■Shall we dance?【後編】 東金

 文化祭2日目。
 講堂での最後の演目はオーケストラ部による演奏会だった。
 オペラの序曲に始まり、夏のコンクールで優勝を勝ち取ったメンバーによるアンサンブル、そして壮大な交響曲で幕を閉じた。
 控え室に戻ったかなでは、これまで毎日練習してきた成果を披露し終えた充実感と、張り詰めていた緊張からの解放感で、片隅の椅子に座ってぼんやりしていた。
 目の前では他の女子部員たちが慌ただしく着替えている。 オケ部お揃いの細い肩紐のシンプルな白いロングドレスから、今夜のために新調した色とりどりのドレスへと。 気が抜けきったかなでとは対照的に、相当な気合いの入り様だ。 既に相手が決まっている者も、会場での申し込みに期待を膨らませる者も、皆きらきらと目を輝かせている。
 カラフルなドレスの一群がぞろぞろと控え室を出て行った後、かなではようやく重い腰を上げ、着替えることにした。 綺麗なドレスではなく、制服へ。 後夜祭に参加する気はないので、あとは寮に帰るだけだ。
 強制参加じゃなくてよかった、と思いながら、最近ようやく気慣れてきた白いジャケットをバサリと広げる。 と同時に控え室の扉をノックする音が聞こえた。
「── あ、すみません、今着替え中です」
 かなでの答えを無視するように、ガチャリと扉が開いた。
「あっ、あのっ…………ニア?」
「ああ、よかった。 まだドレスのままだな」
 入ってきたニアがニコリと笑う。
「さあ、行くぞ。 急がないと後夜祭が始まってしまう」
「えっ、私、後夜祭には──」
「君には私の取材の助手を務めてほしいのさ」
「でも、私、何もできないよ?」
「ああ、一緒に来てくれるだけでいい」
「……だったら、着替えるからちょっと待ってて」
「そんな暇はないな── さあ」
「えっ、ちょ、ちょっと、ニアっ !?」
 急に腕を引っ張られ、控え室から連れ出された。 かなではドレスの裾を踏まないように摘まみ上げながら、足を動かす他になかった。

 後夜祭会場の普通科棟エントランスは異様な熱気に包まれていた。
 あちこちに小さな花束── 生花で作られたコサージュを差し出す正装した男子生徒の姿があり、頬を染めながらコサージュを胸元につけてもらっている着飾った女子生徒の姿がある。
 すごい人だかりだな、と思って目を向けると、それは聞いた話の通り、逆申し込みのために榊 大地に群がる大勢の女子生徒の集団だった。
 呆気にとられているかなでの横で、ニアが腕時計をチラリと見た。
「さて、そろそろ、か……」
 呟いて、何故かニアは入り口の方を気にしている。
 どうしたの、と尋ねようとししたところで、
「── あ、あのっ、小日向さん!」
 声をかけられ振り返ると、数人の男子生徒が駆け寄ってきた。
「あ、はい……?」
「あのっ、俺と踊ってくれませんかっ!」
「僕と踊ってくださいっ!」
「いや、できれば俺と!」
 一斉にいくつものコサージュが差し出される。
「えっ、わ、私は──」
 エントランスの入り口辺りからきゃーっと悲鳴のような声が上がったのは、ちょうどその時だった。
「── 『もう相手は決まってますから』くらい言えねえのか、お前は」
「えっ…?」
 波のように押し寄せてくる黄色い声が響く中、生徒たちが動いて海が割れるように通路のようなものが出来上がった。 その向こうからゆっくりと歩いてくるのは──
「どうして……?」
 艶やかなワインレッドのロングタキシードに身を包んだ東金千秋だった。 人で作られた花道を優雅に歩いてきた彼は、かなでの前で足を止めた。
「どうしても何も、こんな面白いこと、この俺様が見逃すはずがねえ」
 さも当然のことのように言い放ち、千秋は口の端を上げてみせる。
「で、でも、今日は神南も文化祭で、管弦楽部のステージがあったんじゃ……」
「ああ、きっちりこなしてきたぜ?  その後、チャーターしておいたヘリでひとっ飛びだ。 本当はお前の演奏も聞きたかったんだが、さすがに間に合わなかったな……残念だ」
 パシャリ。 軽い音と同時に一瞬のまばゆい光が辺りを照らす。 カメラを手に、ニアがチェシャ猫のような笑みを浮かべていた。
「── 成功報酬を忘れるなよ」
 ニアはそう言って、気まぐれな猫そのものの動きで向こうへと姿を消す。
「あ、あのっ、報酬って……」
「お前を引き止めておくよう依頼したら、報道部の資金調達用の写真を撮らせろと要求された。 あの女……なかなかの商売人だな」
「そ、そういう問題じゃ……」
 顎先を撫でながら感心したように呟く千秋。 呆れ果てたかなでは、次の言葉を見つけられずに金魚のように口をぱくぱくさせている。
「── 芹沢」
 すっと差し出されたのは、真紅の薔薇をメインにした、見るからにゴージャスなコサージュ。 捧げるようにして差し出しているのは、いつの間に現れたのか、オーソドックスな黒いタキシードを着た芹沢 睦である。 その横には落ち着いた艶のあるシルバーに近いグレーのタキシード姿の土岐蓬生の姿があった。 思いがけない『神戸から来た王子様』の登場に、女子生徒たちの興奮は最高潮まで昇り詰めていた。
「それにしても地味なドレスだな。 もう少しマシなのはなかったのか?」
 芹沢の手からコサージュを受け取った千秋は、衆人環視の中、かなでのドレスの胸元にすっと指を差し入れる。
「ひゃっ !?  い、いきなり何するんですかっ!?」
 胸を庇いながら飛び退くかなで。 その顔は絵の具を塗ったかのように真っ赤だ。
 と、千秋は心外そうな顔で、
「……ない胸でも、針で刺されたら痛いだろう?」
 コサージュの裏に付けられたピンが天井の明かりにキラリと光る。
「むっ、胸があってもなくても、刺されたら痛いに決まってますっ!」
「だったら大人しくじっとしてろ」
 赤い顔のまま、かなでは胸元を庇っていた腕を下ろした。
 千秋は苦笑しながら、さっきと同じ行動をする。 差し入れた指でドレスの胸元の生地を浮かせながら、慎重に針を刺し、ピンを留める。 かなでの胸元は美しい薔薇で飾られた。
「── で、少しは練習して踊れるようになってるんだろうな?」
「れ、練習なんてしてませんよ!  だって、千秋さん学校違うし、同じ日に文化祭だし……他の人と踊るなんて考えられなかったし……
 最後の小さな呟きに、千秋の口元が微かに緩んだ。
 かなでの腰に腕を回し、ぐいっと引き寄せる。
「きゃっ !?」
「だったら、俺が教えてやる── 手取り足取り、な」
 鼻の頭が触れ合うくらいまで顔を近づけて囁けば、かなではさらに頬を赤く染めて千秋の腕に身を委ねてくる── かと思いきや。
 ぱちぱち、と音が聞こえてきそうな瞬きを繰り返すこと数回、
「えっ、千秋さんってワルツ踊れるんですか?」
 小首を傾げて、さも意外そうに聞いてくる。 その可愛らしさは、今の千秋にとっては可愛すぎるが故に少々憎たらしい。
「……パーティに出ることが多いからな、ワルツくらい嗜みのうちだ」
「えっ、そうなんですか?  わー、すごーい」
「他人事じゃないぜ?  お前も踊れるようになってないと、後々困ることになるんだからな」
 にやり、と笑うと、かなではきょとんと目を丸くする。 それからしばらくして、あ、と小さな声を上げて、さっと頬を朱に染めて恥ずかしそうに俯いた。
 そして、ざわめきが収まらないエントランスホールに、ウィンナ・ワルツの軽快な音色が鳴り響き始めた。

