■ねこのきもち 知盛

 この勝浦の夏も何度目になるのだろう。
 ── 今度こそあの運命を変えてみせる。
 そう意気込んで、私は将臣くんたちの泊まっている宿へと今日も向かう。

 宿に入ると、手水場で顔を洗っている将臣くんを見つけて声をかけた。
「おはよう! 今日もよろしく!」
「おう望美。熊野川がなんとかなんねぇと俺たちも身動き取れねぇからな、大歓迎だぜ」
 手ぬぐいで顔を拭きながらからからと笑う将臣くんの笑顔に、私はちょっぴり罪の意識を感じる。
 だって、怨霊退治にかこつけて、ここに足しげく通ってくるのも───。
「すぐにも出発したいとこだが、知盛のヤツ、まだ寝てんだよな」
 私の考えを見透かしたように、将臣くんが呟く。
 心臓がドキリと跳ねたことを顔に出さないようにして、私は微笑んだ。
「じゃあ、私が起こしてくるよ」
「そうか? じゃあ頼んだぜ」
 私は将臣くんをその場に残し、目的の部屋へ向かった。

 部屋までやって来ると、引き戸が開け広げられたままの部屋の中を覗き込む。
「知盛〜、今日も出かけ──」
 私は言葉を失った。
 部屋の奥の床の上に、薄い衣を身体にかけた知盛が寝息を立てていた。
 横向きに横たえた身体を少し丸め、穏やかな顔で眠っている。
 年上の男の人にこんなこと言うのもなんだけど──。
「なんか可愛い…… ネコみたい」
 人のことなんか考えないマイペースなところなんか特に。
 私は眠っている知盛のそばに近づくと、そっと膝をついた。
 普段は鋭い刃物のような目か、何かを含んだ意地悪そうな目しか見せないくせに、眠っている時はこんなに穏やかで優しい顔になるんだ。
 いつもそういう顔してればいいのに。
 なんだか意地悪してやりたくなって、頬でもつついてやろうと手を伸ばした。
 その時、不意に開いた知盛の目とぶつかった。
「うわっ、お、起きてたのっ !?」
 バクバクの心臓を伸ばしかけた手で慌てて押さえ、危うく後ろに転げそうになって尻もちをついてしまった。
「クッ…、人の寝込みを襲うとは…、悪趣味な神子殿だ……」
「だ、誰があんたなんか襲うのよっ !? 返り討ちされるでしょうがっ!」
 知盛はふっと小さく笑うと、再び目を閉じた。
「ちょ、ちょっと、二度寝しないでよ! 出かけるんだから、さっさと仕度してよね!」
 私はそう言い残して足音高く部屋を出た。
 それからしばらくの後、やっと仕度を済ませた知盛と将臣くんと3人で怨霊退治に出かけ、一日中熊野を歩き回り──、何の成果も得られずにそれぞれの宿へ戻った。

 最近の私の寝起きはすこぶる良い。
 朔や譲くんに起こされなくても、ちゃんと起きられる。
 それは、少しでも長い時間、一緒にいたいから。
 今日もすっきりと浮上した意識を楽しむように、まだ寝転がって目をつむったままうーんと背伸びをする。
 そのままころりと転がって、今日一日に思いを馳せるのも楽しい。
 さて、顔洗って、ご飯食べて、出発しなきゃ。
 私は手の甲をペロリと舐めると、その手で顔をこすった。
 …… え?
 私の目がパチッと開かれる。
 そこに見えたのは、白い手と白い身体と白い足、うねうねと波打つ白くて長い尻尾。
 何っ !?
 私は近くにあった池まで走ると、水面に自分の姿を映してみた。
 もちろんそこに映っていたのは、いつもの私の顔ではなく──。
 水面から顔を上げて辺りをぐるりと見回すと、そこは見慣れた場所だった。
 ── 私は目覚めると、全身真っ白なネコの姿で知盛たちが泊まっている宿の中庭にいたのだ。

