■願いごと
一月一日。
暮れの慌しさが、たった1日経過しただけで新しい年の賑わいに変化する。
テレビでは早速、どこの神社の初詣客が何人だ、とかいう結構いい加減な統計を報告していた。
望美も近くの神社へと初詣に出かけてきていた。
もちろん、ひとりではない。将臣と一緒だ。
長い参道を人々が右往左往している。
どこから湧いてきたのか、というくらい、人、人、人だ。
すれ違う人はすでにお参りを終えた人であろう、破魔矢やら露店で買った食べ物やらを手にしていた。
あまりの人の流れに、気を抜けば将臣とはぐれてしまいそうで、望美は将臣の姿だけを必死で追った。
早足でさっさと進んでいく将臣に、望美は小走りで駆け寄る。
途中、行き交う人にぶつかっては、ごめんなさい、と謝りながら。
「ま、将臣くんっ! もうちょっとゆっくり歩いてよ」
「悪い悪い。自分じゃゆっくりめに歩いてるつもりだったんだけどな」
そう言うと、将臣は望美の手をスッと掴んだ。
「あ…」
思わぬ将臣の行動に、望美は身を硬くする。
「なんだ?」
「あの… その… 手…」
「ああ── はぐれたらマズイだろ?」
「…… うん」
望美は不安を払拭してくれるような手の温もりをしっかりと握り返した。
『ずっと将臣くんと一緒にいられますように』
望美の願い事はそれしかない。もう二度と、離れ離れは嫌だから。
手を合わせ、必死で願う── 100円のお賽銭では足りない、と神様に呆れられそうなほど必死で。
望美は顔を上げ、満足そうに大きな息を吐くと、くるりと踵を返す。
そこには、呆れ顔の将臣が立っていた。
「いつまで拝んでんだよ、欲張りなヤツ」
「い、いいじゃないっ! 切実な願いなんだからっ」
自然と望美の顔が赤くなる。
「ふーん」
「なによ」
「いや、どうせ『ナイスバディになれますように』とかだろうな、と思って」
「うわそれは切実…… ってそうじゃなくてっ!」
突如始まった夫婦漫才めいた会話に、周囲からくすくすと笑いが漏れる。
「もうっ、恥ずかしいじゃないっ! お、おみくじ引こうっと」
将臣を軽く睨むと、望美はすたすたと歩き始める。
ツンと顎を上げ、ニヤニヤ笑っている将臣の横を通り過ぎようとした時、参道の敷石の隙間に爪先が引っ掛かり、
望美の身体は前につんのめった。
「うわっ !? …………… あ、あれ…?」
覚悟した痛みはいつまで経っても襲って来ず、目の前に迫っていると思っていた地面は、望美の足元に広がっていた。
俯いた目の前に実際にあったのは── 将臣の腕。抱きとめるようにして、望美の身体を支えていた。
「あ…… あ、ありがと…」
「どーいたしまして。── ったく、正月早々危なっかしいヤツだな」
将臣はそう言って笑うと、望美の頭をクシャリと撫で、望美の腕を掴んだ。
「…… な、なにっ !?」
「何って、おみくじ引くんだろ?」
ずりずりとおみくじ売り場へと望美を引っ張っていく。
将臣はコートのポケットから小銭を取り出すと、おそらくバイトの学生であろうにわか巫女さんに渡して、おみくじの入った木箱に手を突っ込んだ。
迷いなくおみくじをひとつ取り上げると、顎をちょっとしゃくって望美にも取るように促した。
「え、でも」
「心配すんな、ちゃんと二人分払ってるって」
目の前の巫女さんを見れば、にっこり笑って「どうぞ」と木箱をこちらへ少し傾けてくれていた。
望美も木箱に手を入れ、中のおみくじをひと混ぜして、ひとつを握る。
箱から手を出そうとして、少し考えた後、握ったおみくじを手放して別のおみくじを握って取り出した。
「うっしゃ大吉!」
自分の引いたおみくじに歓声を上げる将臣。本気で喜んでいる。
「なになに、願い事… すべて叶う、か。いいねぇ、さすが俺! 望美、お前は?」
そう問われた時、望美は折りたたまれたおみくじをちょうど開いたところだった。そして、そこに書かれた文字を見て、一瞬にして固まった。
「なに深刻そうな顔してんだ? まさか凶とかだったら笑うけど─── げっ」
固まったままの望美の手元を覗き込んだ将臣も一瞬固まってしまった。
そこに書かれた文字は、まごうことなく─── 『大凶』。
「あ、あるんだな、大凶って…… いや、あるからには誰かが引いちまうわけで…… ある意味強運と言えなくもないな、うん。
