■Cupid Puppy
九郎は心躍らせながら、京の小路を歩いていた。
目的地は六条櫛笥小路の梶原邸である。
── 剣の稽古をするのなら、相手がいたほうが上達も早いだろう。
そんな理由をこじつけて、六条堀川の自邸を出た。
着く頃は、いつも少女が剣の練習をする時間帯。「会いたいから会いに行こう」と素直に言えば可愛いものの、それができないのがこの男の不器用さなのだ。
そして、馬で駆ければすぐについてしまう距離を歩くのには理由があった。
途中に女性が好きそうな小物を扱う小さな店があるのだ。そこに立ち寄って、何か見繕っていこうと思っていた。
── いつも熱心に稽古をしているからな… まあ、褒美といったところか。
再び理由付けをする。
仲間の赤髪の少年のように、さらりと渡せばいいのに、この男にはそれができない。
が、「贈り物」という考えが浮かぶようになったのは、格段の成長ぶりと言っていいだろう。
目的の店に到着し、店主に協力を仰いで品物を選ぶ。代金を払って、包んでもらった品物を懐にしまうと、
それを渡した時の少女の喜ぶ顔を思い浮かべ、九郎は頬を緩ませた。
梶原邸近くまで来ると、九郎は緩んでいた顔を引き締めた。
門衛に軽く挨拶し、邸に通されると、主である景時との会話も早々に少女の姿を探す。
なぜ自分は少女のことをそんなに気にするのか。
話せば喧嘩になることもしばしばだし、取り立てて女らしいわけでもない。けれど、一緒にいれば安らげる。
その反面、得体の知れない不安に襲われる。その上、少女が自分のことをどのように見ているのか、知りたくて仕方がない。
そんな気持ちをひっくるめて、「好き」という言葉に置き換えられない九郎があまりに微笑ましくて、
景時たちも温かい目で見守っている、という状況だった。
九郎は庭を見回し、少女── 望美の姿を探した。
いつもなら剣を振る気合いの声が響いているはずなのに、今日はしんと静まり返っている。
庭に出て、いつも望美が剣を振っている木の傍まで行ってみた。枝に木切れを吊るした練習具が風に揺れている。
その時、塀際の茂みの方から、人の話し声が聞こえてきた。
「─── って言うんだよ、失礼しちゃうと思わない?」
間違いなく、望美の声だった。
「そういう時ってどういう気持ちなのかな? ね、キミ男の子なんだからさ、男としての意見聞かせてよ」
どうやら話相手は男のようだ。
── 一体誰なんだ… こんな茂みに隠れるようにして、望美と話をしているのは!
九郎の頭に赤髪の少年や、たまにしか姿を見せない望美の幼なじみの姿がよぎる。
もやもやと湧き起こる得体の知れない感情に肩を震わせる九郎。それが「嫉妬」であることに依然気付かぬのは本人だけである。
怒りにも似た気持ちに、思わず拳を握り締めた。
しかし、考えてみれば望美とは特別に何か約束した仲というわけではない。望美が他の誰と話していようと、それを自分が止める権利はないのだ。
そう思いなおし、その場を立ち去ろうとした時、再び声が聞こえてきた。
「ふーん…… でもね、すぐ怒るんだよ。え、そうなの? でもさ、自分も源氏の大将で大変なのにねぇ」
源氏の大将── すなわち九郎自身のことである。
話題に上がっているのはどうやら自分のことらしい。九郎はコクリと唾を呑み込んで、聞き耳を立ててしまった。
「そっか〜、私のこと心配してくれてたんだね。え、なぁに? うん、そうかな。すぐ怒るし、ぶっきらぼうだし、鈍感なんだよね
─── でも、いいところもたくさんあるんだよ。だから、九郎さんのこと、大好きなんだ」
九郎の体温が急上昇する。戦の前にも感じたことがないほど、心臓は激しく動悸を打っている。
