■続・若葉日記 将臣

 お久しゅうございます。望美さま付きの女房、若葉にございます。
 此度は、新しい生活が始まった頃のお話を致しとう存じます。しばしお付き合いくださいませ。

 将臣さまのお見立て通り、ひと月ほどでわたくしたちが身を落ち着ける島が見えてまいりました。
 降り立った島は、人の気配のまるでない、砂浜と、小高い山と、見慣れぬ木々の鬱蒼とした森しかないところでしたが、 落ち延びたわたくしたちがひっそりと暮らすには、申し分のない場所と申せましょう。
 島に到着してからの手はずは、船の中ですっかり取り決められておりました。
 殿方たちは、土地を調べる者、仮の住まいを造る者、井戸を掘る者、食糧を調達する者に分かれます。
 女たちは総出で衣の手直しです。何しろこの島の暑さは、これまで身に着けていたものでは、ただ座っているだけで倒れてしまいそうなのですから。 縫い物は船の中でもできる仕事ではございましたが、なにぶん波間に揺れる船のこと、気分を悪くする者も出よう、 ということで到着後に行なうことになったのです。
 これもすべて将臣さまと望美さまのご提案によるもの。お二人のご英知には、本当に頭が下がる思いでございます。

 わたくしは木陰に陣取り、他の女房仲間たちと他愛ないおしゃべりなどしながら縫い物をしておりました。
 少し離れた浜辺の方から、何やら楽しげな笑い声が聞こえて参ります。
 そちらに目をやりますと、20人ほどの殿方の中に、将臣さまと望美さまのお姿もございました。
 どうやら、使わない船を崩してできた木の板をどのように建物にしていくか、という算段をなさっているご様子。
 将臣さまの号令と共に、板を手に殿方がパッと散って行かれます。
 そして、将臣さまが2枚の板をまとめて担ぎ上げた時、その横で望美さまも板をひょいと持ち上げました。
 長さは大人の身の丈のおよそ倍、幅は手のひらを広げたより少し広い程度でしょうか。
「おっ?」
「何よ」
「手、汚れるぜ?」
「ふふん、そんなこと気にするようなヤワな手じゃございません。女らしい手じゃなくて悪かったわね」
「ま、あれだけマメつぶしてりゃ、『白魚のような手』って訳にはいかねぇな」
「しょうがないじゃない。私だって好きでマメ作ったわけじゃないもん」
「… 悪ぃ。ま、今まで頑張った手、ってことだ。俺は、いいと思うぜ?」
「うー、なんか納得いかないなぁ……」
 船の中で望美さまの掌を拝見したことがございますが、そのあまりの痛々しさに胸を痛めたのを覚えております。 それでも、お二人のじゃれるような会話に、思わず笑みがこぼれてしまいました。
「それよりお前、女房たちの裁縫、手伝わなくていいのか?」
「…… 将臣くんのイジワル。私が家庭科全般苦手なの知ってるくせに」
 望美さまが拗ねたように身体をよじらせると、身体の前で水平に持った板がゆうらりと羽ばたくように動きます。