…… ま、気にすんなって、たかがおみくじだろ? そこらへんの木に結んで帰れば大丈夫だって」
望美はおみくじを持ったままピクリとも動かない。その目はおみくじではなく、虚空を見つめていた。
将臣は頭をぽりぽりと掻いて溜息ひとつ。望美の手からおみくじを抜き取ると、縦に折りたたんでそばにある木に結びつけた。
神社の参道を帰りながら、望美は2、3歩歩いては足を止め、深い溜息を吐く。
おみくじに書かれた『大凶』。
直前に必死で祈った願いを、神様に思いっきり拒否されたような気分になっていた。
歩いては止まり、を繰り返し、何度目かに足を止めた時。
「急に止まったら危ねぇだろうが。ほら、手ぇ貸せ」
数歩先を進んでいた将臣が戻ってきて、望美に手を差し出した。
望美がその手に掴まろうとしたその時、ドン、と後ろから押されてたたらを踏んだ。
足元を転がる茶色い物体。
「ご、ごめんなさいっ!」
望美が振り返ると、小学生くらいの男の子が茶色い物体を拾い上げ、逃げるように駆けて行くところだった。
人の流れを遮らないように、参道の脇へ寄る。
「ほら、言わんこっちゃない── あ」
望美を促し、後ろにまわって肩を押した将臣が息を飲む。
「え?」
「…… お前、背中がすごいことになってるぞ」
「ええっ !?」
慌ててコートを脱ぎ、背中の部分を見てみると、そこにはくっきりとジグザクの赤いラインがついていた。
「あー、さっきのガキが持ってたアメリカンドッグのケチャップだな」
「やだもうサイテーっ!」
望美はカバンからハンカチを取り出すと、石段に座り、必死になってケチャップを拭き取った。
とはいえ、淡い色のコートから赤いラインを完全に消し去ることは不可能だった。
「…… やっぱり…… 大凶なんだ……」
正月早々こんな目に遭うなんて、やっぱり自分の願いは叶わないんだ── そう思うと、自然と涙があふれてきた。
「おいおい、泣くほどのことか? クリーニング出せば落ちるだろ」
将臣が呆れたように言うと、望美の隣に腰を下ろした。
「そうじゃなくて…… 大凶だから、私のお願いは叶わないんだよ…」
えぐえぐと泣きじゃくる望美。
将臣は望美の頭にポンと手を乗せる。
「んじゃ、もう一回行って俺がお願いしてやるから。なにせ俺の願いはすべて叶うらしいからな。言ってみろよ、お前のお願いってやつ」
「── 将臣くんと、ずっと、一緒に、いられる、ようにって── あっ」
『大凶』のあまりのショックに錯乱気味だったのか、望美はしゃくりあげながら素直に自分の願いを口にする。
口に出してみて我に返ったのか、顔を真っ赤に染めて、慌てて両手で口元を押さえた。
そんな望美の様子に、将臣は優しい笑顔を浮かべ、望美の頭に乗せた手をポンポンと弾ませた。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって…… !?」
将臣のあまりのそっけなさに望美が思わず顔を上げると、不意に視界が閉ざされた。
ほんのりと温かい暗闇からもそもそと顔を出す。暗闇の正体は、将臣がたった今まで着ていたコートだった。
「将臣くん !?」
「いいから着とけ」
望美がコートに袖を通したのを見計らって、将臣が望美の手を取った。
手を繋いで歩き始めると、おもむろに将臣が口を開いた。
「ま、大丈夫だろ」
「は?」
「お前のお願い」
お願いの相手本人に大丈夫と言われて、望美は複雑な気持ちになる。
「! む、無責任なこと言わないでよ…… ヒトゴトだと思って…」
決して人事ではないのだが。
「俺の願いはすべて叶うらしいしな」
「えーえー、どうせ私は大凶ですよっ! よかったわね、大吉で!」
望美は口を尖らせて、ぷいと顔をそむけた。
将臣はふっと笑うと、望美の方へ身体をかがめ、その耳元に何かをささやいた。
その途端、望美の顔が炎のようにみるみる赤くなる。
「な、大丈夫だろ?」
望美はコクリと頷くと、将臣の方に半歩分身体を近づけて、その腕に頬を摺り寄せた。
将臣がささやいたのは。
『俺の願い事── 望美がいつも俺の隣にいますように、ってな』
〜おしまい〜
【プチあとがき】
あぁ、将望がバカップル化していく…。
こんな長いのを拍手お礼にするなんて、無謀でしたね。
最後まで読んでくださった神子様方、ありがとうございました。
【2006/01/06 再掲】