■素敵なサプライズ
打ち寄せる波が、足元の砂を洗っていく。
望美は持っていた小枝で、砂に文字を書く。
『まさおみのバカ!』
エクスクラメーションマークの点の部分に小枝を刺したところで、波が打ち寄せる。
水が引いた時には、書いた文字は跡形もなく消えていた。
再び文字を書こうと枝を握り直すが、ふぅと溜息ひとつ、望美は立ち上がった。
照りつける陽射しの下で長い時間しゃがんでいたせいか、立った瞬間、軽い眩暈を感じ、少しよろめいた。
膝を押さえて呼吸を整えると、望美は小枝を放り投げ、背後の森へと歩いていった。
* * * * *
あの戦いの日々から1年── すなわち、この名も知らぬ南の島に来てから1年が経っていた。
落ち延びた平家の者たちは、この平和な島で自給自足の日々を送っている。
島で手に入らないものは、交易の途中で訪れる熊野水軍── 以前、共に戦ったヒノエが時々差し入れてくれていた。
おかげで、豊かとはいえないまでも、十分に生活していけるのだ。
島のジャングルから切り出した木材で作った家も数多く建ち、今では立派な村落程度にはなっている。
「働かざる者食うべからず」のこの島では、以前の階級は意味のないものになってはいたが、そうそう人の意識を変えることは難しい。
元の同じような階級の者たちが寄り添って、依然として階級社会は続いていた。
望美は、この島へ向かう船の中で既に周囲に溶け込み、指導者的立場である将臣に最も近しい人間として一目置かれる存在になっていた。
続く平和な日々が当たり前になってきた頃、望美は将臣に言った。
「ねぇ、なんかサプライズがほしいよね」
食事を摂る将臣の箸が一瞬止まる。
「はぁ? なーに言ってんだ、毎日ビックリドッキリじゃねぇか。ヘビが出たとかケモノが出たとか」
「そんなんじゃなくて── もっと素敵なサプライズだよ」
近海で獲れた魚の干物を箸でつつきながら、望美はふくれっ面になる。
「んなもん、この島にいる限り、無理だろうな── 俺には、今のこの平和が何よりありがたいけどな」
「そっか、そうだよね── うん、平和が一番だよね」
目の前で漬物を口に放り込みながらの将臣の言葉に、望美はこっそりと嘆息した。
* * * * *
そんなある日、望美は気がついた。
ここ最近、将臣の様子がおかしいことに。
話しかけても上の空。
朝早く出かけ、夜遅くなって戻ってくる。
おまけに、自分に対する態度がよそよそしい。
目を合わせて話してくれなくなった。
そんな将臣に、望美のイライラは募っていた。
その結果が、砂に書いた『まさおみのバカ!』、なのである。
昼寝でもしようかと家に戻る途中、将臣の姿を見つけた。こんな時間に村にいるのは珍しかった。
声をかけようかとも思ったが、バカバカしくなってやめた。
それでも、将臣が何をしているのか気になって、望美は彼の跡を追うことにした。
将臣は一軒の家の前で立ち止まり、中に向かって声をかけた。
「おい、今、いいか?」
日除け代わりの御簾が巻き上がり、ひとりの女性が姿を現す。身なりは一見町娘のようだが、元は平家に女房勤めしていた女性である。
そう、この家は女房たちが集い暮らす家のひとつだった。
「まあ、将臣殿。お待ちしておりましたわ」
将臣は女房に笑顔で招じ入れられ、御簾が静かに下ろされた。
しばらくすると、中から笑い声が聞こえてくる。御簾のせいで中の様子は見えないが、他にも数人の女房がいるのだろう。
笑い声の中に未だ消えぬ雅さは、目を瞑れば京の貴族の邸の前にいるような気分にさせた。
── 私とはロクに話もしないくせに、あんな楽しそうに。
望美の心に、怒りと嫉妬とみじめさとがない交ぜになった気持ちが湧き起こる。
── 将臣くんなんか、もう知らないっ!