 私、これからどうなるの !?
 いきなり『あなたは龍神の神子』と言われるのと、いきなりネコの姿になるのとでは訳が違う。
 私は心細いやら情けないやらで、声を上げて泣いていた。
 もちろん、その声は人のものではなく、『にゃーにゃー』としか響かない。
 ますます情けなさが募ってくる。
 ひとしきり泣いていると、目の前の部屋の引き戸がザッと音を立てて開いた。
 私は泣くことも忘れて、現れた人影に目を凝らす。
「…… 猫か」
 半分眠りの中にいるようなぼんやりした目の知盛がそう呟くと、パシンと戸を閉じた。
 にゃー、と鳴くのはネコ以外にないでしょうがっ! … いや、そうじゃなくて!
「にゃ……、にゃにゃにゃにゃっにゃーっ !!(ちょ……、ちょっと待ってーっ !!)」
 私は思わず、たった今知盛が姿を見せた部屋の前の縁側まで駆け寄ると、その上にひょいと飛び乗った。
「にゃにゃにゃ、にゃにゃにゃーっ! にゃにゃにゃにゃんにゃっにゃにゃーっ!(お願い、開けてーっ! 私なんだってばーっ!)」
 戸に向かって声を振り絞る。
 何とかして私だってこと、気づいてもらわなくちゃ!
 ネコ語しか出てこないこの口が忌々しい。
 けれど、私が『春日望美』だということに仮に知盛が気づいたとして──、どうにかなるのだろうか。
 軽い絶望に浸っていると、再び戸が開いた。
 私は首を思い切り反らして、遙か高いところにある知盛の顔を見つめた。
 きっと目がうるうるしているに違いない。
「…… 来るか…?」
 私を見下ろしながら、知盛がぽつりと呟いた。
「にゃ……?」
 …… 人もネコも同じ扱い?
 突然の雨をしのぐために駆け込んだ木の下で出会った時と同じような誘い方に、少しカチンとくる。
 けれどこのまま締め出されて路頭に迷うのはまっぴらだ。
 知盛がすっと足をずらして開けてくれたスペースから、私は部屋の中へするりと滑り込んだ。

 部屋の奥の寝床の上にゴロリと横になった知盛は、横向きに腕を枕にして静かに目を閉じた。
 もう! 人の一大事だっていうのに!
 やっぱり私だってこと気づいてもらって、元に戻る方法見つけてもらわなくちゃ!
 私は知盛の前まで行ってちょこんと座ると、その頬に手を伸ばした。
 ぺた。
 手のひらの肉球が頬に触れた瞬間、知盛は一瞬驚いたような顔で目を開くと、すっとその目を細めた。
「お前も… 俺の寝込みを襲うのか…?」
 がばっと身体を起こすと、私の身体を両手で掴んで顔の高さまで持ち上げる。
「クッ…… やはり雌か…」
 ちょ、ちょっと何見てるのよっ !?
 本当の自分の身体を見られたわけじゃないのに、こんなにも恥ずかしくて屈辱的だなんてっ!
 私は思わず身体を捻って、知盛の手から逃れた。
 逃れる時にネコの本能で飛び出した爪が知盛の腕を浅く抉る。
「……っ」
「にゃっ、にゃにゃんっ!(あっ、ごめん!)」
 私は着地した身体を翻して知盛に駆け寄り、傷を舐めた。
「クッ…、心配してくれるか……。案ずるな、たいしたことはない…」
 そう言って、顎の下を指先で軽くなでてくれる知盛の目は、とても優しかった。
 …… なんか知盛がとっても素直なんですけど…。

 なでられているうちに、だんだん眠気が襲ってきた。
「おっ、珍しいな、ネコか?」
 まどろみに引きずり込まれそうな意識の中で、遠くに将臣くんの声が聞こえた。
「人懐っこいな、どっかの飼いネコか?」
「さあな」
「入り込んで来たのか?」
「いや…、俺が招き入れた」
「へぇ…、なんでまた」
「神子殿に似ていた…、とでも言っておくか…」
 ギクリ。
 一瞬にして眠気が覚める。
「はぁ? このネコが?」
「…… やかましく鳴いて、俺の眠りを妨げた…」
「… ぷっ、はははっ、ネコにまで起こされたのか。ま、明日からはちゃんと早起きするんだな」
 …… そういうことか…。
 ちょっと残念。
 気が抜けたせいか、私は再び眠りの中に引きずり込まれていった。

 そして、次に目を覚ますと、いつもの宿のいつもの寝床の上で、いつもの身体の私だった。
「はあぁぁぁぁぁ…」
 知らず深いため息がこぼれた。
 夢、だったのだろうか?
 ともかく、人間に戻れてほっとしたような、ネコの姿でもう少し素直な知盛を見ていたかったような…。
 でも、案外知盛はネコの中の『私』に気づいてくれていたんじゃないか──、そんな気もする。
 いつか、ネコだけじゃなくて、本当の私にも優しい目を向けてくれるよね。
 そのためにも、私はこの先の運命を変えてみせる、絶対に。
 誓いを新たにした私は、うーんと背伸びをひとつ、出かける仕度をするべく、寝床から立ち上がった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 … こんな名前のペット雑誌がありますね(汗)
 テーマは『どんなにいかついヤツも、小動物の前では無力なのさ』(笑)
 平家はネコ飼ってたそうなので、きっとみんなネコ好きなんじゃないかと。
 知盛はどう見てもネコ科だし。
 リニューアル作業しながらそんなことを考えていたら生まれたお話でございます。
 ファンタジーファンタジーっと。

【2006/06/12 up】