■雪に想ふ 将臣

 姿が見えないな、と思って探していた人物は、なんとなくそこにいそうな気がすると思った場所に佇んでいた。
 ほっとしたような、少し寂しいような気持ちをぐっと飲み込んで、私は踵を返す。
 今朝目覚めた時、降り積もった雪が世界を真っ白に染め上げていた。 日差しはあるものの気温が上がらない今日は、授業を終えて帰る時間になった今もまだ白っぽい景色のままだ。
 冷たさでじんじんと痺れる足で濡れたアスファルトの上を踏みしめ、滑らないように注意しながら歩く。 駅舎の前にある自動販売機でホットココアとブラックコーヒーを買ってコートの左右のポケットにひとつずつ滑り込ませてから、今来た道を逆戻りする。
 何も遮るものがなく冷たい海風が吹き付ける波打ち際に、彼はさっきと寸分違わず佇み、冬の海を見つめていた。

 雪のない乾いたコンクリートの上にそっとカバンを置き、ポケットに両手を突っ込んだ。 ゴロリと重い缶をぎゅっと握り締めると手袋越しにほんわりと温かくなっていく。
 十六夜の月の浮かぶ夜に異世界から帰ってきた彼は、『還内府』の顔から高校生の『有川将臣』の顔に戻っていた。 『やるべきことはやった』と言っていたけれど、何年も苦楽を共にした仲間たちを思う『還内府』の心はきっと向こうに置き去りのまま。 物思いに耽る、というよりも、心ここにあらずになっていることが時々ある。 そんな時、彼は向こうの世界のことを考えているのだ。
 ちょっとだけ悔しくて、今朝の雪みたいに彼の心を真っ白に染め直してやりたい、と思った。 平家も還内府も、全部全部真っ白に塗り潰してやる──
「── ふふっ」
 なんて意地悪なこと考えてるんだろ、私。 異世界のこと、忘れるなんて私は嫌だ。 辛いことも悲しいこともあったけれど、楽しいことだってたくさんあった。 何より大切な仲間たちのことを忘れることなんて、できるはずもない。
 ふっと空が暗くなって、白い雪がちらつき始めた。 このまま降り続けば、今夜もまた積もるのかもしれない。
 私は冷たい空気を思い切り吸い込んで、波打ち際に向かって歩き始めた。

「向こうも雪、積もったかな」
 ポケットに手を突っ込んだまま彼の隣に並び、はらはらと舞い落ちる雪を飲み込んでいく海に向かって問いかけると、横からひゅっと息を飲む音が聞こえた。 きっと申し訳なさそうな顔をしているに違いない。
「……亜熱帯の島だしな、雪なんて降らねえだろ」
 私はなんとなく初めて異世界に放り出された時の雪の河原を思い浮かべていたけれど、彼はやはり落ち延びた平家の人たちのことを考えていたらしい。
 首を捻って見上げると、やっぱり彼は苦笑を浮かべていた。 ずっと冷たい風に吹かれ続けていたせいだろう、寒さで鼻の頭や頬が赤くなっている。
 彼の前に回り込んだ私はポケットから出した手を伸ばしながら、ちょっとだけ背伸びする。 ぽかぽかに温まった手で、そっと彼の頬を包み込んだ。
「…………あったけぇ」
 気持ち良さそうに目を細める彼。
「でしょ?  ── さあ選んでください。 右? それとも左?」
「はぁ?」
 唐突に突き付けられた選択肢に彼は訝しそうに眉根を寄せる。
 けれどすぐに何のことか察したのか、ふっと表情が緩んだ。
 手袋をつけていない大きな手が、彼の頬を包む私の手に重なった。 手袋越しにじわじわと温度が奪われて、彼の手がどれだけ冷たくなっていたのかがよくわかる。
「── そうだよな……何を選んだのかなんて、解かりきってたはずなのにな」
 苦笑しながら独り言みたいに呟いた彼の手がふと遠ざかり、次の瞬間、ぐいっと腰を締めつけられた。
「ちょ、ま、将臣くんっ!  そうじゃなくて、右か左を選んでってば!」
 押し返そうにも私の手は彼の顔、つまり両手を上げた状態。 抱き寄せられた拍子にバンザイの格好になってしまってどうすることもできない。
「── おっ、サンキュ」
 私を抱きしめたままコートのポケットをごそごそと探った彼の片手が、しっかりとコーヒーの缶を握り締めていた。
「あっ、もうっ、勝手に!  ……勝負運の強さは相変わらずだよね、将臣くん」
「そうか?」
 腰に回した腕を変え、もう片方のポケットからココアの缶を取り出した彼が顔を思い切りしかめた。
「げっ、んな甘いもんは勘弁だぜ」
「そっち選んだら意地でも飲ませてやろうと思ってたのに!」
「いやーさすが俺。 選択に間違いはねえな」
「もうっ」
 私はバンザイしていた手をゆっくりと交差させた。 そのまま彼の首にふわりと回す。
「……望美?」
 答える代わりに、腕に少し力を込めた。
「── 悪いな……あと少しだけ───」
 呼吸もままならないほど強く抱き締められた。
 『あと少し』── こうして縋るように抱き締め合うことなのか、戻ることのできない遙かな世界に思いを飛ばすことなのか。
 どちらでもいい、と思った。
 時が経って、こちらに戻ったことは間違いじゃなかった、と彼が感じてくれさえすれば。
 そのためにも私は、彼にとって寒さを和らげてくれる冬のホットドリンクみたいな存在になろう── そんなことを考えていた。

 ── 結局、そろそろ飲もうと思った頃には缶は冷蔵庫から取り出したかのように冷たくなっていて。
 雪の中、長時間吹きっさらしの浜辺にいたせいで、翌日風邪でダウン。 二人仲良く病院に連れて行かれることとなったのはまた別の話。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 十六夜ED後ベースでいろいろ混ざってる感じ?
 今朝起きたら久し振りに雪が積もっていたので。
 「雪ネタ書きたいけど、どのCPで書こう」とついったで呟いたら、
 フォロワーさんがネタを投下してくれました。
 ネタ提供感謝です♪

【2011/01/16 up】