■勘違い 東金

「── えっ、明日じゃなかったんですかっ !?」
 10月1日── 喜び勇んで菩提樹寮を訪れた東金千秋の前で、小日向かなでは心底驚いた顔でそう言った。

*  *  *  *  *

「……いいから少し落ち着け」
 千秋はあまりの脱力感にくじけそうになる心を自ら奮い立たせ、『うぇっ、いやっ、そんなっ!』と意味不明な言葉を口走りながらおろおろと慌てふためくかなでの肩をがしりと掴んで軽く揺さぶった。 涙が滲んだ大きな瞳が、ようやく千秋の顔の上に焦点を結ぶ。
「先週、俺が横浜に来た時に話したことは覚えてるな?」
「もちろんですっ!  『10月1日は千秋さんのお誕生日で、ちょうど週末で学校がお休みだから、ご馳走たくさん作ってお祝いします』って約束しました!」
「で、今日がその10月1日なんだが、カレンダーを見てないのか?」
「えっ……カレンダーなんて見なくたって、ちゃんと指折り数えてましたよ。 月曜日からずっと、学校の黒板に書いてある日付見て」
「まさか20より大きい数は数えられないとか言わねえよな?  ハッ、お前はどこの幼稚園児だ?」
「ばっ、バカにしないでくださいっ!  ちゃんと数えられますっ!」
 そしてかなでは開いた手のひらを自分の顔の前にかざし、
えと、月曜日は26日だったから……26
 ぼそぼそと呟きながら、親指を折り曲げる。 さらに順番に指を折りつつ、
「27、28、29、30、31……」
「それだっ!」
 千秋は思わず声を上げた。
「えっ !?」
 ぱちぱちと瞬きする彼女の鼻先にびしっと人差し指を突きつけ、千秋は叫ぶ。
「9月に31日はねえっ!  人類がグレゴリオ暦を使い続ける限り、永遠にな!」
「え………………えええぇぇぇっ !?」
 ひとしきり叫んだ後、余程ショックを受けたのか、力尽きたようにカクンと項垂れたかなで。 ゆるゆると頭を持ち上げると、
「ふぇ〜ん、どうしましょう〜……」
「そう言われてもな……仕方ない、中華街にでも繰り出すか」
 千秋が溜め息混じりにそう呟くと、
「── いえ!  約束は約束です!  今から何か作ります!」
 きりりとした表情でそう宣言したかなでは、ばっと突き飛ばすようにして千秋から離れ、くるりと踵を返してバタバタと女子棟へ駆け込んだ。

 しばらくして戻ってきた彼女の手には財布が握られていた。
「急いでお買い物してきますから、ちょっと待っててください!」
 さっきと変わらず玄関先に立ち尽くす千秋の横を、立ち止まることもなく駆け抜けていくかなで。 開け放たれたままの扉の向こうへと飛び出していく。
「お、おいっ!」
 確かに素晴らしい腕を持つ彼女の手料理を楽しみにしていたのは事実だが、千秋がわざわざ神戸から横浜まで出かけてくるのはそれだけが理由ではない。 距離がある分、週末ぐらいしか会えないのだから、少しでも長く一緒に時間を過ごしたいというのに──
 眉根を寄せつつ、そんなことを心中でぼやいていると、門まで到達したかなでがぴたりと足を止めた。 くるん、と身体の向きを変え、なぜか玄関まで駆け戻ってくる。
 忘れ物か?  それとも荷物持ちのために一緒に来いとでも言うのだろうか?
 戻ってきたかなでは、千秋の二の腕あたりの袖をきゅっと握った。 踵をぐいっと上げて伸び上がってくる。 内緒話でもあるのか、と思った千秋は少し膝を折って身体を低くし、彼女の方へと耳を寄せた。
 すると。
 ほんのり温かくて柔らかいものが、むにゅっと頬に押し付けられた。
「── !?」
「えへへっ、お誕生日おめでとうございます♪  じゃ、行ってきますっ!」
 だっと駆け出したかなでは、今度こそ止まらずに門を飛び出して行った。
 千秋はゆるゆると持ち上げた手を、まだ柔らかな感触がありありと残る頬に当てる。 そしてその口元はチョコレートが溶けるかのように甘く緩んでいくのだった。

*  *  *  *  *

「── 副部長、お茶でも入れましょうか?」
「……けど俺ら、もうここの住人やないしな」
「寮母さんに断っておけばいいのではないでしょうか」
「せやね……思いっきり渋いの、頼むわ」
 千秋に呼び付けられてわざわざ同行してきた二人だったが、完全に眼中から外され、目の前で甘ったるい恋人同士のシーンを見せつけられ、ひたすら呆れながら必死になって記憶の消去を試みるのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 東金さん誕生日祝い〜♪
 はい、忘れてましたよ。完全に。
 いや、31日まであると思ってたわけじゃないですけどね。
 天然なかなでちゃんならありそうかな、と(笑)
 リアルコルダ3イヤーだから成立する話ですな。

【2011/10/01 up】