■続々・若葉日記 将臣

 久方ぶりのお目もじにございます。望美さま付きの女房、若葉にございます。
 この南の島は毎日が常夏で、厳しい日差しに照り付けられます。
 かと思えば、突然空が真っ黒に掻き曇り、滝のようなにわか雨に打たれることもございます。
 そのような雨のことを、『すこーる』とかいうのだそうです。
 とにかく、日々の陽射しに雪のように白いと自負しておりましたわたくしの肌もすっかり小麦色になってしまいました。
 あら、申し訳ございません。わたくしのことばかりお話してしまって…。
 今はそれどころではないのです。
 実は、先日より望美さまのご様子が変なのでございます。
 いつもでしたら午前のうちは裁縫を教えて差し上げているのですが、急に『しばらく休ませてほしい』と。
 朝早くからお出かけなのか、お邸にもおられぬようですし、あまりしつこく問いただしてご不興をかってもいけませんし、 それ以上触れぬようにしておりました。
 ですが、ここ最近の望美さまはお顔の色も悪く、お食事もあまり召し上がらないのです。
 『どこかお身体がお悪いのでは?』と何度かお聞きしてはみたのですが、『病気じゃないから大丈夫、心配しないで』の一点張りで。
 そうは申されても、とても心配なのです。

 とある日、わたくしども女房は日課の手仕事をお休みにして、浜遊びに参ることになりました。水遊びをするのには殿方の目が気になりますゆえ、 いつもはあまり人の行かない浜を選びました。
 毎日の暑さもございますが、この島に参ってからは働き詰めでしたし、このあたりで息抜きも必要だろう、と。
 水に入るためのお衣装がある、と以前望美さまに伺ったこともございますが、そのようなものは持ち合わせておりませんので、 水には足を浸す程度ではありますが。
 皆が履物を脱ぎ、海へと入ります。
 今ではすっかり馴染んだ膝までの長さの着物の裾ギリギリのところまで水に浸かればひんやりと心地よく、時間も忘れてはしゃいでしまったのです。
 ところが身体が冷えてしまったのか、はずかしながら用を足したくなってしまいました。
 そこで皆から離れ、木立の中に入っていきました。
 しばらく進むと、なにやら怪しげな声が聞こえて参ります。
 そっと近づいていくと、生い茂った木々は消え、ぽっかりと開けた広場のような場所に出たのです。
「う…っ」
 またあの怪しげな声が…!
 わたくしは凶暴な獣にでも出くわしてしまうのではないかと、恐怖に打ち震えました。
 ところが、急いでこの場を立ち去ろうと思い、もう一度辺りを見回した時、広場の奥の木立の陰にうずくまる薄紅色を見つけたのです。
「望美… さま…?」
 見慣れた着物の柄、間違いなく望美さまでございました。
 わたくしが駆け寄ると、木の幹に手をつき、その根元にうずくまっていた望美さまが、悪戯を見つかった子供のように目を丸くして振り返ります。
 そのお顔は真っ青で、じっとりと汗が滲んでいます。
「わ… 若葉ちゃんっ !? どうしてこんなとこへ !?」
「どうしてではございません! 望美さまのほうこそ、こんなところで何をしておいでなのですか!」
「それは…… うっ」
 何かを言いかけた望美さまが口元を押さえて再びうずくまります。
「望美さまっ !?」
 わたくしは苦しそうな望美さまの背中を必死でさすりました。
「やはりどこかお悪いのではありませんか !? わたくし、誰か人を呼んで参ります!」
「ダメっ!」
 望美さまは駆け出そうとしたわたくしの手を掴み、引き止めます。
「病気じゃないの。もう大丈夫だから心配しないで。お願い、誰にも言わないで。特に将臣くんには絶対言っちゃダメ。いい?」
「けれど……」
「本当にもう大丈夫。…… 言える時が来たら、ちゃんと話すよ」
 そう言うと望美さまはゆっくりと立ち上がり、大きく深呼吸なさいました。
「若葉ちゃん、何か用事で来てたんでしょ? 私、ひとりで帰れるから」
「お帰りになるのでしたら、わたくしもご一緒いたします。戻りましたらすぐに床のご用意をいたしますから、お休みになってくださいませね」
 わたくしは望美さまに有無を言わせずそう申し上げると、一旦浜に戻って女房仲間に断り、望美さまと共に村へと戻ったのでございます。

 それからも、何度となく吐き気を堪える望美さまのお姿を見かけました。
 介抱しようと声をかけると、やはり『大丈夫』とだけ言って、何事もなかったように立ち去られるのです。
 しかし、吐き気を催しながらもあれほどまでに病気ではないと言い張り、将臣さまにまで隠し、言える時が来たら言う、というのは……。
 はっ! も、もしやっ !?
 まだ正式に夫婦ではないにしても、好き合った者同士がひとつ屋根の下に暮らしていれば、当然の成り行きでございましょう。
 きっと安定するまで、皆に知られたくないと思われたのでしょうね。
 それにしても望美さまはなんと水臭いのでしょう。それならそうとおっしゃってくださればいいのに。
 そうと分かれば、将臣さまにそれとなくお知らせして、望美さまのお身体をいたわっていただかなくては。
 わたくしは喜びにはやる気持ちを抑えながら、将臣さまのお姿を探しに向かったのです。

