■冬の星空
すっかり日も暮れた冬の夜、将臣は少々猫背気味に駅から自宅までの道を足早に歩いていた。
「──
うー、寒ィ」
痺れるような寒さのあまり思わず口から漏れた言葉が真っ白い靄になって暗い寒空に溶けていった。
その光景を目にするだけで一層寒さが増したように思えて、ますます背中を小さく丸めてしまう。
何の気なしにコートのポケットから携帯電話を取り出した。
開いてみれば着信が1件。
「ん?」
相手は隣家に住む幼馴染──
いろいろあって、今は『恋人同士』という関係も追加されているが。
着信時間はバイトの真っ最中。
一緒に学校を出たけれど、自宅に戻る彼女と直接バイト先に向かう将臣は途中で別れたのだから、この時間に電話をしても出られないことくらい知っているはずなのに。
わかっていて電話したということは、何か緊急事態でも起きたのだろうか。
背中を冷たいもので撫でられたような嫌な感覚を振り払いながら、電話をかけた。
長い呼び出し音の後、
『──
将臣くん?
どうかしたの?』
緊張感のない答えに、将臣の口から思わず溜息が出た。
「お前な、『どうかしたの』じゃねぇだろ。
さっきの電話、何か急ぎの用事か?」
電話の向こうで望美が息を飲んだのがわかった。
しばらく続いた沈黙の間に微かな雑音が聞こえた。
キィ、と何か金属が軋むような音の向こうに車のエンジン音──
どうやら彼女は今、外にいるらしい。
『──
えーと……しゅ、宿題?
そう、宿題!
わからないところ教えてもらおうと思って』
「バイト中の俺にか?
つーか、今日宿題なんて出てねぇだろ」
『えっ……あ、そうだよね、わ、私、勘違いしてたみたい。
ごめんね、バイト忙しいのに』
そう早口でまくし立て、じゃあね、と一方的に電話は切れた。
「お、おいっ、望美っ!」
繋がりを遮断され味気のない機械音を発する携帯を、険しい顔でしばし睨み付けていた将臣。
我に返ったようにチッと小さく舌打ちすると、携帯をポケットに戻し、腹立たしさを隠すことなく乱暴な足取りで歩き始めた。
あっという間に着いた自宅に見向きもせずに通り過ぎる。
通話の合間に聞こえた耳障りな金属の軋む音。
あの音には聞き覚えがあった。
* * * * *
まばらな街灯が作る薄闇の中、キィ、キィ、と背後で響く音が神経を逆撫でする。
耳障りなメロディに、はぁ、だの、ふぅ、だのと溜息が散発的に合いの手を入れた。
たぶんいるだろう、と思った場所に、彼女はいた。
幼い頃は毎日のように日が落ちるまで遊んだ小さな公園。
将臣は両手をポケットに突っ込んだまま入り口の石の柱に背を預け、見るともなしに空を見上げた。
ぱあっ、と眩しくなったかと思うと目の前の道路を車が駆け抜けていった。
煌々と辺りを照らすヘッドライトが通り過ぎれば、断ち切ったように辺りは再び闇に包まれた。
ギッ、と今までと違う音がして、急に静かになった。
彼女は座っていた子供用の低いブランコを揺らすのをやめたらしい。
直後、
「──
くしゅんっ」
思わず吹き出しそうになって、将臣は慌ててポケットから出した手で口元を覆った。
こんな寒い外じゃなくて、暖かい室内で好きなだけ頭を悩ませていればいいのに。
覆った手のひらの下で唇を苦笑に歪める。
きっと『頭を冷やそう』という考えに至って短絡的に外に出てきたのだろう、と推測して、将臣はさらに苦笑を深めた。
そのうち、ぺちぺち、と軽い音がして、よしっ、と小さな気合いの声が聞こえた。
どうにか自分の気持ちに折り合いをつけることができたのだろう。
ガチャリと重い鎖が鳴って、サクサクと土を踏む音が近づいてくる。
公園から出てきた凛とした横顔に向かって、
「おい」
と声をかけた。
「きゃっ !?」
小さな悲鳴を上げながらも咄嗟に後ろに飛び退って両手を左の腰に持っていくのは、間違いなく死と隣り合わせで過ごした月日のなせる技だろう。
「……俺は不審者かっての」
「だ、だって、そんな暗いところから声かけられたら、誰でもびっくりするよ」
「ま、確かにな」
にっ、と口の端を上げると、望美はふっと目を逸らして俯いた。
「──
さて、帰るか」
凭れていた柱を蹴って歩き始めると、後ろに少し遅れて足音がついてきた。
ふと、将臣は足を止めて空を見上げる。
一呼吸おいて、どん、と背中に軽い衝撃。
「もうっ、なんで急に止まるの !?」
肩越しに振り返ると、望美はぶつけた鼻の頭を撫でていた。
ふ、と口元を緩め、将臣は再び顔を空へ向ける。
「いや……こっちでも結構星が見えるもんだと思ってな」
いつか見た、迫ってくるような満天の星空を思い出す。
手を伸ばせば煌めく粒を掴めそうなほどの星の海を。
その瞬間、望美が息を飲んだのがわかった。
がしっ、と後ろから抱きついてくる。
たぶん、そういうことなのだ。
将臣自身、いまだに何かに押し潰されそうな気分になることがある。
けれど、やるべきことは全てやった──
そう信じているからこそ、今の自分はここにいる。
そう信じなければ、前には一歩も進めない。
「──
背中でいいのか?」
「……えっ…?」
「なんなら胸、貸してやるぜ?」
『もうっ、将臣くんのバカ!』背中にバチンと平手一発、なんて思ったのは間違いだった。
うん、と消え入りそうな小さな声。
前に回された腕がゆっくりと解かれて、背中の感触がすっと消えた。
俯きがちに前に回り込んできた彼女は、倒れ込むように将臣の胸に凭れてきた。
「…………ごめん」
何に対する謝罪なのか、なんとなく理解できる気がした。
いろいろなものを飲み込んで膨れ上がってしまった思いから絞り出したもの。
ふっ切ったようでいて、実際はまだ心が弱っていたらしい。
将臣は無言で彼女の美しい長い髪をそっと撫で、見た目以上に細い身体をしっかりと抱き締めた。
『源氏』も『平家』も関係なくなった今、彼女を守れるのは自分の他にはいないのだから。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
『後から悔いる』と書いて『後悔』……そんなお話。
Twitterに「萌えるシチュエーションbot」というアカウントがありまして。
「夜の公園で落ち込んで泣いてて、
仲良いアイツからの他愛ないメールに普通に返信してたつもりなのに、
気がついたら目の前に居て、
『バカ。アホぅ。一人で泣いてんなよ。いつでも迎いに来てやっから。
………まぁ、自転車なんだけど、なっ…』って息切れ。」
そんなツイートが。
最初、土浦っぽいと思ったんですが。
将臣なら望美が気が済むまで門に凭れて待ってるよな、という妄想が。
その結果がこれ。メール→電話に変更。
1ヶ月前くらいから書こうと思ってたネタ。
フォロワーのE様に捧げます。ごめん、あんまし甘くないけど(苦笑)
【2012/01/17 up】