っている……。俺の瞳には… 何が映っている……?」
「はぁ? そりゃあ… 私が映ってるんじゃないの? 目の前にいるんだから」
知盛は口の端を上げ、ニヤリと笑う。
「クッ…… 当然だ…… 俺の瞳には、お前以外映らないのだからな…」
「……………………… バッカじゃないの?」
望美は冷ややかにそう言い放つと、くるりと向きを変えて、再び包丁を握った。トントンとリズミカルな音が響き始める。
知盛はふむ、と唸ると、何事もなかったようにリビングへと姿を消した。
また翌日。
知盛の帰宅を待ちながらソファでうとうとしていた望美は、頬に触れる感触に目を覚ました。
「あ、知盛… お帰り、遅かったね」
柔らかく微笑む望美の頬を指先で撫でながら、知盛も口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「お前の寝顔は、まるで天使のようだ…」
「天使…?」
ぼんやりした望美の頭には『?』が浮かぶばかりだった。
そしてまた翌日。
帰宅した知盛は真っ赤な薔薇の花束を抱えていた。
「うわ〜、どうしたのこれ?」
「愛する女に花を贈るのに、理由がいるのか…?」
花束をすっと望美の胸元に押し付けると、知盛は玄関に望美を残して短い廊下を歩いていく。
「えっ、あ、あい…? そそそそそそれにしても、綺麗なバラねっ! いい香りだしっ!」
手の中の花のように真っ赤になった顔を花束に埋めるようにして、上目遣いに知盛を伺う望美。
足を止めて振り返った知盛はひどく真面目な顔つきだった。
「…… お前の美しさに比べれば、そんな花など色褪せて見えるさ…」
「なっ… !?」
再び歩き始めた知盛の背中を見つめながら、望美は花束を抱えたまま、空気が抜けたようにその場にへたり込んだ。
数日後。
ここ最近の知盛の様子に、望美は苛立っていた。
いつもなら知盛は望美を形容するのに、『刃のような』だの『炎のような』だの『獣のような』だの、よほど色気とはかけ離れた言葉を使う。
それがどうだ。
この数日、知盛は砂を吐くような甘いセリフを吐きつづけている。
もちろん望美も普通の女の子なのだから、そんな甘い言葉を囁かれたら嬉しいに決まっている。
だが、そんな言葉を聞くたびに、全身粟立つほどのくすぐったさと同時に、大きな違和感を感じるのだった。
「はっ、も、もしかして…… 他に好きな人ができたとか !?」
望美は頭に浮かんだ考えを振り払うように、頭をブンブンと振った。
知盛の気持ちが他の女に移ったとしたなら── そんな甘い言葉で取り繕うことはせずに、はっきりと『お前に飽きた』とでも言うだろう。
そういう男だ。
── それならなぜ?
望美は散らかりっぱなしの知盛の仕事机の上を苛立ち紛れに片付けていた。
いろんな書類や、参考資料の本などが所狭しとぶちまけられている。
「まったくもう、こんなんでよく仕事ができるわね」
散らかった書類をまとめながら、ぶつくさと文句が出てしまう。
ふいに、望美の指先にはじかれた一枚の紙片がひらりと床に落ちた。
「うわっ、落としちゃった」
慌てて拾い上げたその紙片に書かれた文字に目を走らせながら、望美は絶句した。
『社外秘 : 恋愛イベント萌えセリフ候補一覧表』
「何よ、これ…」
ずらりと並んだリストには、ここ最近知盛の口から出たセリフばかりが書き連ねてあった。
その横に、望美がとった反応なのか、○、△、×が書き込まれている。
「もしかして、私を実験台扱いしてたわけっ !?」
怒りのあまり手にした紙片を握りつぶしそうになるが、ぐっと思いとどまった。
そして、望美はいたずらを思いついた子供のようにニンマリと笑うと、その紙片をまとめた書類の束の一番後ろに重ね、机の上にそっと置いた。
その夜。
少し遅めの夕食を済ませ、ふたりソファに並んでテレビを眺めていた。
「ねぇ知盛」
「…ん?」
「今一番欲しいものって何?」
昼間見た一覧表によれば、この後のセリフは、『もちろん、君の愛さ』となっていたはずだ。
(さあ、どう返してくる?)
望美は知盛の顔をちらりと盗み見た。
知盛は不思議なモノを見るような目でしばらく望美を見た後、ふっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「…… さあな」
「ちょ…… なによそれっ! ちゃんと言ってよ!」
知盛はクッションを投げつけようと振り上げた望美の腕を掴むと、そのクッションを奪い取り、興味なさげに横に放り投げた。
あっけなく攻撃を妨害され、望美は悔しそうに唇を噛みしめた。
「愛などという空ろな言葉に何の意味がある?」
「え…」
知盛は口の端を少し上げて笑う。
「見たんだろう…? あの紙切れを…」
知盛が『愛』なんて言葉を口にする人ではなことはわかっていた。返ってきたとしても作られたセリフだとわかっていた。
それでも少し期待していただけに、それが聞けなかったことがこんなに寂しいなんて──。
聞くんじゃなかった、と望美は後悔していた。
からかってやろうと振った話題だったはずなのに、今ではすっかり逆転されているのが望美には悔しかった。
知盛は掴んでいた望美の腕を放すと、その手で望美の顎を軽くつまんだ。
必要以上に近づいてくる知盛の端正な顔に、思わず望美の喉が小さく鳴る。
「… 俺のすべてはお前のもの…、お前のすべては俺のもの──。それ以上に何が要る…?」
ゆったりと響く知盛の低音が望美の身体に染み渡った。
それは作られたセリフではなく、知盛自身の言葉だ。
「知盛…っ!」
望美は思わず知盛の胸にしがみついた。
嬉しくて零れそうな涙を見られるのがちょっと恥ずかしかったから。
望美は知盛の胸の鼓動を頬に感じながら、そっと髪を撫でてくれる知盛の手に気づいて、心から幸せを噛みしめていた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
『真実』続編みたいなもんです。
ラストは書き直すかもしれません(汗)
【2006/06/19 up】