■永久(とわ)の螺旋
※一部死ネタあります。ご注意を。
粗末な床板の上に敷かれた夜具に横たわる男の微かな息遣いだけが部屋を支配していた。
「……後悔、してねぇか…?」
視点の定まらない目はただぼんやりと天井へ向けられ、億劫そうに動く口から漏れるのは、独り言のような弱々しい呟き。
男の身体は戦いの中で鍛えられていた若かりし頃に比べ、一回り以上も小さくなった。
「してないよ」
即答された男の口元が柔らかく笑みの形に歪む。
「……そうか」
「だって、毎日が平和で、子供たちや孫たちに囲まれて賑やかで楽しくて──」
男の傍らで、女は彼の力の失せた骨ばった手をそっと握り、それに、と言葉を継ぎ足した。
「── ここに来てからは、離れることなくずっと一緒にいられたんだもの」
「……だな」
男が微かに眉根を寄せた。
すぅ、と大きく息を吸い。
「── ありがとな………また会おうぜ」
「── お疲れさま………また会おうね」
穏やかな顔の男の息遣いが聞こえなくなり、代わりに嗚咽が部屋に満ちた。
* * * * *
「── 今年のクリスマスケーキは、ブッシュドノエルがいいな♪」
「ああ、いいぜ」
廊下を歩きながらの望美の言葉に、隣を歩く将臣は少し笑いを含んだ声を返した。
瞬間、はたと足を止める望美。
一歩先に進んでしまった将臣が、振り返って苦笑する。
「……なんだよ」
「将臣くん、ブッシュドノエルがどんなケーキか知ってるの?」
「切り株みたいな形のケーキなんだろ?
食ったことはねえけどな」
「うわ、びっくり……」
「お前な……完全に俺を馬鹿にしてないか?」
「そっ、そんなことないけどっ」
将臣の苦笑が深くなる。
彼が望美に向ける笑みはいつも苦笑気味だ、と望美は思っていた。
同じ年に生まれた二人は家が隣同士で、ずっと一緒に育ってきた。
ひとつ下の将臣の弟・譲と3人で、いつも泥んこになって遊んでいたっけ。
成長するにつれて男女の性差が出始める頃になると、さすがにそんなことはなくなったけれど、望美はいつの間にか生まれてしまった微妙な距離感に一抹の寂しさを感じることが増えていった。
だがいつだったか──
ああ、あれは中学生になってすぐくらいだった──
朝、家を出ると玄関先に将臣が佇んでいた。
たまたま時間が同じになって顔を合わせれば一緒に学校へ向かうけれど、これといって約束をしていたわけではない。
少しドキリとして、かろうじて出せた『おはよう』の声に将臣は応えることなく、ただじっと望美を見つめていた。
とても懐かしいものを見ているような眼差しで。
将臣くん?、と呼びかけると、彼は甘いような切ないような、ひどく複雑な苦笑を浮かべたのだ。
たぶんあの日からだ──
彼が望美に向ける笑顔が苦笑になったのは。
気にはなっていたが、聞いても彼は同じような苦笑を浮かべるだけで答えてくれることは絶対にないような気がして、望美はいつも喉まで出かかっている質問を飲み込んでいる。
その日以降、寂しさを感じていた距離感が、もどかしさを感じる別の距離感に変わった気がした。
校舎から渡り廊下へ一歩足を踏み出すと、今にも雪に変わりそうな冬の雨の湿った空気の冷たさにぶるりと震えて身を縮ませた。
その時。
「──っ !?」
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
頭を殴られたような鋭い痛みが走り、長い髪の根元を力任せに掴む。
「大丈夫か、望美っ !?」
崩れ落ちそうになる望美の身体を抱き止めて、耳元で叫ぶ将臣の声がやけに遠くに感じられた。
「── 先輩っ!
どうしたんですかっ !?」
ちょうど向かいの校舎から出てきた譲が血相を変えて駆け寄ってくる。
大丈夫、と答えたいのに押し潰されるような痛みに声が出て来なかった。
ドクン。
またひとつ、心臓が跳ねた。
望美は支える腕に縋りながら、ゆっくりと顔を上げる。
間近にある心配そうな将臣の顔がやけに滲んでいた。
涙が溢れて、止まらない。
「── まさ……おみ…………くん」
さっきまでの痛みが嘘のように消えた頭の中に残ったのは──
「── また、会えたね」
はっと瞠目した将臣の顔が、いつもの苦笑に変わる。
望美にも、ようやく彼の笑みにいつも混じっていた苦味の意味が理解できた。
「久し振り、ってのも変か………あっちのお前にも、とうとうお迎えが来ちまったんだな」
「……うん」
傍にいた譲の顔が怪訝そうにしかめられたが、二人は説明する気はない。
説明したところで理解などできないだろう。
どういう仕組みでこんなことになっているのか、本人たちにすら解らないのだから。
チリン……
雨音に混じって聞こえた鈴の音に、半ば抱き合ったままの二人が身を固くした。
「……やっぱこうなるのか」
溜息混じりに将臣が呟けば、望美は自分の足でしっかりと立ち、手の甲で頬の涙をぐいっと拭う。
「譲……さっさと校舎に入れ」
将臣と望美はどちらからともなく互いの手を取って、しっかりと指を絡めて握り合う。
ゆっくりと渡り廊下の中央まで進み、降り続ける雨で冷たく濡れた裏庭に二人並んで視線を据えた。
「な……何言って……先輩を保健室に連れて行ったほうがいいんじゃないのか?」
「いいから早く行けっ!」
「お願い、譲くん」
肩越しに振り返る切なげな望美の微笑みに、譲はしぶしぶ校舎に入っていった。
カタン、と扉が閉まるのを確認して、二人は再び裏庭に目を向ける。
そこにはそぼ降る雨の中に佇む、真っ白ないでたちの少年。
「── よう、白龍」
「私の力が必要なんだね?」
少年がこくんと頷いた。
将臣は繋いだ手はそのままに、望美を引き寄せしっかりと胸に抱き締める。
「いつでもいいぜ」
将臣の声に呼応したかのように、校舎に囲まれた裏庭だったはずの場所がうねり狂う奔流へと変わった。
飲み込まれ、流されながら、繋いだ手と抱き締め合う身体の温もりをしっかりと確かめる。
── ふたり一緒なら何があっても大丈夫。
だから行こう、あの悲しい戦いを起こさせないために。
二人を飲み込んだ奔流が消え去った後の裏庭に、冷たい冬の雨が静かに降り続いていた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
次回『平家の神子』に続── かないよ(笑)
遅ればせながら薄○鬼をプレイして、土方さんにどっぷりハマった結果がこれ。
中の人の声の威力、パネェ(笑)
イマイチ意味不明なとこはお許しを。
そのうち続き書くかも……
【2010/06/11 up】