*  *  *  *  *

 しばらくすると、エントランスホール内にはいろいろな人間模様が描かれていた。
 意中の相手と楽しげにワルツを踊っている者。
 二つの女子生徒の塊の中心で静かに火花を散らす『副部長対決』再び。
 意外にも器用にワルツを踊る芹沢は、曲ごとに別の女子生徒から逆申し込みを受けていた。
 そして踊る相手のいない男子生徒たちのやさぐれオーラが怨嗟の声となって聞こえてきそうなほどにどす黒く渦巻いていた。
 そんな中、かなでは壁際のベンチにぐったりと沈んでいた。
 『習うより慣れろ』── そう宣言した千秋に振り回されたおかげで気分が悪くなってしまったのである。 自分の意志でなくくるくるとターンさせられ続ければ、酔うなというのが無理というもの。
「── 大丈夫か?」
 隣に座る千秋に借りたハンカチで口元を押さえ、弱々しく頷くかなで。 とても大丈夫そうには見えなかった。
「……悪かったな」
 目の前を一組のカップルが息の合ったステップで踊りながら横切り、直後に感じる微かな風圧。 ふるふると小さく首を横に振るかなでの髪が、動き以上にふわりと舞い上がった。
 と、かなでがぽてり、と千秋の腕に顔を埋め、寄りかかってきた。
今日会えると思ってなかったから……嬉しいです
 見下ろすと、腕から顔を上げたかなでが、えへへ、と照れ臭そうに笑った。
「── よし、寮に戻るぞ」
「えっ、もう少し休んだら大丈夫──」
「この場でキスされてもいいんなら、ここにいてもいいぜ?」
 意味ありげに目を細めると、かなでの顔が爆発したように一気に赤くなった。
「かっ、帰りますっ!  あ、その前に講堂に寄らせてください。 荷物置きっぱなしだから」
 気分の悪さも忘れてしまったのか、すっくと立ち上がったかなでは壁沿いにエントランスの入り口を目指していく。
 ── たまにはこういうのも悪くないな。
 今日一日の強行軍を思い返しつつ苦笑を浮かべた千秋は、かなでの後を追いながら上着を脱ぐ── 白いドレスにも負けないくらい白い彼女の肩にかけてやるために。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 すみません、ぼんやりした話で(汗)
 長編にも文化祭が出てきましたけど、あれとは別次元ということで。
 東金さんはかなでちゃんと踊るために、何が何でも来るだろうなー、と(笑)
 そしてタイトルに偽りあり(笑)
 東金さん、一言も『踊ってくれ』とか言ってないし(笑)
 で、コルダ2でずっと思ってたんですけど。
 あいつらどうやって香穂子さんにコサージュつけたんだ?
 香穂子さんのドレスの胸元、ぴったりフィットな感じだよね?
 という疑問を自己解決(笑)

【2011/10/16 up】