■風の中の花 【Side N】 知盛

「もう、知盛ったらどこ行っちゃったの?」
 私は潮岬の突端へと向かう小道を、息を切らし上がっていく。
 鬱蒼とした木々とステレオで迫ってくるセミの声がふいに遠ざかり、視界が開けると同時に青い空と潮の香りが押し寄せてくる。
 夏とはいえ、岬を吹きぬける潮風は気持ちよくて、私は大きく深呼吸した。
「えーっと… 知盛は─── あ、いた」
 開けた岬の先には、何の花だろうか、小さな白い花が一面に咲いている。
 その向こうに、所々見えている岩肌を避け、青々と茂る草むらに横たわっている知盛がいた。
「… もしかして、昼寝?」
 私は知盛を起こさないように、そっと忍び足で近づく。
 そばまで辿り着くと、物音を立てないよう注意してそっとひざまずいて、知盛の寝顔を覗き込んだ。
 端正な顔。
 静かに閉じられた眼。
 安らかな寝顔には、いつも感じる諸刃の剣のような危うい鋭さは見えない。
「知盛の寝顔って、意外と………」
 ふふっ、可愛いかも。
 いつもいつもあんなに尖がってないで、たまにはこんな優しい顔すればいいのに。

「あ、そうだ」
 私は思い付きを実現するため、知盛のそばを離れて花畑へ向かった。
 小さな花を摘み取り、繋いでいく。
 適当な長さになったところで、私は知盛の元に戻った。
 再び横にひざまずくと、繋いた花の端を知盛の首の後ろにそっと通す。
 当たらないように注意したつもりだったけれど、ほんの少し首筋に触れた瞬間、知盛が小さく身じろぎした。
 しまった! 起こしちゃった!?
 私はピタリと動きを止め、知盛の様子をそっと伺った。
 知盛の目は開かない── どうやら昼寝の邪魔はせずに済んだようだ。
 ほっとすると、私は思わず呼吸まで止めていたことに気付いて、大きく息をした。
 そして、今度こそ細心の注意を払って、知盛の胸元で花の環を閉じた。
「できたっと」
 知盛の胸元で、白い花が海風に吹かれて揺れている。
 風は私の髪をなびかせ、知盛の髪も揺らし、遮られることなくどこかへ吹き過ぎていく。

 ── こんな平穏なひとときすら、知盛は退屈に思うのだろうか。
 本当に、戦いの中で死に直面したときにしか、生きている実感を持てないのだろうか。
 知盛は、戦場で私と出会うことを願っている。
 戦場で、私と剣を交えることを望んでいる。
 穏やかな時を共に過ごすことは許されないのだろうか。
 どうして私は『源氏の神子』なんだろう。
 どうしてあなたは平家の将なんだろう。
 私はこれからの運命で、何人のあなたを死に追いやってしまうんだろう───

 そんなことを考えているうちに、だんだん泣きたくなってきた。
 小さな子供みたいに大きな声で泣けば、少しは気持ちも落ち着くのかもしれない。
 けれど、今は泣いちゃいけないような気がして、必死で我慢した。
 我慢したつもりだったけれど、涙は溢れてしまっていた。
 私はこれ以上涙を零さないように、ぎゅっと目を閉じた。
 堪えようとすればするほど、泣きたい気持ちが溢れてきて── ついに小さな嗚咽を漏らしてしまった。

