■リップグロス
私は某化粧品メーカーの美容部員。
神戸にある、とある百貨店内のカウンターが仕事場で、日々女性を美しく彩るべく頑張っている。
そんなある日曜日の昼下がり、男女ふたり連れのお客様が通りかかった。
── って、も、もしかしてあれは!
神南高校の東金千秋クン !?
やだ、ちょっと、どうしようっ!
クラシック音楽を大胆にアレンジした華やかなライブが大人気で、かくいう私もそんな彼らの大ファン。
何度もライブに足を運んだことがあるのだ。
きゃーっ、近くで見ても超かっこいいっ!
今日は土岐クンや芹沢クンの姿は見えないけど……
も、もしやあの女の子は東金クンの彼女さん !?
東金クンは『綺麗なお姉さん』系が好みかと思ってたけど、なんともふんわりした可愛い女の子だ。
うわぁ……なんか意外。
「あっ」
声を上げた彼女さんが駆け寄ったのは、リップグロスのコーナー。
東金クンが彼女さんの背後から覗き込む。
とりあえず、いらっしゃいませ〜、と声をかけたけれど、どうやら気づかれなかったみたい。
「ふぅん、お前も多少は色気づいてきたか」
「……どういう意味ですか」
「そのままの意味の他に何がある。
お前、いつもは薬用リップだろ。
ったく、色気のねぇ」
「むぅ……」
辛辣な東金クンの言葉に、彼女さんはむくれて頬を膨らます。
すると、ニヤリと笑った彼が、ぷっくりした頬にちょんと触れた。
きゃっ、青春!って感じで可愛い!
「まぁ普段はいいとして、ステージに上がる時くらいはこういうのをつけた方がいいんじゃねぇのか?」
ステージ…?
ということは、彼女さんも何か楽器をやってるってことかしら?
「そうですねぇ……
って、そうじゃなくて!」
「おい……
どっちだよ」
「これ!
これです!」
興奮気味に彼女さんが指差したのは、陳列棚に貼った販促用のポップ。
CMキャラクターであるイクシオンのRYUが女性の背後から目隠ししながらグロスを塗ろうとしている、というなかなか色っぽい写真が載っているものだ。
人気タレント起用のおかげで、このグロスは今一番の売り上げを誇っている。
「── はぁ?
……ああ、確か『イクシオン』とかいうバンドのヴォーカルか。
お前がこういうのが好きだったとは初耳だぜ」
「いえ、よく知らないんですけど……」
「はぁ?」
「聞いて驚いてください!
この人、火積くんのお父さんなんですって!」
「ほづみ……?
……まさか、ユキんとこの2ndトランペットじゃねえだろうな?」
「そのまさかなんです!」
うわぁ、RYUって高校生の子どもがいるの !?
……って、盗み聞きしてるみたいで心苦しいんだけど、しょうがないよね、聞こえてくるんだから。
「へぇ……全く似てねぇ親子だな」
「……それを千秋さんが言いますか…」
「うっ、うるせぇ!」
ジトッとした目で見る彼女さんに、東金クンが慌ててる。
やだ、そういう表情もするんだ……
ステージの上で見る彼とは全然違ってて、すごく新鮮!
「それで!
どの色にするか早く選べ!」
「いえ、買いませんよ?
火積くんのお父さんを見てみたかっただけなので」
あぁ、『お客様』ではなかったのね……
まぁ学生さんがほいほい買えるようなプチプライスではないし、しょうがないか。
「いいから選べよ。
こういうのを贈るってのもまた一興じゃねぇか」
「……なんか変なこと考えてませんか?」
「変なこと?」
彼女さんの疑いの眼差しに、東金クンはしばし考えて、それからニヤッと笑う。
「── ああ、『贈った口紅はキスで返してもらう』ってのを期待してるんなら、いくらでも応えてやるぜ?」
「い、いえっ、今は遠慮させていただきますっ!」
『今は』というと……まあ学生さんでも、おつきあいしてるならそれくらいはねぇ。
はぁ……なんだかちょっとショックだけど。
「まあいい、お前が選ばないんなら俺が勝手に選ばせてもらう。
そうだな──
これを頼む」
彼は色合いの違う3本のグロスを摘み上げると、彼女さんが『いりませんからっ!』と腕を引っ張るのも構わず私に差し出した。
「えっ……
あっ、はい、ありがとうございますっ!」
急にふたりに注目されてドキドキしてしまって、受け取る手が震えるのが恥ずかしい。
一緒に出されたカード──
さすがは東金家のお坊ちゃま、ゴールドカードですよ──
で決済をして商品と一緒にお返しする。
彼は袋の中から1本のグロスと取り出して封を切ると、くるくると蓋を開けて彼女さんの口元にチップを近づけた。
「い、今つけるんですかっ !?」
「当然だろ。
俺様が直々に塗ってやるんだ、大人しく塗られてりゃいい」
不敵な笑みの東金クンは、彼女さんの顎を左手でくいっと持ち上げる。
彼女さんは思わずぎゅっと目を瞑った。
……って、人目も憚らず私の目の前で、ですよ。
はぁ……
彼は器用にチップを滑らせると、彼女さんの唇はつややかな桜色に彩られた。
うん、彼女さんの肌の色にも合っていて、とてもよく似合っている。
さすがは東金クンのチョイスだわ。
彼は満足げにひとつ頷いて、
「── あぁ、いいな。
華やかになった」
「そ……そうですか…?」
「ちょっと唇を合わせてみろ」
「えっ !?
今、ここでですかっ !?」
ガバッと口元を両手で覆って、3歩ほど後退る彼女さん。
東金クンは大仰な溜息を吐いて、
「いくら俺でもこんなところでキスするわけねぇだろ。
上下の唇を合わせて馴染ませろって言ってんだよ」
「あっ、そ、そうですよねっ、あはははっ」
う〜ん、あの彼女さん、相当な天然ボケさんと見た。
天然が許されるのは十代のうちだけよ、なんて僻み根性が頭をもたげてきて、ちょっと自己嫌悪だわ。
むにむにと唇を合わせてから、にぱっと花が咲いたように笑った彼女さんは、
「どうですか?」
彼の答えを催促するように僅かに小首を傾げた。
あ、可愛い♪
「ハハッ、馬子にも衣装、地味子にもグロス、だな」
「もうっ!」
うわぁ、東金クン、ひどいよ。
そこはちゃんと誉めてあげなきゃ……
って『じみこ』って何?
彼は持っていたグロスを元の袋に入れて、彼女さんに手渡した。
「ま、いつも頂いているお前の薬用リップのお返しだ」
「……あ、ありがとう……ゴザイマス…」
受け取った彼女さんは真っ赤になって俯いてしまっていた。
あーはいはい、キスの口実の口紅(グロスだけど)の『後払い』なわけね。
「今度のパーティ、それをつけて来いよ」
「はい、そうします」
「よし、その色に合うドレスを選びに行くか」
「あのっ、ドレスはこの前、お父様にいただいて……」
「はあっ !?
聞いてねぇぞ!
あのクソ親父、いつの間に──
だったらアクセサリーだ!
アクセサリー見に行くぞ!」
「えっ、いいです!
私、いただいてばっかりで──」
「いいから来い!」
………………。
理解不能なセレブな会話が遠ざかり、売り場を行き交うお客様の中にふたりの姿が消えた後。
「……ありがとうございました〜……」
私は脱力しながらおざなりに頭を下げ、大きな溜息を吐いたのだった。
……あー、なんだか疲れたわー。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
AS至誠館ネタ(笑)
【2014/04/21 up】