■Monopolize
「── 小日向ちゃん、どないしたん?」
マーメイド像のそばを力なくとぼとぼと俯きがちに歩く見慣れた後ろ姿にうっかり声をかけてしまったことを、土岐は激しく後悔した。
彼女はゆっくりと振り返ると、その目にみるみる涙を浮かべたのだ。
「こ、小日向ちゃんっ!?」
「……ダメ、って言われたんです」
「テストの成績のことで先生に?」
俯いてしまった彼女は首を横に振る。
その勢いで散った雫が一粒、きらりと光って地面に落ちた。
「……千秋さんに」
ああなるほど──
彼なら例え恋人が相手だろうと、言いたいことは容赦なくはっきり言うに違いない。
「せやったら、あんまり気にせんほうがええよ。
千秋の虫の居所が悪かったんやろ。
小日向ちゃんの演奏、俺らの音にすっかり馴染んだし、技術かて部内でもトップレベルや」
部内どころか、同世代のヴァイオリニストの中でも上位に入るだろう──
お世辞でもなんでもなく、本心から思ったことを告げる。
「違うんですっ!」
ガバッと顔を上げた彼女の潤んだ瞳に強い怒りのようなものが見えた。
悔しげに唇を噛み、すん、と小さく鼻をすすってから、
「── 私もライヴに出たいって言ったら、ダメだって言われたんです!
私も『ジンナンズ』の一員になれたと思ってたのに!」
演奏にダメ出しされたわけではなかったらしい。
彼女の言葉にしばし考える。
「……………そういや何でやろなぁ?」
「え…?」
ぽかんと口を開けて見上げてくる彼女があんまり愛らしくて、土岐は思わずぽふぽふと頭を撫でてやった。
「コンクールで結果出したし、俺も小日向ちゃんはメンバーの一員やと思てたんやけど……
それより『ジンナンズ』てダッサい名前で呼ぶの、やめてくれへん?」
「── 『ジンナンズ』のどこがダサいって?」
声と共に伸びてきた腕が、土岐の手の下から彼女の頭を攫っていった。
腕と声の主はもちろん、彼女の涙の原因・東金千秋である。
「どこ、って……どこもかしこも全部やん」
「なんだと…?」
険しい顔つきになった東金だったが、土岐は思わず吹き出してしまっていた。
もがく彼女の頭をボールのように小脇に抱えている姿は、どんなに怖い顔をしていても滑稽としか言いようがない。
「……それはそうと、今の話、聞いてたんやろ?」
「ああ──
俺はこいつをライヴのステージに上げるつもりはねぇ」
「どうしてですかっ!」
暴れながら彼女が抗議する。
それを大きな溜息で一蹴して、
「コンクール以降、ライヴの客層が変わってきたことに気づいてるだろ?」
「せやな……前は女の子ばっかりやったけど、最近は男の客が増えたような……?」
「── こいつ目当てだ」
抱えた彼女の頭をぐしゃぐしゃと掻き回す。
フェイクパールの髪留めが外れかけたことに気づいて僅かに緩んだ腕から、彼女の頭はようやく抜け出すことに成功した。
「今回のライヴにはこいつが出るかもしれねぇ、と期待して来る奴らが増えてきやがった」
忌々しさの滲んだ口調で吐き捨てながら、東金は緩んだ髪留めを外して彼女に手渡すと、肩を掴んでくるりと回して後ろを向かせ、鳥の巣のようになった髪を指で梳き始めた。
「ええやん、ライヴは小日向ちゃんのステージ度胸を鍛えるのにうってつけやし、集客率も上がって一石二鳥やないん?」
「今以上に客が来たら、会場がパンクしちまうだろ。
それに──
コンクールはコンクール、ライヴはライヴだ。
ライヴは今まで通り、3人でやる」
話を打ち切るように言い切った東金は彼女の肩越しに腕を伸ばして、彼女の手から髪留めを取り上げた。
後頭部でまとめた細い髪の束を慣れた手つきで髪留めに挟み込む。
「── はは〜ん、千秋は可愛い可愛い小日向ちゃんを男どもの好奇の目に晒しとうない、ちゅうわけやね」
ぴくりと片眉を上げてフリーズした東金の頬から耳にかけてが一瞬にして赤味を帯びたことを、土岐が見逃すはずもなかった。
当てずっぽうで言った言葉は的確に図星を突いていたらしい。
東金はパチン、と音を立てて髪留めをつけると、くるりと踵を返す。
「……いつまでも蓬生の戯言に付き合ってる暇はねぇ。
行くぞ、かなで」
行くぞ、と言っておきながら彼女を待つこともせず、すたすたと校舎の方へと歩いていく。
「── 真相はわかったけど……やっぱりライヴに出たい?」
呆然と立ち尽くしていた彼女に問いかけると、予想通り彼女は勢いよく首を横に振った。
「ほな、行き」
「はいっ!」
元気よく駆け出した彼女は東金に追いつくと、隣に並んで歩き始めた。
彼を見上げる横顔は、それは満面の笑みで。
「はぁ……自分は女の子にキャーキャー言われとうのに小日向ちゃんはダメとか……千秋の独占欲、すごすぎるわぁ。
小日向ちゃんも難儀やなぁ」
土岐はくすりと笑みを漏らすと、彼らに追いつかないようにゆっくりと足を進めて校舎に向かうことにした。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
かなでちゃんのことが好きすぎておかしくなってる東金さん(笑)
【2014/05/13 up】