■奇跡の種明かし
「まったく……どちらへ行かれたのか」
佐吉は姿を消した主を探して、城内を駆け回っていた。
まさか城下に向かったということはないだろうが、ひとつ危惧するのは、優しく情深い奥方を裏切って、どこぞの女性の元に身を潜めているのではないかということだ。
と考えて、佐吉は頭を振った。
── そんなことはあり得ない。
奥方様を娶られてから、秀吉様は以前とは変わられた。
小姓である佐吉が言うのも恐れ多いが、女癖の悪かった主は今や奥方一筋なのである。
その奥方はといえば、現在里帰り中。
普通なら大名の奥方が里帰りとなれば、多くの供を連れての一大行事となるのだろうが、羽柴の奥方は少し事情が違い、単独行動をしていた。
それは彼女が元・くのいちであり、彼女の故郷が人に知られてはならぬ伊賀の里だからなのだ。
里帰り、というよりも、裏稼業である忍びから足抜けすることに対する義理を立てに行った、と言うほうが正しいかもしれない。
そういう事情で、いらぬ危惧が一瞬頭をよぎったのだが。
ともあれ、飛び込んできた急ぎの案件を片付けてもらうべく、佐吉は主を探し続けた。
照りつける日差しに滲む額の汗を拭いつつ、佐吉は空を仰ぐ。
すると、吸い込まれそうな青く澄み渡る空を小さな影が横切った。
「……あ」
それは一羽の小鳥。
晴れた空を凝縮したような美しい青い羽を広げ、悠々と宙を泳いでいる。
もしや、と考えて、佐吉は小さく苦笑した。
ここは姫路で、安土ではない。
この手ぬぐいを運んでくれた奇跡の小鳥と、おそらく同じ種類の鳥なのだろう。
大切な藍染めの手ぬぐいを忍ばせた胸元をそっと押さえれば、あの時の感激が蘇る。
目を離せずにいた小鳥は空に大きく輪を描いたかと思うと、突如地に向けて急降下し始めた。
その動きに釣られるように下ろした視線の先には、先程までの己と同じように空を仰ぐ人影があった。
探していた主、秀吉その人だ。
小鳥は間違いなく主目がけて降下していた。
鴉などは光る物を好むと聞く。
あの小鳥も同じような習性を持ち、主が身につけている装飾品に目を付けたのだとしたら──
もしも目を突かれでもしたら大事だ。
危ない、と叫ぼうとしたのと同時、主は小鳥の蛮行を受け入れるかのように空に向けて大きく腕を広げた。
「── !?」
叫ぶことも、駆け出すこともできずにいた佐吉が見たのは、目を疑うような光景だった。
あと僅かで主にぶつかると思った小鳥が光を帯びて動きを緩めた。
光は大きく膨らんで、徐々に人の形を取った。
「っ!」
妖術なのか幻術なのか、はたまた奇跡なのか──
光の中から現れた奥方が主の胸に飛び込み、受け止めた主は奥方をしっかりと抱き締めたのだ。
「── おかえり、ほたる」
「ただいま戻りました」
「んで、どうだった? 伊賀の里は」
「……今後二度と里に足を踏み入れてはならぬ、と言い渡されました」
「そうか」
「それから……幸せにならねば許さぬ、と」
「ふむ、そりゃあ責任重大だな。
ま、あんたの幸せはオレの幸せだから、全く心配いらんけどな」
「ふふっ、そうですね」
微笑み合った二人の顔がゆっくりと近づいて──
「── おーい、佐吉!
見ててもいいが、後で熱出してぶっ倒れんなよ〜!
それが嫌なら、後ろ向いてろ!」
「!」
慌ててくるりと背を向けた。
「も、申し訳ございません!
その、急ぎの件がございまして……できましたら早いお戻りを!
し、失礼いたします!」
駆け出した後ろから、おー、と笑いを含んだ声が追いかけてきた。
しばらく走った後、苦しくなった息を整えながら佐吉はふと気がついた。
あの奇跡の小鳥が、姿を変えた奥方だったなら──
浮かんだ仮定はすぐに確信へと変わる。
── あの優しく情深い奥方様なら。
手ぬぐいを収めた胸元がとても温かい。
いつか必ず礼を申し上げなければ、と心に決めて、佐吉は天守へ戻るべく歩き出した。
〜おしまい〜
佐吉はきっと、ほたるちゃんのことが大好きだと思うの。
【2013/05/02 up】