■風の中の花 【Side T】 知盛

 …… 妙な女だ。
 夕立ちを避けて木陰で雨宿りしてみれば、俺を見て泣く女がいた。
 俺の名を知り、恐れることも、媚びることもない。
 同行しているのが還内府殿だということも、熊野別当の元へ向かおうとしていることも知っている。
 その上、自分は源氏に与する白龍の神子だと宣言した。
 俺を射抜くような、まっすぐな眼で見つめながら。
 その中に、死人に思いを馳せるような、哀しげな色を映して───

 熊野川を氾濫させる怨霊とやらを追う途中、俺たちは潮岬へと立ち寄った。
 途中、経正からの書状が届き、還内府殿が返事を参らせる間、俺は静かな場所での一休みを決め込んだ。
 だいたい、なぜ俺がたたき起こされてまで怨霊退治に付き合わねばならん。
 俺は岬の突端の草むらにゴロリと横になり、空を見上げた。
 そこに見えたのは、あの女の眼。
 あの女にならば、射抜かれて── いや、あいつの得物は細身の両刃の剣だったな── 斬られて血の花を散らすのも悪くない──
 ふと頭を過ぎった思いに、自嘲の笑みを浮かべつつ、俺は目を閉じた。

「もう、知盛ったらどこ行っちゃったの?」
 神子殿のご到着か。
 上がった息を整えるため、深呼吸するのが聞こえる。
「えーっと… 知盛は─── あ、いた……… もしかして、昼寝?」
 忍び足で近づいて、一体何をするつもりだ?
 寝首を掻くか、心臓を一突きか…
 陽が遮られたかと思うと、ふわりと仄かな香の香りが鼻をくすぐった。
 どうやら神子殿は、俺の横にひざまずいたらしい。
 ここで俺が目を開ければ、神子殿は目を丸くして驚くのだろうな。
 殺気を放っているわけでもなし、ここはこのまま狸寝入りでもしておくか。
「知盛の寝顔って、意外と………」
 ……… ?
 最後まで言え、最後まで。
 どうせ、俺らしくない、などと思っているのだろう。

「あ、そうだ」
 小さく呟くと、神子殿は立ち上がる。
 射していた影が取り払われ、陽の光が瞼を通しても眩しく感じた。
 気配が遠ざかるのを見計らって薄く目を開いて見れば、神子殿は野の花摘みに興じていらっしゃる。
 ── まったく呑気な神子殿だ。
 敵方の将が無防備に寝姿をさらしているというのに、愚かなのか、余裕があるのか。
 いや、これも策略……?
 そうならば… たいした女だ。
 聞いたこともない歌を楽しげに口ずさみながら、神子殿の手元の花はつながれて長さを増していく。
 立ち上がる気配に、俺は目を閉じ、再び狸寝入りに舞い戻った。

 再び瞼に影が落ち、優しい香りに包まれる。
 と同時に、草の青々とした匂いが鼻をついた。
 何をするつもりだ…?
 その時、首筋に冷たい感触が生まれた。
 やはり、この状況で首を取らずにはおられまい。
 我知らず、小さく身構えた。
 すぐに冷たい感触は消え、身じろぎもせず息をひそめる神子殿の緊張した雰囲気が伝わってくる。
 寝首を掻くつもりではないのか?
 がっかりさせてくれるなよ、これでお前と剣を交える口実ができたと思っていたのに。
 まあいい、もうしばらく呑気な神子殿に付き合ってやるか。

