■若葉日記 〜ある女房のつぶやき〜
わたくしは、平家にお仕えいたしておりました、若葉と申す女房にございます。
以後、お見知りおきくださいますよう、お願い申し上げます。
かの源平の合戦では、時が経つにつれ、平家の敗勢はますます色濃くなってまいりました。敵方の大将、源九郎義経さまは破竹の勢いにて
我が平家の陣を打ち破られていったのです。
それに比するように増えていく怨霊に、女たちは心を痛めておりました。そんな時、源氏方に『龍神の神子』が現れたとのこと。
その女武者によって怨霊は封印され、その業から解き放たれていったと聞き、少なからず胸を撫で下ろしておりました。
そして、還内府さま── いえ、有川将臣さまの苦心惨憺の末、わたくしたちは名も知らぬ遙か南の島へと落ち延びることができたのです。
まもなく南へ旅立つという頃、わたくしたちの間に驚くべき噂が駆け巡りました。 あの『源氏の神子』が我らと共に南へ下る、と。怨霊どもを封印し、腕の立つ将臣さまと互角に太刀を交えたという女武者が同行するとは あな恐ろし、と女たちは震え上がりました。更なる噂では、源氏の神子は将臣さまの筒井筒の姫君で、恋仲でいらっしゃるとか。 下賎な勘繰りははしたないとはいえ、そのような女丈夫を行く行くは娶られるおつもりなのかと、将臣さまがお気の毒に思えたのです。
そして、出立の日、わたくしたちの船に見知らぬ女人が乗り込まれました。年の頃はわたくしと同じくらいでしょうか、
桜色の小袖に陣羽織、腰には白雪のようなひらりとした衣を巻き、惜しげもなくさらしたお御足には見慣れぬ履物を召しておいででした。
新参の女房にしては奇異ないでたちで、わたくしはもしやと思いつつ、ちらりちらりと様子を伺っておりました。
他の女房たちも遠巻きにして、何か異質なものを見るような視線を送っております。
船が港を発ち、船室に腰を落ち着けると、その女人も入ってきてお座りになります。何度目かに目をやった時、ついに目が合ってしまいました。
盗み見のような真似をしていた罪の意識から、わたくしの胸は早鐘のように打ち、頬が熱くなってまいります。
今さら目を逸らすのも失礼かと思い、礼のひとつでもせねばなるまいかと逡巡しておりましたところ、その女人は耳元の髪に軽く手を添え、
にっこりと微笑まれたのです。なんと清らかな、なんとお可愛らしい笑みでしょう。
こちらまでつられるように微笑んでしまったのです。
その時、船室の戸口に将臣さまが姿をお見せになりました。室内をぐるりと見渡されると、
「望美ー、大丈夫か? 船酔い」
「あ、将臣くん。うん、出発したばっかりだし── まだ大丈夫だよ」
「お前、昔っから乗り物弱いもんな」
「うぅ…。酔う、とか、弱い、とか言わないでよ。ホントに酔ってきちゃうじゃない」
「悪ぃ悪ぃ。天気いいし、外で風に当たっとくか?」
「うん、そうする」
そのやり取りは、おふたりが心安い間柄だということが手に取るようにわかりました。
女人は跳ねるように立ち上がると、戸口へと向かわれました。そして、何かひらめいたように立ち止まると、
わたくしたちの方へ身体を向けられたのです。
「えーっと、春日望美です。皆さんと一緒に南の島へ行くことになりました。よろしくお願いしますっ」
そう申されると、深々と頭を下げられます。
「あぁ、隠しててもしょうがねぇから言っとくが、コイツが噂の『龍神の神子』だ。ま、これからはそういうのは関係ねぇってことで、よろしく頼むわ」
将臣さまがすっと手を差し伸べられ、望美さまがその華奢な手をお乗せになり、おふたりは手を取り合って船室の外へお出になったのです。
その流れるように行なわれた一連の動作のあまりのさりげなさに、船室の中は羨望の溜息に満ちたのでした。
それにいたしましても、なんということでしょう。歴戦の女武者が、あのようなたおやかで麗しい姫君であったとは!