 微笑ましいお二人のご様子に和みながらも、わたくしも少々お手伝いさせていただこうと思い立ちました。
 望美さまがお持ちになっているものとほぼ同じくらいの板を見つけ、持ち上げると───
 な、なんという重さなのでしょうっ!
 こんなものを軽々と持ち上げ、そのまま立ち話をする余裕など、わたくしにあろうはずもなく──。
 これではいけない! わたくしはもっと身体を鍛えねば!
「けどなぁ…、お前を慕ってる奴に怪我されてもなぁ……」
 気が付けば、将臣さまがこちらを向いて、笑っておいででした。
「え? あれ? 若葉ちゃん、ど───」
 わたくしを見つけた望美さまが身体ごとこちらを向かれたその時。
 バシッ!
「い……………っ!?」
 望美さまの持っていらした板が、もの凄い音を立てて将臣さまの腰を直撃したのでございます。
 あたりの空気が一瞬にして凍りつきます。
 周囲にいた者は、時が止まったかのように身じろぎすらできずにおりました。
 将臣さまの肩から板が滑り落ち、それを支えにするようにしがみつくと、じっと痛みに耐えておられるようでした。
「ご、ごめんっ将臣くんっ! 大丈夫!?」
 望美さまは持っていた板を放り捨てると、将臣さまの腰を必死にさすります。
「だ……… いじょうぶな訳ねぇだろっ! 俺にクリティカルかましてどーするよっ!? 板だからよかったものの、角材だったら腰骨折れてるぞ!」
「だから… ごめんってば……」
 わたくし、なんという失態をしでかしてしまったのでしょう!
 罪悪感に苛まれつつも、ただおろおろするしかない自分にもどかしさを感じておりましたが、将臣さまのあまりの剣幕に動くこともかないません。
「…ったく……… これじゃ何人怪我人が出るかわかりゃしねぇ……」
「失礼ね…… 次はちゃんと前後左右気をつけるわよ」
 うんざりといった風情で額を押さえる将臣さまに、望美さまは可愛らしく口を尖らせました。
「いーや、お前は力仕事禁止。とりあえず、そのガサガサのマメの跡が消えるまではおとなしく裁縫でもやってろ」
「えーっ、なんでよ! さっき、この手いいって言ったじゃない!」
「ああ、お前の努力の結晶だ、悪くはないと思うぜ? だがな───」
「…… 何よ」
「その手じゃ、触られ心地がよくねぇからな」
 将臣さまが望美さまに向かって、片目をつぶってお見せになりました。
「な、なによそれっ!?」
 望美さまのお顔がポッと朱に染まります。
 それ以上に、周囲におりましたわたくしたちも、なんだか艶っぽいお話を聞いてしまったような気恥ずかしさに、別の意味で固まっておりました。
 そうこうしているうちに、将臣さまはしゃんと腰を伸ばされ、すがっていた板を再び肩に担ぎ上げました。
「ま、将臣くん大丈夫なの? もう痛くない?」
「ったりめーだろ。お前に板ぶつけられたくらいでどうにかなるほど、俺の身体はヤワじゃねぇって」
 そうおっしゃって豪快にお笑いになりながら、他の殿方と共に行っておしまいになりました。

 将臣さまの後ろ姿を見送りながら、望美さまはまだ少し赤味の残る顔で、頬を膨らませておいででした。
 わたくしは申し訳なさがいっぱいで、思わず望美さまに駆け寄りました。
「の、望美さま…っ、申し訳ございませんっ!」
 わたくしは思い切り頭を下げ、お詫びの言葉を申し上げました。
「え? どうして若葉ちゃんが謝るの?」
「わたくしが余計なことをしたばかりに、お二人を仲違いさせるようなことに──」
 望美さまは、頭を上げられずにいた私の肩をそっと包むと、身を起こさせてくださいました。
「そんなことないよ、気にしないで。それより、若葉ちゃんこそ、木の板持って怪我なんてしてない?」
「わたくしは…… 大丈夫でございます」
「そう、よかった」
 そう言ってにっこり微笑まれた望美さまのお優しさに、涙が出そうな思いでした。
 ふいに、望美さまがくすっと小さくお笑いになりました。
「望美さま…?」
「ふふっ、なんか……… うれしいな、って」
「はい?」
「あのね、昔から私がドジると、将臣くんがああやって怒るの。でもね、後でちゃんと助けてくれて───
 だから、うれしいの……… そういうの、変かな?」
 望美さまのお幸せそうなお顔を拝見して、わたくしは耳が風を切るほど首を横に振りました。
「ありがと……… ね、若葉ちゃん、私にお裁縫教えてくれる?」
 望美さまに頼っていただけるなんて、なんという光栄なことでしょう!
「はいっ! 喜んで…!」
 考えるまでもなく、力いっぱいお返事申し上げました。
 そして、わたくしは望美さまと肩を並べ、女房たちが縫い物をする木陰へと移ったのでございます。

