■お嬢様と執事の光景の真実 東金

 菩提樹寮のラウンジに足を踏み入れた支倉仁亜は、そこに見えたありえない光景に思わず目を瞠った。
 見えたのは、座り心地のよい椅子にちょこんと座る小日向かなで。
 それはいい。 寮生がラウンジで寛ぐのは、よくある光景だ。 寛いでいるにしてはやけに緊張しているように見えるのは、今はとりあえず置いておくことにしておこう。
 だがその横に寄せたワゴンの上に並べられたティーセットでお茶を入れているのは、絶対にそんなことをしそうにない人物── 東金千秋だったのである。
「……幻覚が見えるとは、ついに私も焼きが回ったか」
 疲れたように呟きながら目頭を指先で軽く揉みほぐし、再びラウンジに目を向けると、それは決して幻覚などではなく確かにそこに存在していた。
 かちゃり、と陶器の鳴る音を立てて、かなでの前のテーブルにティーカップが置かれる。 置いたのはもちろん東金だ。
 これが東金ではなく、神南のアンサンブルメンバーの一人・芹沢睦だったなら『お嬢様にお茶を出す執事』的な光景に見えただろうし、それこそよく目にする『いつもの光景』なのだが。 ニアは訝しげに目を細め、混乱気味の頭をなだめるようにこめかみを指先で押さえた。

「── 飲んでみろ」
「あ、は、はいっ、い、いただきますっ!」
 かなでは手の中の深紅の水面にふぅふぅと息を吹きかけてから、恐る恐るカップに口をつける。 こくり、と小さく喉を鳴らして飲み込むと、ふんわりと顔を綻ばせた。
「うわぁ、おいしいです!  全然渋くなくてまろやかだし、それにとってもいい香り!」
「俺が入れた紅茶だ、当然だろう?」
 東金の口元にニヤリと笑みが浮かんだ。 自信満々な言葉をそのまま写し取ったようなしたり顔だ。

「── ほぅ、最近の着ぐるみはやけに精巧にできているんだな」
「『着ぐるみ』…?」
 彼らのやりとりを全く無視して放たれたニアの一言に、東金が眉をつり上げた。
「中に芹沢睦が入っているんだろう?  身体のだぶつきもなく、表情も自然そのもの。 背中のファスナーが見えないようだが、いや、見事なものだな」
「……お前の目は腐ってんのか?  正真正銘の東金千秋様を着ぐるみ呼ばわりとはな」
 東金は不機嫌そうにフンと鼻を鳴らして、もうひとつのカップに紅茶を注いだ。 新たに立ち昇った香りがニアのところまで漂ってきた。 悔しいことに、確かにいい香りだ。 ニアの眉間に思わず皺が寄る。
「── で、その『東金千秋様』がどうして執事のような真似をしてるんだ?  いつもなら芹沢を呼び付けるか、目の前にいる小日向にお茶を入れさせているだろう?」
 普段の彼を知る者ならまず最初に頭に浮かぶ簡単な疑問をストレートに口にする。
 すると東金は再びフンと鼻を鳴らした。 今回のは完全に人を小馬鹿にした笑いである。
「形の見えないものを伝えたい時、どんなに言葉を重ねたところで正確に伝わるはずもねえ。 それならそのものズバリを体験させるのが一番手っ取り早いだろう?」
「まあ、形あるものですら、言葉で説明しきれるものではないしな」
 ニアが不本意ながら納得の意思を示すと、東金はやけに満足そうにニヤリと笑い、大人しくちびちびと紅茶を飲んでいたかなでの方へと視線を向けた。
「── というわけで、小日向、これが俺の好みの紅茶のひとつだ。 よく覚えておけよ」
「は、はいっ!」
 素直すぎるかなでは極めて素直に返事をした。 余りの素直さに呆れたニアの口から知らず溜息が漏れる。
「東金……お前は小日向をメイドにでもするつもりか?」
「ええっ !?  『神戸に来い』って言ってたのは、東金さんちでメイドになれってことなんですかっ !?」
 カチャン、とカップを置いたかなでが、胸元でぎゅっと手を握り合わせながら、悲愴な顔で東金を見つめていた。
 はふ、と小さな溜息を吐いた東金は、
「メイドをやりたいなら止めねえが……まあ、うちに来るなら賓客待遇でお嬢様扱いしてやるさ」
 と言ってから、ふと考え込んだ。
「── いや、『客』でも『お嬢様』でもないな。 ここは『奥様』ってところか」
「『奥様』…?  誰が……誰の……?」
 きょとんとしたかなでが小首を傾げると、東金はカップを片手にゆったりと椅子に腰を落ち着け、これ見よがしな動きで長い脚を組んだ。 そして『言わなくてもわかるだろう?』と言わんばかりの意味ありげな視線をかなでへと送る。
「え…………あっ!」
 どうやら鈍感な彼女にも視線の意味は伝わったらしい。
 かなではカップの中の紅茶が染み込んだかのように顔を真っ赤に染め、両手で頬を押さえて恥ずかしそうに俯いた。
 そんな彼女を眺めながら、ふ、と満足そうな笑みを浮かべ、東金は手ずから入れた紅茶に口をつけた。

 馬鹿馬鹿しくなったニアが無言でその場を去ったのは、当然の帰結に違いない。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 お久しぶりでございます(滝汗)
 某『お嬢様刑事と毒舌執事』のドラマから生まれたネタです。
 いや、先に原作読んでますが。
 東金さんが執事なパラレルを書こうと思ったのですが、
 当然の如くどうしても彼は執事になってくれませんでした(汗)
 リハビリしてます。
 なんかもやもやな話でごめんなさい。

【2011/11/03 up】