■所有権
※迷宮愛蔵版・クリスマスイベント後のおまけネタバレ注意
賑やかだったクリスマスから数日が経って。
迷宮のことで頭を悩ませる日々は続いていたものの、束の間の休息ということで将臣とどこかへ出かけていた望美が有川家に戻るなり大きな包みを解き始めた。
「じゃーん! 私専用クッション!」
取り出したピンク色のもこもこふわふわの塊に嬉しそうに頬ずりする望美。
それからは膝に乗せていたり、胸に抱えていたりと片時も手放すことはなく。
だが、夜も更けて自宅へ戻ろうとする望美の手には小さなバッグしか握られていないことに気づいて、譲は玄関で彼女を呼び止めた。
「── 先輩、忘れ物ですよ」
「え?」
小首を傾げた望美の長い髪がさらりと揺れた。
あれほど大事そうにしていたのにもう忘れているなんて。譲は小さく苦笑する。
「クッションです。取ってきますから、ちょっと待っててください」
「あ、いいのいいの。あれはここにお邪魔した時に使うためのクッションだから」
「……え?」
ここ最近疲れの見え始めた望美の顔に、ふわりと幸せそうな笑みが広がった。
「将臣くんがね、『うちに置いとけ』って」
「…そう……ですか」
曖昧な生返事に彼女は気づかなかったのか、じゃあまた明日ね、と笑顔で帰っていった。
彼女が開けた扉から流れ込んできた冬の夜の冷たい空気が肌に刺さる。ピリピリと痛いほどに粟立って、譲は思わず身を震わせた。
* * * * *
すべてをやり遂げた仲間たちが在るべき場所へと無事帰還してしばらく経ち、春の気配が感じられるようになったある休日のこと。
間近に迫った期末試験の勉強で自室に籠もっていた譲は、気分転換も兼ねて昼食を作ることにした。
同じく試験勉強のため珍しく家にいる兄にも、一応何が食べたいか訊いてみる。
帰ってきた答えは『何でもいい』。予想通りというか何というか。
それから付け加えられたのは、
「望美の分も頼むな。あいつん家も親が不在なんだと」
午後からはふたりで試験勉強をするらしかった。
ドアチャイムに続いてガチャリと扉が開き、お邪魔しま〜す、と声がする。
勝手知ったる隣の家。誰も出迎えずとも勝手に上がりこんできた望美は譲の立つキッチンを覗き込み、
「ごめんね譲くん、私の分までお願いしちゃって」
「いえ……もうすぐできますから、少し待っていてください」
「ありがと。ふふっ、譲くんのごはん、久しぶりだから楽しみで♪」
そう言われれば張り切らずにはいられないではないか。包丁を握る手にも力がこもる。
背を向けているリビングの方から、ドサリ、と重い音がした。持参した一抱えの勉強道具を彼女が下ろしたのだろう。
「……あれ? 私のクッションは?」
「んあ? 俺の部屋」
ソファに転がって雑誌をめくっていた将臣がぞんざいに答える。
「えーっ、またぁ !?」
彼女の声に合わせるかのように、譲の口から溜息が漏れた。
『望美専用クッション』が有川家にお目見えして以来、自分の部屋に戻る将臣がなぜかそのクッションを抱えていくのが常になっていたのである。
この家の人口密度が格段に跳ね上がっていた当初は、少しでも物を減らして皆の邪魔にならないように配慮しているのだろうと好意的に解釈するよう努めてきた譲だったが、
人の減った現在も続いている以上、さすがに他の意図があるとしか思えない。
「いるなら取ってこいよ」
「もう……」
たぶん彼女は頬をぷくっと膨らませているのだろう。けれど大して腹を立てている訳ではないのは声色でわかった。
とんとんとん、と階段を踏む軽やかな足音が往復して。
「まーさーおーみーくーんっ!」
戻ってきた彼女の声はなぜか奇妙にくぐもっていて、少々苛立っているように聞こえる。
振り返ってみれば、リビングの入り口に立つ望美の顔の部分がピンク色のもこもこふわふわになっていた。なぜかクッションで顔を隠しているのだ。