人の口の端に上った噂話のなんと当てにならぬことよと、少し可笑しくもありました。
外にお出になったおふたりは、船縁に腰掛け、海風に吹かれながら、寄り添っておいででした。
……… 申し開きさせていただきますと、わたくしは物見高い古参女房たちに命じられ、戸口よりおふたりのご様子を伺っておりました。
それこそ『盗み見』で、大変心苦しい思いではありましたが、確かにわたくし自身も興味津々だったのは事実でございました。
蒼穹を海鳥たちが舞い、のんびりとした雰囲気の中で爽やかな海風がおふたりの御髪を躍らせます。
「ねぇ将臣くん、南の島までどのくらいかかるの?」
「そうだな、1ヶ月もみときゃいいんじゃねぇか?」
「えーっ、そんなにかかるのぉ!?」
「しょうがねぇだろ、エンジンも何もついてねぇ船だぜ? ま、覚悟しとくんだな」
「あうぅ………」
将臣さまは、望美さまの頭に手をお乗せになると、まるで鞠でもつくかのように、しかしそれはそれは優しくその手を弾ませます。
「弁慶に酔い止めの薬でも貰っときゃよかったかな」
「うぅ、酔う、とか言うなぁっ」
将臣さまのお言葉にたまりかねたのか、望美さまが将臣さまのお顔に向けて緩く握った拳を繰り出されます。
直後、望美さまの拳は、将臣さまの大きな掌(たなごころ)の中にすっぽりと納まっておりました。
「誰かと話してりゃ、気も紛れるだろ。俺が── 俺が毎日お前の傍で話相手になってやるから」
そうおっしゃる将臣さまのお顔は、これまでに拝見したことのない、とても甘やかなものでございました。
「えーっ」
「なっ、なんだよっ、何か文句あんのかよ」
何か不満げな望美さまに、将臣さまのお顔がにわかにかき曇ります。
「あ、ごめん、そうじゃないんだ。私だって、将臣くんの傍にずっといたいよ? けど……」
「けど?」
「この船には女房さんたちがたくさん乗ってるじゃない? 私が『龍神の神子』って知って、不安だと思うの。
だって、ついこの間まで敵として戦ってたんだよ? …… 不安だし、怖いと思うんだ。だから、みんなとたくさんおしゃべりして、
早く仲良くなりたいの。せっかく平和になったんだもの、私ひとりのせいでみんなの船旅、台無しにしたくないじゃない?」
望美さまはそうおっしゃると、花のような笑みをお見せになりました。
なんというお心遣いでしょう! 戦は終わったとはいえ、将臣さまのほかに誰も頼る者のない敵方に女の身ひとつでお入りになったというのに、
わたくしたちのことをこんなにも気遣ってくださっておられたなんて!
わたくしはこの時、心に決めたのです。望美さまのお傍に置いていただきたい、これからはこの方にお仕えしよう、と。
「望美……」
「だからね、将臣くんと話してる暇、ないかも。ふふっ、それに── 島に着いたら、ずっと一緒だしね」
「─── ああ、そうだな」
見つめ合うおふたりのお顔は、優しさに満ち溢れ、本当にお幸せそうに輝いておられました。
ずっと将臣さまの掌に包まれたままの望美さまの手は導かれるように将臣さまの胸の上に、そして、空いていたほうの将臣さまの手が、
ほんのりと紅を差したような望美さまの頬に優しく添えられます。そして、おふたりのお顔はゆっくりと近づき、その距離はどんどん狭まって───
はっ! わたくしとしたことが、なんとはしたない真似をっ!
わたくしは慌てておふたりに背を向け、あまりの申し訳なさに逃げるように船室へと戻ったのでございます。
島に落ち着いた今、わたくしは望美さま付きの女房を務めさせていただいております。
将臣さまは『もう主従関係は関係ない』とおっしゃいますが、そのような訳にはまいりません。わたくしが望美さまにお仕えすると決めたのですから。
そして、うらやましいほどに仲睦まじくいらっしゃるおふたりのお傍で、幸せを少しずつ分けていただきながら、
日々楽しく暮らしております。
さて、長々と書き散らしてまいりましたが、このあたりで筆を置かせていただきとうございます。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
捏造キャラ・若手女房の若葉ちゃんがつれづれなるままに書いた日記(?)でございます。
言葉遣いが非常に鬱陶しいですが、ご勘弁を…。
【2005/09/17 up】