頭の中で「大好き」という望美の声がこだましていた。
くらりと眩暈を感じた九郎は、よろめいて茂みに手を突っ込んでしまった。
枝がこすれあう音に驚いた望美が立ち上がる。
「だ、誰っ!? あれ、九郎さん?」
「あ、いや、そ、そのっ…… お、お前が剣の稽古をしていると思ってここまで来てみたら、その… そこでつまづいて…」
「転んじゃったの!? 大丈夫!? 怪我してない!?」
「いいいいいいや、こ、転んではいないっ!」
盗み聞きしていて倒れそうになった、とは口が裂けても言えない。口から出任せの言い訳に望美は本気で心配しているらしく、
九郎はなんとも心苦しかった。
「お、お前こそ、こんなところで何してるんだ!?」
体勢を立て直し、袖についた葉っぱを払い落として、望美へ目を向けると──
「あ、この子とお話してたんだ」
「くぅ〜ん」
「こいつは…」
望美の腕の中で、はっはっと小さな舌を出して、つぶらな瞳を輝かせているのは、金茶色の小さな子犬だった。
道理で望美の声しか聞こえなかったはずである。
「ふふっ、可愛いでしょ。庭に迷い込んでたの。あ、見て見て! たぶんこの子の名前だと思うんだけど…」
首に巻かれた布の端に、『クロ』と墨書きしてある。
「ね? キミ、クロちゃんっていうんだよね?」
望美に答えるように、子犬が「きゃん」と甲高い声で鳴いた。うれしそうに尻尾を振っている。
「やっぱり! ふふっ、か〜わいいっ! ね、九郎さんも抱っこしてあげて?」
九郎は有無を言わさず胸に押し付けられた子犬を落とさないように、慌てて抱きかかえた。
「よかったね〜、九郎さんに抱っこしてもらえて〜。あ、この子の毛色、九郎さんの髪の色とおそろいだ。ふふっ、名前も似てるしね〜」
望美は嬉しそうに子犬に顔を寄せる。子犬は望美の鼻の頭をぺろりと舐めた。
「ははっ、くすぐったいよぉ〜」
子犬を撫で回している望美の無邪気な笑顔に、九郎は心奪われた。
そして、その子犬は九郎の胸元にいる。当然、望美の顔は九郎の顔の間近に接近しているのだ。
鼓動は九郎の耳から周囲の音を排除するほどに高鳴っていた。
頭を下げて、少し首を伸ばせば、望美の額に───。
九郎が実行に移そうとしたその時。
「クロ〜! クロちゃ〜ん! どこ行っちゃったのー! 出ておいで〜!」
塀の向こうから子犬を探す声が聞こえた。
「あ、この子探してるんだ! はーい! クロちゃんここにいまーす!」
望美は大きな声で叫ぶと、九郎の腕から子犬をもぎ取って、ぱたぱたと門の方へ走っていった。
一人取り残された九郎は、茫然自失状態だった。
「── 大好き、か…」
何の気なしにぽつりと呟いてみると、さっきの照れが再び襲ってきた。顔を真っ赤にして、ひとりあたふたと慌てふためく九郎。
ギャラリーがいれば、相当滑稽だったに違いない。
── しばらくすれば、望美は戻ってくるだろう。それまでに平静を取り戻さねば。
乱れた息を整えるために、胸を押さえて深呼吸する。
その時、胸元でガサリと音がした。懐へ入れておいた紙包みだった。
── お前に似合うと思ったから── そう言って渡してみるかな…。
九郎はふっと笑うと、そんなことを思いつつ、着物の上から紙包みをそっと撫でた。
望美と、何より自分の気持ちを確かめさせてくれた、自分とよく似た名の子犬に感謝しつつ──。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
望美ちゃんにめろめろ〜んな九郎さんでございます(笑)
さて、九郎さんは望美のために何を購入なさったのでしょうかっ!?
そして九郎が望美に「ちゅう」できるのはいつの日かっ!?(笑)
【2005/11/01 up】