 その時、頬にひんやりしたものが触れるのを感じ、私は目を開いた。
 それは知盛の手── 私の頬の涙を拭う、知盛の指先だった。
「…… なぜ…… 泣いている…?」
 不敵な笑みを浮かべ訊いてくる知盛。
「なっ…、泣いてなんか……っ」
「忍び足で近づいてくると思えば…… 花の首飾り、か…。クッ…、神子殿は、こんなもので敵の首を掻き斬れるとでもお思いか?」
 知盛は花の環に親指を引っ掛け、少し持ち上げて見せる。
「そんなこと、思うわけないじゃない」
「ならば… 永遠の眠りにつく死者への手向けの花、か」
「そんな………っ!」
 花の環を弄びながら空を眺める知盛の顔は、とても穏やかなものだった。
 その姿に、血飛沫の花を散らしながら壇ノ浦に沈んでいく知盛の姿が重なる。
 私は何度あなたと出会っても、あなたに剣を向けてしまうんだね。
 あなたと共に生きていきたいと、こんなにも願っているというのに。
「… ごめん……… ごめんね………」
 ぽろぽろと零れ落ちる涙が、膝の上でギュッと握り締めた拳の上を濡らす。
「クッ… 俺は、神子殿に謝られるようなことは、されてないぜ…… 今はまだ、な」
 知盛が意地悪くニヤリと笑った。
 私を困らせるための軽口が、私の胸に突き刺さる。
 再び嗚咽を漏らした私を、知盛は不思議そうに目を細めて眺めていた。
 これ以上、こんな姿を見られたくなくて、私はこの場を立ち去ることに決めた。
 立ち上がろうとした時、手首を掴まれ、ぐいっと引っ張られた。
 私はバランスを崩し─── 次の瞬間、知盛の胸に抱き止められていた。

 そうだ、やっぱり私はこの温もりを求めていたんだね。
 間近にある知盛の顔。
 初めて見る知盛の優しい眼差しから、私は目を離せなくなった。
 肩を掴んでいた知盛の手がゆっくりと上へ上がり、私の頭を両側から優しく包み込んだ。
「… お前の美しい顔を涙で曇らせるのは、一体誰だ…? クッ、妬けるな…」
 それは、知盛── あなただよ。
 別の時空で私と剣を斬り結び、海へと散った何人ものあなた。
「…俺を、楽しませてくれるんだろう…? お前のその清らかな光を放つ目と、その可愛い唇で……」
 ふいに私の頭を包む知盛の手に、ほんの少し力が込められたことに気付く。
 その力にいざなわれて、私の唇が知盛のそれに重なった。
 魂を吸い取られるようなキス。
 頭の中が真っ白になっていく。
 源氏とか平家とか、もうそんなのはどうだっていい。
 このままあなたと、こんな優しい時間を過ごしていければいいのに。

「… 時間切れ、だな……」
 私の身体を少し押し戻し、知盛が呟く。
 我に返った私の耳に、遠くで私たちの名前を呼ぶ将臣くんの声が、波の音に混じって聞こえてきた。
「涙は拭いておけよ…… 幼なじみ殿に何かしたとなれば、還内府殿に斬りつけられかねんからな……
 …そうなれば、次の逢瀬を楽しめないだろう…?」
 そう言って、知盛は気だるげに立ち上がると、いつもの皮肉な笑いを残し、岬を降りていった。
 知盛の姿が見えなくなると、私は大地を踏みしめるように立ち上がり、さっきまで知盛が眺めていた空を見上げた。
 そして、もう乾きかけた涙を着物の袖で拭い去った。

 取り残された私を勇気付けるかのように、潮風が優しくなぶる。
 そうだね…、死なせない── 死なせないよ、絶対。
 たとえそれが今のひと時を過ごしたあなたではないにしても。
 覚悟しておきなさい、知盛。
 私はあなたと共に、平穏で、優しい時間を過ごせる時空を手に入れてみせる。
 そのために、もう一度あなたと剣を交えることになったとしても。
 退屈だ、なんて言わせない─── だから、それまで、待っていて───。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 うわあぁぁぁぁぁっ、なんじゃこりゃあっ!?
 初チモSSでございますっ!
 激しくチモリがニセモノ臭いですが。
 あぁ、変な汗が流れてきた…
 暗いんだか、甘いんだか、エロいんだか……… わけわかめですな。
 いいのかあたし!? こんなもの人目にさらしてっ!?
 勢いだけで書いてしまいました(汗)
 というわけで、次はチモSIDEのお話に移ります。
 その過程で、少々修正入るかもしれませんが、ご了承の程を。

【2005/10/07 up】