「もうっ! クッションがなんか将臣くんクサイ!」
……顔を隠していたのではなく、臭いを嗅いでいたらしい。
「はぁっ !? クサイ言うなっ! 毎日ちゃんと風呂入ってるんだ、そんなに臭うわけあるかっ!」
ばふっ、と軽い音。クッションが望美の手から将臣の手へ移っていた。
「嗅いでみてよ」
「……別に、無味無臭だろ」
「無味って……舐めたのっ !?」
「んなわけあるか。単に言葉の語呂だろうが」
再びばふっと音がして、クッションは望美の手へと戻る。顔の下半分を埋めるようにしてクッションを抱き締めたまま、とてとてとソファの側へ。
起き上がった将臣の隣にぽすっと腰を下ろした。
「……やっぱり将臣くんの匂いがするよ」
「だったらお前のニオイ、つけとけよ」
「えーっ……動物のマーキングじゃあるまいし」
「── こないだ買ったヤツ、あれでいいんじゃないか?」
「あの可愛い雑貨屋さんで買ってくれた香水? でも、まだそんなにつけたことないから、私の匂いってほど馴染んでないよ?」
「別にいいだろ。お前気に入ってたし、これからつけりゃいいんだし」
休日になるといそいそと出かけていく彼らの行動の一部を垣間見たような気がして、譲は居心地が悪くなった。気づけば口元に自嘲じみた笑みが張り付いている。
玉ねぎを刻んでいた包丁はいつしか動きを止めていて、慌てて動かし始めた。
「うん、じゃあ取ってくる─── でも」
ソファから立ち上がる気配がした。
「このまま持って帰っちゃおうかな、クッション」
「なんで」
「だって……将臣くんがいつも一緒にいるみたいだもん」
消え入りそうな声は、たぶんクッションに顔を埋めたままだからだろう。頬がほんのりと赤く染まっているのかもしれない。
「── ダメだ」
「え……」
「持って帰られると俺が困る」
「どーしてよ」
「そりゃ、お前がいない間に代わりに抱き締めとくモノがなくなるからに決まってるだろ」
「── っ !?」
バシュッ! バタバタバタバタッ! バタンッ!
望美がクッションを渾身の力を込めて投げつけ、有川家を飛び出し、玄関の扉が派手に閉められた音である。
「── ってぇ……さすがあっちで鍛えられただけあって馬鹿力というか」
見事クッションがヒットした顔を撫でながら、将臣はクツクツと笑い始めた。
自分の兄はあんな言葉を平気で言うような男だっただろうか?
離れ離れになっていた間、身を置いていた平家で何を教わってきたのやら。
「── 兄さん、先輩をからかうのもいい加減にしろよ」
力任せに玉ねぎを刻みながら、口から出た声は咎めるというより完全に責める口調になっていた。
「先輩のクッションなんだから、先輩の好きなようにしてもらえば──」
「いいんだよ、俺が買ってやったんだから。それに── あいつの物は俺の物、ってな」
将臣は臆面もなく言い切った。背を向けている譲に彼の顔は見えないが、きっと自信たっぷりな笑みを浮かべている。
『あいつの物は』ではなく、まるで『あいつは俺のもの』と宣言されたように聞こえて、譲は唇を噛んだ。
ずいぶん前から── 特にこの世界に戻ってきてからは身に沁みてわかってはいたけれど。
親子丼を作るために刻んでいた玉ねぎは気がつけばすっかりみじん切りになっていて、ちかちかと痛む目からは滝のように涙が溢れていた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
迷宮愛蔵版コンプ記念。
見ながら悶えまくった後日談よりもこっちをネタにしてしまうのがあたしらしいというか(笑)
将望話である以上、譲が不憫なのはデフォ。
果たしてピンクのクッションが有川家のソファに合うのかは疑問。
望美ちゃんのイメージカラーと、将臣のイメージカラーを薄くしたら、ってことで。
書き進めてるうちに、同じような話を書いたことがあるような気がしてきたぞ…
【2009/10/27 up】