■1.標的になった彼女 東金

【お題】恋している10のお題(by 追憶の苑さま)/01:待つ時間は長いけれど

「── あれ?  芹沢くん?」
 菩提樹寮のラウンジでひとり紅茶のカップを傾けていると、背後から声をかけられた。
「……お帰りなさい、小日向さん」
「ただいまー」
 たった今外から戻ったのか、ヴァイオリンケースと小さなバッグを手にニコリと笑う小日向かなで── どういう訳か部長と副部長の目に止まってしまった彼女は、気の毒なことに現在集中的に二人からイジられる日々を送っている。
 副部長は小さな愛玩動物を拾ったように思っているのだろう。
 部長の方は……彼女のことを『地味子』と呼び放ち(最近はちゃんと名字で呼んでいるようだが)、わざと怒らせるような鋭い言葉を向けている。 あれでは『イジる』というより『イジメ』に近い。
 気づけば彼女は怯えた小動物のようにキョロキョロとラウンジ内を見回していた。
「……部長たちならいませんよ」
「え……?」
 大きな目をぱちくりと瞬いて。
「別に、練習以外で四六時中一緒にいるわけじゃありませんから」
「あ……そうなんだー」
 余程部長たちを警戒していたのか、彼女は張り詰めていた緊張を解いたように見えた。
「……あなたも紅茶を飲みますか?」
 引き止めようと思ったわけではないのだが、何故か咄嗟にそう提案していた。 たぶん彼女への同情からに違いない。
「ありがとう!  いただきます!」
 躊躇うことなく笑顔が返ってきた。 ここまで嬉しそうな返事だと清々しくて気分がいい。
 すっかり慣れた手順で紅茶を淹れる。
 どうぞ、とカップを置くと、ちょうど腕時計を見ていた彼女が慌てて顔を上げ、ニコリと笑ってカップを手に取り紅茶を一口啜った。
「── んーっ、おいしいっ!」
 誉められるのはお世辞でも多少は嬉しいものではあるが、彼女の言葉はとてもストレートで作った部分が見られない。 そういう誉められ方はやはり嬉しい。
「やっぱり自分で淹れるよりおいしいですねー」
「慣れれば誰でも淹れられますよ……俺もあの人に鍛えられましたから」
「『あの人』ってやっぱり……東金さんのこと、ですよね……?」
「他にいませんよ」
 思わず苦笑すると、彼女は真剣な顔つきでぐいっと身体を乗り出してきた。
「あ、あの……東金さんって、どういう人なんですか?」
 対策を立てるにはまず敵を知れ、ということなのだろう。
 物言いのはっきりした部長は時として男でも立ち直れないほどの厳しい言葉を投げかける。 これからセミファイナルで直接対決する敵に塩を送ることになってしまうが、気の毒な彼女の『東金千秋対策』に少しでも役立てば、と部長の人となりを少し話してみる気になった。

「── 何やってんだ、お前ら」
 そう声をかけられたのは、自分のピアノを部長に認めてもらえた日の話をちょうど終えた時だった。
 なんとなく気になって彼女の顔を見ると、ひくり、と口元を引きつらせていた。 話している間も時間を気にしているようだったし、できることなら部長と顔を合わせたくないと思っていたのだろう。
「2年同士で交流会か?」
「……ええ、そんなところです」
「はっ、言うじゃねぇか。芹沢、ダージリンだ」
「わかりました」
 湯を沸かしに台所へ向かう。 苦手な相手の所に彼女ひとり残していくのは気の毒ではあったけれど仕方がない。

 台所で紅茶を淹れてラウンジに戻ってくると、部長がゆったりと足を組んで座る椅子のそばに彼女が立っていた。 どことなくそわそわしているようにも見える。 自分がここを離れている間、逃げるに逃げられなかったのだろう。
「……お待たせしました」
 彼の前にことり、とカップを置く。
「ああ」
「……そ、それじゃ」
 彼女が床に置いていたヴァイオリンケースを拾い上げた。
「っと、小日向、おまえはまだここにいろよ。 俺のティータイムにつき合え」
 呼び止められて彼女の動きがぴたりと止まる。 やはり逃がしてもらえなかったか──
「……こういう人ですから諦めてください」
 気の毒な余り、慰めも含めてそう言うと、
「はい、諦めます」
 何故か彼女が嬉しそうに笑っていたのが不思議で仕方なかった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 原点回帰。
 長編が完全に行き詰ってるものですから。
 『東→→←かな』が長編。
 今度は『東→←←かな』な感じで。
 結局『帰ってくる前に逃げよう』じゃなくて『早く帰ってこないかなー』だったという(笑)

【2010/11/21 up】