その夜、望美は尼御前たちと夕餉を済ませると、暗くなっても戻らない将臣を待つことなく、眠りに就いた。
* * * * *
翌日。
望美は朝餉を済ませ、散歩がてら畑でも見に行くかと外に出ると、そこには将臣が立っていた。
「おう、望美。やっと出てきたか。── 悪ぃ、ちょっと一緒に来てくれるか?」
「やだ」
望美は頬を膨らませ、ぷいっと横を向く。
「朝っぱらから何怒ってんだよ。いいから来いって」
「やだ、放してってばっ! 私のことなんてほっとけばいいでしょっ!」
将臣は望美の腕を掴むと、抵抗する望美にお構いなしに引っ張っていった。
ジャングルの中のケモノ道を引きずられるようにして進むと、すぐに開けた場所に出た。
そこには一軒の家。質素な造りではあるが、この島では豪邸の部類に入る。
「あれ、こんなところに家あったっけ? 将臣くん……、これ誰の家?」
おずおずと訊く望美に、将臣はふふんと鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべる。
「第一弾」
「は?」
「ま、入れよ」
望美は掴まれたままの手を急に引っ張られ、つまづきそうになりながらも目の前の家に上がりこんだ。
奥の部屋へ入ると、数人の女房が控えていた。
「んじゃ、頼むわ」
女房たちにそう言いつけると、将臣は部屋を出て行った。
訳もわからず、ぼーっと立ち尽くす望美に、女房たちが近づいてくる。
「それでは望美さま、お召し替えいたしましょう。お手伝いさせていただきますわ」
「は? ちょ、ちょっと、お召し替えって…っ!?」
慌てふためく望美を面白がっているのか、女房たちは楽しそうに寄ってたかって望美を着替えさせた。
着せられたのは、花吹雪の染めが施された桜色の袿(うちぎ)に、真っ白な薄衣でできた唐衣(からぎぬ)だった。
普通の唐衣と違うのは、襟元がたっぷりとしたフリルになっていることと、後ろが長く尾を引いていること。
「まぁ、なんてお可愛らしいこと。表で将臣殿がお待ちですわ。さ、参りましょう」
頭の中がパニック状態のまま、女房たちに手を引かれて外に出ると、将臣の背中が見えた。
望美たちの気配に気づいたのか、将臣がゆっくり振り返る。望美の姿を見た瞬間、眩しげに目を細め──
しばらくの間、望美を眺めた後、満足そうな笑顔で「第二弾」と呟いた。
「ねぇ、これ──」
どういうこと?、と訊こうとしたとき、望美、と声をかけられた。
── この声は…
「さ、朔っ!? みんなも!?」
望美の目の前には懐かしい顔ぶれが並んでいた。対の神子と八葉、さらには龍神本人までもが勢揃いである。
「本当に愛らしいわ。望美、よかったわね」
「神子、とても素敵だよ!」
「望美さん、おめでとうございます」
「やっぱりオレの姫君は何を着ても美しいね」
「よかったな、望美」
「うわ〜、望美ちゃん、綺麗だね〜」
「神子…、私からもお祝いを言わせてほしい」
「幸せになるのだ、神子」
「先輩、おめでとうございます。ケーキはスポンジが無理だったんで、ミルクレープにしてみました」
口々に寄せられる喜びの声。
驚きのあまり、望美は口をパクパクさせることしかできなかった。
望美の横にスッと並んだ将臣が、ククッと笑いながら望美の頭をくしゃりと撫ぜる。
「どうだ、サプライズ3連発」
「………!?」
望美は思わず将臣を見上げた。
「第一弾、俺たちの新居。少数精鋭で造ってたからな、ちっとばかし時間かかっちまった。
第二弾、ウエディングドレス── って、どう見てもドレスじゃねぇよな、これ。女房たちに縫ってもらったんだが── 女モノの服なんてわかんねぇし。
こんなので悪いな。
第三弾、サプライズゲスト。ヒノエに頼んで連れてきてもらった」
「ま、将臣…くん?」
「── これが、お前の言う『素敵なサプライズ』になるといいんだけどな……」
将臣はあさっての方向を向いたまま、照れ臭そうにほんのり赤くなった頬をポリポリと掻いていた。
「将臣くん…っ」
望美の瞳から涙がはらはらと零れ落ちる。
望美は涙に濡れた顔を俯けると、ぶんぶんと頭を横に振った。
「……… こんなの… 全然… 『素敵』なんかじゃないよ………」
「… マジかよ…… ま、ここ最近、お前のことほったらかしにしちまってたしな… 悪かったな」
将臣はがっくりと肩を落とし、眉間に皺を寄せる。
仲間たちは、張り詰めた空気の中で、ふたりの様子をハラハラしつつ見守っていた。
「素敵なんかじゃない……… 『とびっきり素敵なサプライズ』、だよ。ありがとう、将臣くん」
顔を上げた望美は、とびっきりの笑顔を将臣に向けた。
ほっとした将臣の顔にも笑みが広がる。
次の瞬間、将臣から笑顔が消え、真剣な顔つきになると、まっすぐ望美に向き直り、その華奢な肩に両手をそっと乗せた。
「望美、結婚── しようぜ」
その一言に、望美はきょとんとした顔になる。一瞬の後、ぷっと吹き出した。
「人が真面目に言ってんのに、なんで笑うんだよ」
不機嫌そうに口を尖らせる将臣だが、望美の笑いは止まらない。
「だって順序が逆でしょ。普通、プロポーズが一番最初だよ」
「そりゃあ……… そうだが── それじゃサプライズになんねぇだろ。いちいち細かいこと、気にすんなよ」
「そっか…… ふふっ、じゃあ私も。── ふつつか者ですが、よろしくお願いします── なんちゃって」
ぺこりとお辞儀をして、花のような笑みを浮かべる望美を、将臣は思わず抱きしめた。
その瞬間、周囲から歓声が上がった。
「よーし、じゃあパーティー始めようぜ!」
「ぱ………? なんだ、それは」
将臣の号令に、九郎が頭をひねる。
「宴会── 宴のことですよ、九郎さん」
隣にいた譲がすかさずフォローを入れた。
「そうか、宴のことか。ならば── このふたりのために、ぱーてぃーとやらを始めようぞ!」
今度は九郎の号令で、鬨の声にも似た大歓声が湧き起こった。
そして、将臣と望美の結婚披露宴は、三日三晩続いた── とか。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
本当なら6月のウェディングシーズン向けなんだろうけど。
結婚ネタ、いかがでしたでしょうか。
いやぁ、将臣たんのプロポーズのセリフ、悩みました。
自分勝手マイペース人間(笑)の将臣たんは、たぶんこう言うのではないかと思うのですが。
裏設定としては、将臣&望美は尼御前たちと4人家族みたいな暮らしをしてて、
食事の支度や身の回りの世話は、お付き女房やお端下がやってる、みたいな。
あと、勉強不足につき、この時代の装束についてはよくわかりません。
袿の上に唐衣をいきなり着ないはずですが、なにぶん常夏の島ですからねぇ、省略ってことで。
その他のツッコミどころは、目をつぶってやってくださいまし。
【2005/08/18 up】