 大きな息と共に、再び神子殿が動き出す。
「できたっと」
 吹いてきた一陣の風に、胸元から草の香りが匂い立つ。
 花の首飾り、か。
 ますます妙な女だな。
 さっきは怨霊相手に鋭い眼光で剣を振るっていたというのに。
 それが、今は寝ている敵将の首に花の環をかけて悦に入っている。
 一体、何を考えている?
 その時、小さく押し殺した嗚咽が耳に入った。
 ゆっくりと目を開けてみれば、神子殿はぎゅっと目を瞑り、涙を零していた。
 何を思い、泣く?
 それは、時折お前が俺に向ける、死人に思いを馳せる眼差しがそうさせるのか?
 俺は、無意識に手を伸ばし、気がついた時には神子殿の頬を伝う涙を指先で拭っていた。
「…… なぜ…… 泣いている…?」
 からかい半分に、俺は口の端を上げて笑みの形を作った。
 お前のことだ、虚勢を張って否定してくるのだろうな。
「なっ…、泣いてなんか……っ」
 クッ、まったく… 思った通りの反応だな。
「忍び足で近づいてくると思えば…… 花の首飾り、か…。クッ…、神子殿は、こんなもので敵の首を掻き斬れるとでもお思いか?」
 俺は花の環に親指を引っ掛け、少し持ち上げて見せた。
「そんなこと、思うわけないじゃない」
 そうだろうな……、そうでなければ、今頃俺の首にはお前の剣が突き刺さっているだろう。
 ならば、なぜ泣く?
 なぜそんな眼で俺を見る?
 憐れみとは違う、悲哀と執着の入り混じった眼で。
「ならば… 永遠の眠りにつく死者への手向けの花、か」
「そんな………っ!」
 神子殿は瞳を揺らす。
 本当にお前は不思議な女だ。
 傍らで涙を流すこの美しい女に、血のたぎるような戦場でその剣に貫かれ、命を散らす自分の姿を思い描く。
 背中が粟立つような興奮と共に、そうなるのが当然のような、妙な安息を感じた。
「… ごめん……… ごめんね………」
 しとどに零れ落ちる涙が、膝の上でギュッと握り締めた神子殿の拳を濡らす。
 馬鹿馬鹿しい……
 考えてみれば、俺はここに今、生きているじゃないか。
 どうせ、俺に似た面差しの男と死に別れでもしたのだろう。
「クッ… 俺は、神子殿に謝られるようなことは、されてないぜ…… 今はまだ、な」
 俺は口元をゆがめ、意地悪く笑ってやった。
 その言葉に、神子殿は再び嗚咽を漏らす。
 本当にお前は、俺の死を見てきたというのか?
 ここにいる俺ではない、別の俺の死を…?
 龍神の加護を受けた神子ならば、時を越えるということができてもおかしくないのかもしれない。
 不思議と俺は納得してしまっていた。

 ふいに神子殿が立ち上がろうとした。
 放っておけない… いや、このままこの女を手放したくない、という思いに、思わずその腕を掴み、引き寄せていた。
 よろめいて、俺の胸の上に落ちてくる神子殿を抱き止める。
 抱き止めた身体は思った以上に細く、軽い── こんな身体で、よく剣を振るう。
 この女は敵だ。
 一門の放った怨霊どもを消し去っている、厄介な存在だ。
 肩に置いた手を少しずらして、その細い首にあてがい、縊り殺してしまえば、一門の勝利への光明も見えてこよう。
 それができなかった。
 出会って間もない敵方の女に、愛おしさすら感じるとは。
 華奢な肩を掴んでいた手をゆっくりと滑らせ、神子殿の頭を包み込む。
 舞うように剣を振るうお前も美しいが、そうやって涙にくれるお前もまた美しい。
「… お前の美しい顔を涙で曇らせるのは、一体誰だ…? クッ、妬けるな…」
 お前に涙を流させる、俺の知らない俺に嫉妬するとは…… 滑稽だな。
「…俺を、楽しませてくれるんだろう…? お前のその清らかな光を放つ目と、その可愛い唇で……」
 神子殿の頭を引き寄せ、唇を重ねる。
 貪るような口づけに、我を忘れてのめりこんでいく。
 本当にお前は不思議な女だ。
 龍神の加護は、怨霊を浄化するだけでなく、血にまみれたこの手も、この心をも清めてくれるというのか。

 書状を書き終えたのだろう、遠くで還内府殿が俺たちを呼ぶ声が聞こえる。
 神子殿の身体を少し押し戻すと、唇が名残惜しそうに離れた。
「… 時間切れ、だな……」
 少し上気した顔に残る涙の跡もまた美しい。
「涙は拭いておけよ…… 幼なじみ殿に何かしたとなれば、還内府殿に斬りつけられかねんからな……
 …そうなれば、次の逢瀬を楽しめないだろう…?」
 そう言って、俺は立ち上がった。
 見下ろせば、神子殿はますます頬を染めている。
 クッ…、お前は一体いくつの顔を持っている?
 次は戦場で、燃えたぎる獣のような眼を見せてくれよ。

 俺は神子殿を残し、岬を降りた。
 …しかし、お前と共にならば…… 平穏も悪くない……
 そんな気にさせるほど、お前はいい女だぜ───。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 ごごごごめんなさいぃぃっ!
 チモFanの皆さまっ! ひらにご容赦をっ!!!
 またまたわけわかめなSSを書いてしまいましたっ!
 なんかチモがチモじゃないっ!
 違う時空のチモってことで、許してくださいーっ

【2005/10/11 up】