■闇の中【Side N】 将臣

 望美の目の前で、一組の男女が寄り添っていた。
 深く冷たい闇の中、彼らの姿だけがくっきりと見えている。
 彼らは抱き合っているわけではなく、その間に流れる空気は決して甘いものではない。
 なぜなら、女の手には不思議な輝きを放つ華奢な造りの一振りの剣が握られ、その刀身は男の身体を貫通して背中から角のように突き出していたからだ。
「── ごめん……ごめんね……」
 男の首筋に顔を埋めるようにして、女はくぐもった涙声を絞り出す。
「………仕方、ねえ…だろ……」
 女の細い肩に乗せた顎と突き立てられた剣でかろうじて身体を支えている男は、喘ぐようにして途切れ途切れに言葉を紡ぎ、口の端に弱々しい笑みを浮かべた。
 けほっ、と小さく咳き込めば、傷つけられた内臓からの出血は赤い飛沫となり、女の背を覆う長い髪に花を散らしたように飛び散った。
「お前は……生き残れよ─── 望美」
 男は見間違うことなどあるはずもない、大切な幼馴染で。
 女もまた見間違うわけもない── 望美自身だった。

 傍観者だったはずの望美の肩に、ずしりと重みが加わった。
 ひゅうひゅうと苦しげに喉を鳴らす音がすぐ耳元で聞こえる。
「まさ、おみ、くん……っ」
 肩と、手にかかる重みが徐々に増していった。
 とめどなく流れる生温かい液体で、柄を握る手がずるりと滑る。
 その瞬間、感じていた重みがふっと消えた。
 彼の身体も、彼を貫いていた白龍の剣も、跡形もなく消えていた。
 残されたのは、彼の流した血で赤く染まった両手だけだった。

*  *  *  *  *

「─── っ !?」
 びくり、と身体を震わせ、目を開ける。
 そこに広がっていたのは、やはり闇。
 だが、さっきまでとは違う、どこか温かみのある闇だった。
 目が慣れてくると、僅かに差し込む月明かりで見慣れた周囲の輪郭が浮き上がってきた。
 苦しいのは知らず息を詰めてしまっていたからだろう。
 動き方を忘れてしまったかのような肺を鼓舞して大きく深呼吸を繰り返す。
 心臓は狂ったように早鐘を打ち続けていた。
 落ち着いてくると、次第に周りの音が耳に入り始めた。
 寄せては返す穏やかな波の音。
 そして、すぐ傍から聞こえる微かな寝息。
 臍の辺りまで夜着が肌蹴け、むき出しになった厚い胸板がゆっくりと上下に動いている。
 ほっと息をついたところで、望美は彼の夜着を関節が白く浮き出るほどに握り締めていたことに気がついた。 だらしなく肌蹴ているのはそのせいだ。
 石のように固まった指をゆっくりと解く。
 開いた手に、血の跡はない。
 指先は氷のように冷たくなっていた。
 ゆるゆると身体を起こし、傍らで眠る姿を見下ろした。
 長い船旅の末、辿り着いた南の島でどれだけの月日が過ぎただろう。
 なのに、まだこんな夢を見る。
 だが、夢でよかった、と安堵しているのも確か。
 初めて剣を合わせ、倒すべき『敵』の正体を知った時。
 知りながら敢えて剣を向けた時。
 その事実はいまだ彼女の心を苛み、夢として現れる。
 望美は震える指先を、彼の程よく割れた腹筋の中心── 夢の中で剣を突き立てた場所── に、つ、と滑らせた。
「ん……どうした…?」
 半分眠りの中にいるような気だるげなかすれ声で、将臣は小さく身じろぎしてわずかに目を開く。
 腹の上にあった望美の手をそっと握ると何か言いたげに眉根を寄せたが、彼は何も言わなかった。
「ごめん、起こしちゃった?」
「俺の寝込みを襲うとは大胆なヤツだな。催促か?」
 あえかな月明かりの中、将臣は眠そうな顔のまま、ニッ、と口の端を上げる。
「なっ、そ、そんなわけないでしょっ!」
 望美が赤くなった顔をぷいと背けると、将臣は悪戯っぽい笑みをさらに深くして、掴んでいた彼女の手をくいっと引っ張った。
 小さな悲鳴を上げて、さっきまで頭を乗せていた彼の逞しい腕に再び着地すると同時にふわりと包み込むように抱き締められる。
 背中をやんわりと叩く手が、ぽん、ぽん、と緩やかなリズムを刻む。
「ちゃんと寝とかないと、明日がキツイぜ。『働かざる者、食うべからず』ってな」
 ふわあ、と大きなあくびをして、将臣は再び寝息を立て始めた。
 背中のリズムはさらに緩慢になり、動きを止める。
 身体を通して聞こえる彼の鼓動と、包まれる温度の心地よさに、望美はゆっくりとまどろんでいった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 ……なんだかわけわかんないものが出来上がってしまった。
 あたしの頭の中のカオスっぷりがよくわかるなあ。

【2009/05/25 up】