「あ、あの、将臣さまっ!」
 浜辺で他の殿方たちと漁に使う小船の手入れをなさっていた将臣さまに、わたくしは思い切って声をかけました。
「ん? ああ、若葉か、どうした?」
「あの… ちょっと……」
「?」
 将臣さまは手を止め、わたくしの方へと歩いてこられます。
「何かあったのか?」
「あの……、その……、の、望美さまのご様子はいかがでしょうか…?」
「あー、相変わらずメシ食わなくてな。無理矢理口に突っ込もうとしたら、すごい勢いで暴れるから放ってるさ。 それだけ動ける元気があるなら大丈夫だろ」
 将臣さまは明るく笑っておいでですが、望美さまを心配なさっているのが手に取るようにわかりました。
「あの、他に変わったご様子は…?」
「そうだな…、そういや時々腹さすっては溜息ついてるな。たぶん腹でも壊してんだろ」
 やはり、わたくしの思った通りです! 想像は確信へと変わりました。
 それにしても、お腹をさすっているからお腹を壊してると考えるとは、本当に殿方というものは鈍くていらっしゃる。
 望美さまには口止めされていても、ここはきちんと申し上げておかなくては。
「将臣さま、望美さまをもっといたわって差し上げてくださいませね。望美さまお一人のお身体ではないのですから」
 わたくしは毅然とした態度で将臣さまにそう申し上げました。
「は? どういう意味だ?」
「望美さまには御ややが授かっておられるのです」
「おやや?」
「ですから、望美さまは今、つわりに苦しんでおいでなのです。だからお食事も召し上がれなくて──」
「つ、つわり !? それって…」
 わたくしは深くうなづきました。
 次の瞬間、将臣さまが脱兎のごとく駆け出します。
 ふふっ、きっと望美さまをお探しに行かれたのですね。
 わたくしもこんなところでぼやぼやしている場合ではございません。望美さまのお世話をしなければ。
 決意に拳を握り締めると、わたくしも駆けていく将臣さまの後を追ったのでございます。

「望美っ!」
「あれ、将臣くん、どうしたの?」
 将臣さまはきょとんとした顔で振り向いた望美さまにガバッと抱きつくと、いとおしそうに抱きしめます。
「将臣くんっ !?」
「…… それならそうと早く言えよ。俺にも心の準備ってやつがあるだろうが」
「え…?」
「ふたりで力を合わせて育てような」
「はい?」
「だから、元気な子を産めよ」
「はあっ !? ちょ、ちょっと待ってっ! 将臣くん、何言ってるのっ !?」
 望美さまは大慌てで将臣さまの胸を押し、顔を見上げます。
 それを見下ろす将臣さまのお顔の、なんとお優しいこと!
「何って、お前、ここ最近つわりが苦しくてメシ食えなかったんだろ?」
「えええええぇぇぇっ !? 何よそれっ !?」
「…… 違うのか…?」
「ち、違うわよっ」
 望美さまは将臣さまの腕を振りほどくと、くるりを後ろを向かれました。
 その途端、望美さまはめまいを起こされたのか身体がぐらりと揺れ、その場にぺたりと座り込んでおしまいになりました。
 将臣さまは慌てて望美さまの前にかがみこまれます。
「おいっ、大丈夫かっ !?」
「だ、大丈夫…… あの、怒らないで聞いてくれる?」
「ああ」
「あのね…、この間、久しぶりに戦装束のスカートはいてみたの。そしたらね……、入らなくなってたの…」
 将臣さまの口元がぴくりと引きつったように見えました。
「で?」
「だから、食事減らして、運動して…。さすがに空きっ腹で走りこむと吐き気しちゃって… ははっ」
 今度は将臣さまの頭のあたりでブチンと音が聞こえたような気がいたします。
 握り締めた拳がふるふると震えておりました。
「── んな無茶なダイエットなんかするなぁーっ !!!!!」
 将臣さまは、座り込んだ望美さまを立たせると、ひょいと肩に担がれます。
「ごめん、ごめんってば! もうしないから。ね、降ろしてよっ!」
「『俺も父親か』って、その気になってたってのに……、きっちり責任取ってもらうぜ」
「えっ、ちょっ、ちょっと、責任って…… だからって今、そっちの『その気』にならなくてもっ !?」
「問答無用っ!」
 将臣さまは望美さまを担いだまま、ずんずんとお邸の方へと向かわれました。

 ……… わたくし、また失態をしでかしてしまいました。
 あとで望美さまと将臣さまのところへお詫びに伺わなければなりません。
 お叱りは覚悟しておりますけれど、もしこれで本当に御ややがお生まれになれば、これほどおめでたいこともございませんね。
 その折には、また皆様にお知らせさせていただくことになりましょう。
 それでは、その時まで。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 あははー、若葉ちゃん大失敗シリーズ(?)第3弾です。
 すっかり若葉ちゃん、図太くなってるっぽいです。鍛えられたんでしょう。
 いやあ、実はあたしが今、過去最高体重マークしてまして(汗)
 自分の中でボーダーってあるでしょ?
 気がつけば、それを遙かに越えちゃってて、激ショック。
 去年の今頃、家の引越し後で体重落ちてたのになぁ…。
 そんなところから生まれたネタです。
 このシリーズだと、なぜか将臣くんが微妙にエロいですな(笑)

【2006/05/31 up】