 その日の夕刻。
 わたくしは夕餉の支度に足りなくなった薪を拾ってくるよう先輩女房に命じられ、浜辺近くの木立の中におりました。
 すると、打ち寄せる波の音に紛れて、人の話し声が聞こえてまいります。そちらに目をやれば、波打ち際に並んで座る、 望美さまと将臣さまのお姿がございました。
「あー、疲れた〜。お裁縫のしすぎで、肩がパンパンだよぉ〜」
 首を回す望美さまの頭の動きに合わせ、艶やかな御髪が美しく波打ちました。
「お疲れさん。で、少しは上達したのか?」
「もっちろん。上手くなったって若葉ちゃん褒めてくれたよ」
 うっ………
 望美さまにご気分よく縫い物をしていただこうと、そのようなことも申しましたけれど……… 縫っては解き、縫っては解きで、 着物を1枚駄目にしてしまったこと、望美さまの名誉のためにも口をつぐんだ方がよろしいようですね。
「ふーん……… ま、そういうことにしといてやるか」
「あっ、信じてないでしょ!」
「さあな」
「うー」
 将臣さまは完全に望美さまをからかっておいででした。それを楽しんでいらっしゃるようにお見受けいたします。
「で、お前、こんなとこにいていいのか? 女たちは晩飯作ってるんだろ?」
「うん、そうなんだけどね、みんなやらせてくれないの。あちらでお休みになってください、とか言っちゃって」
「ははっ、それ、ある意味正解」
「ひどいっ、将臣くん! 私だってその気になればお料理くらいできるよ!」
「そうか? 中学の頃だったか、お前が作った料理ってやつを食って、3日間寝込んだっけなー」
「あ、あれは───」
「どうだ、言い返せねぇだろ?」
「うぅ………」
 望美さまは抱えた膝に顔を埋められたご様子でした。その俯いた頭に、将臣さまがそっと手をお乗せになりました。
「ま、ちっとは上達してくれよ。好きな女の手料理食うのは男の夢、らしいからな」
 将臣さまの言葉に、望美さまがハッと顔をお上げになりました。
「将臣くん……」
 その瞬間、お二人の周りを甘やかな空気が包みます。
 見つめ合うお二人の姿が、水平線の彼方に沈みゆく、大きく真っ赤な夕日を背景に、影絵のように浮かび上がっておりました。 その光景はそれは美しく、いけないとは思いつつも、わたくしは目を逸らすことができなかったのです。
 そして、二つの影があと少しで重なり合うところで──
「いてっ」
 ピタリと動きを止めた将臣さまが、辛そうに顔をしかめておいででした。片手は腰に当てられています。
「えっ!? あっ、も、もしかして昼間の…!? まだ痛むの!? やーんもう、ごめんねっ! ほんとごめんっ!」
 望美さまが将臣さまの肩にすがるようにして、懸命に腰をさすります。
 その時、将臣さまが望美さまの背中を包み込むように、それはそれはいとおしそうに抱きしめられたのです。
 そして、将臣さまは口元に笑みを浮かべると、
「ウ・ソ─── 言ったろ? あれくらいで参るほど、俺はヤワじゃねぇって」
「!!」
 望美さまは、肩に回された将臣さまの腕を振り払うと、すっくと立ち上がりました。
「人がこんなに心配してるのにっ! もうっ! 将臣くんなんて知らないっ!!」
 望美さまは地団太を踏むようにしてそう言い放つと、くるりと踵を返して向こうへずんずんと歩いて行かれます。
 将臣さまも跳ねるように飛び起きて、遠ざかる望美さまの後を追われます。
「悪かったって… ほら、機嫌直せよっ」
「知らないっ!」
 拗ねる望美さまのお可愛らしさと、これまで拝見したことのない将臣さまの慌てぶりに、思わず笑みがこみ上げてきたのでございました。

 さて、わたくしには明日よりやらねばならぬことが山とできました。
 自分自身の鍛錬と、望美さまへ縫い物や料理をお教えすることでございます。
 精一杯お勤めさせていただくためにも、今宵はこれにて休ませていただきとうございます。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 バカップル万歳っ!
 若葉ちゃん、望美に心酔するあまり、道を踏み外しそうです(笑)
 いや、平家の西国落ちを生き延びて、ここにいるだけで十分タフだと思うんですが。
 うちの望美タンは最強神子ですから、当然力持ちです(笑)
 そして、将臣タンが微妙にエロい…(笑)
 『望美の手のひら』ネタをもっと突っ込んでもよかったんですが、別のお話で使いたいので、ここはさらりと。
 兄貴と望美タンの絶妙な空気を感じていただけると幸いでございます。
 あー、文章ってムズカシイ……

【2005/10/20 up】