■お約束
「── あのぉ、どこへ向かってるんですか?」
「着いてからのお楽しみだ」
タクシーの中、不安そうに尋ねてくる小日向かなでに、悪戯めいた笑みで答えたのは東金千秋。
予告なくふらりと横浜を訪れた彼は、問答無用でかなでを菩提樹寮から連れ出したのである。
日差しがさんさんと降り注いで暖かく、耳には打ち寄せる波音が響いている。
少し遠くで群れて飛ぶカモメが楽しげに騒いでいた。
「ふわぁ……」
かなでが感嘆の声を上げて呆然と見上げるのは白くて巨大な船体。
約2時間をかけて横浜港から東京湾を巡りつつ食事が楽しめるレストラン船である。
そう、彼らは横浜港に来ていた。
昼前の今はランチクルーズの乗船受付の真っ最中だった。
「あ、あのっ、私たち、これに乗るんですかっ !?」
「ああ。
本当は貸し切りにしたかったんだが……」
東金は船に続くタラップを上がっていく客たちへとちらりと視線を走らせて、
「急に思い立ったからな、さすがに無理だった」
「貸し切りなんてとんでもないです!
すごく嬉しいです!
私、こんな大きな船に乗るの初めて!」
目をきらきらと輝かせてはしゃぐかなで。
ここまで思い切り喜んでもらえれば、自分の思い付きもまんざらではない、と東金は満足感に浸る。
「乗るぞ。
はしゃぎすぎてコケるなよ」
「あ、ひどい!
私そこまでドジっ子じゃありません!」
「さあ、どうだかな」
東金はクスクス笑いながら、むくれて頬を膨らませるかなでの手を取り、タラップを上がっていった。
船内のレストランで中華料理に舌鼓を打つ。
大きな船はほとんど揺れを感じさせることもなく、地上で食事を楽しむのと変わりはない。
ただ、窓の外に目を向ければ遠くに見える景色がゆったりと流れていくことだけが大きな違いだろう。
食事が終われば船本来の機能を楽しむ番だ。
甲板に出て、日差しと潮風をめいっぱい身体に浴びる。
「きゃあ、広〜い!」
かなでのはしゃぎっぷりはまるで子供だ。
東金はまるで小さな子供の保護者になったような面映ゆい気分で、船首へ向かって駆けていく彼女の後を追った。
鋭角に閉じた先端から恐る恐る下を覗き込んでいる彼女を、後ろから腕の中に閉じ込めるようにして手すりを掴む。
舳先が海を切り裂いていくのが彼女の肩越しに見えた。
白く泡立つ波が左右に分かれ流れていく様を見つめていると、すぅっと吸い込まれていくような錯覚を感じてしまう。
「── 千秋さん、なんだか私たち、『ジャック』と『ローズ』みたいですね」
真っ直ぐに進行方向を見つめながら、かなでが楽しそうにそう呟いた。
唐突に出てきた外国人の名前らしい固有名詞。
はて誰のことだろう?
今の状況を加味して考える。
「── まさかと思うが、『タイタニック』か?」
「わ、大正解!」
「お前……ネタが古すぎるにも程があるだろ」
「え、そうなんですか?
でも、こういうシーンがあるんですよね?」
言いながら、かなでは両腕を水平に上げた。
ここで腕を上げて彼女の腕に添えてやれば、彼女はきっと『タイタニックごっこですね♪』などと言って喜ぶであろうことは間違いないのだが──
どうやら彼女は映画のストーリーを把握しているわけではないらしい。
それならば。
「ひゃっ !?」
かなでの可愛らしい悲鳴が海風に運ばれていった。
「な、何してるんですか、千秋さんっ!」
「わからないのか?」
「わ、わかってますけど……どうしていきなり、だっ、抱き締めるんですかっ」
東金は彼女の暗黙のリクエストに応えるよりも、両腕を上げて完全に無防備になった彼女の身体を背後から抱き締めることを選んだのである。
さらに彼の手はかなでの身体の前面でさわさわと動き始めた。
「ちょっ、ち、千秋さんっ!
む、胸とか触ってないで、腕っ、腕上げてくださいっ!
タイタニックごっこなんですから!」
── やっぱりそのつもりだったか。
あまりに想像通りで吹き出しそうになる。
「それなら俺は間違ったことはしてないぜ?
ジャックとローズは、船に乗せられていた車の中で───」
怪しげに声をひそめ、その後の展開を彼女の耳元でそっと囁いてやる。
するとみるみる彼女の顔が真っ赤に染まっていった。
「……も、もう二度と『タイタニックごっこ』とか言いませんっ」
目の前には広い空と海、後ろも塞がれて逃げ場のないかなではどうすることもできない。
こんな食事だけの短い航海では物足りない。そのうち世界一周の船旅に連れて行ってやるか──
東金はにんまり笑いながら、もじもじと身じろぎしている彼女をしっかりと抱きすくめるのだった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
なんかね、ついったのたいむらいんにこんなねたがおちてたのをひろったんだ。
……ごめん、やりすぎ?
わかるよね、意味。映画見てないとわかんないと思いますが。
東金さんは映画を見たことあるんだけど、かなでは某CMで最近知ったって設定。
船は一応横浜港のロイヤルウイングのつもり。
でも実際は舳先が見えるところには行けないみたいです。
【2011/01/17 up】