■Monopolist Rhapsody
☆サイト開設6周年記念リクエスト大会☆
ホウズキさまからのリクエスト『土日コラボ話(料理絡み)』(長編「SEASONS」設定)
昼食を済ませたかなでは、楽器を持って建物の外に出てきていた。
今の彼女は個人練習の時間。
他の楽器に比べて圧倒的に人数の多いヴァイオリンはいくつかに分けられたグループごとにマスタークラスを受ける。
別のグループになった東金や土岐は今頃有名ヴァイオリニストの指導を受けていることだろう。
滞在している研修施設には学校にあるような防音完備の個室の練習室があるわけではない。
ここでは自然の中すべてが大きな練習室のようなもので、あちこちから音が聞こえる中、彼女は少しでも静かな練習場所を探していた。
かなでは、はふ、と大きな溜息を吐いた。
梢を渡ってきた涼やかな風に吹かれると、なんとなく感傷的になってくる。
ついさっきまで賑やかなランチタイムを過ごしていたせいかもしれない。
ふと見上げた青い空に浮かぶふわふわの雲が風でゆっくりと動いて焼きたてのパンに見えてきた。
「── あー、お料理したいなぁ……」
集中しきれない練習時間を過ごしたかなでは、半ば諦めて自分の部屋へ戻ることにした。
建物に入って横に伸びる廊下の途中の扉が開いて、よろよろとおぼつかない足取りで出てくる人影が見えた。
「あっ、日野さんっ!
大丈夫ですか !?」
かなでは慌てて駆け寄って、よろめく彼女の腕に抱きつくようにして身体を支えてやる。
「……ありがと、かなでちゃん。
いやぁ、さすがに疲れるわ〜。
もう眠いのなんのって、あはは」
気分が悪いわけではなかったことにほっとしながら、かなではゆっくりと彼女──
日野香穂子を近くの長椅子まで連れていった。
プロヴァイオリニストであり、この音楽祭の講師である香穂子は実は妊娠中。
気を遣わせたくないということで公表はしていないが、かなではひょんなことからその事実を知ってしまっていた。
「── あ、悪い。
ちと出遅れたか」
声に振り返ると、長身の男性がぱたぱたと廊下を駆けてくる。
彼は香穂子の夫・土浦梁太郎。
去年プロデビューした指揮者だそうなのだが、残念ながらかなでは彼の振る演奏をまだ耳にしたことはない。
「迷惑かけたな」
「あっ、いえ」
土浦から苦笑混じりの優しい笑みで詫びられて、かなではぶんぶんと首を横に振る。
「香穂、部屋で少し休むか?
あー、その前にできれば何か食った方がいいんだがな」
途端、香穂子は、う゛、と唸って、隣に腰を下ろした土浦の胸にがばっとしがみついた。
そのまま大きく息を吸ったり吐いたりを繰り返している。
つわりで気分が悪くなった時、香穂子は旦那様の匂いを嗅ぐとなぜか落ち着くらしいのだ。
お前は『匂いフェチ』か、と苦笑しながら土浦は香穂子の背中を優しく撫でていた。
「けど何か食わねえと、お前がまいっちまうしな……何でもいいから食えそうなもの言ってみろ。
作ってやるから」
「うー……ケーキ……フルーツたっぷりの」
「わかった。
んじゃ材料調達してくるから、部屋で寝てろ」
「うー」
「あ、あのっ!」
香穂子を抱きかかえるようにして立ち上がる土浦を、かなでは思わず呼び止めていた。
「ん? どうかしたか?」
「あのっ、わ、私にもお手伝いさせてください!」
* * * * *
建物の2階にある大きな会議室での講習が終わり、何気なく窓から外を見下ろした時だった。
「── っ !?」
がばっと窓に張り付いた東金に何事かと思ったのか、隣にいた土岐が同じように外へ目を向ける。
「なんや?
あれは小日向ちゃんと……土浦さん、やな」
真下に見える正面玄関前で手元を覗き込みながら何やら楽しげに話している二人。
背の高い土浦を見上げるかなでは、最近の沈みがちな表情とはまるで違う晴れやかな笑顔だ。
── なんだあいつ、自分の嫁が妊娠中だからって女子高生に手を出す気か…?
もやもやと浮かんでくる嫌な想像が東金を突き動かした。
大事な楽器を置きっぱなしにしたまま会議室を飛び出し階段を駆け降りる。
玄関に辿り着いた時には、もう誰の姿も見えなかった。
東金はポケットから携帯を取り出した。
かけた電話は残念ながら電源オフを告げるアナウンスが流れるだけだった。
かなでを探し回っているうち時間は過ぎ、探し求めていた姿を見つけたのは既に音楽祭参加者の大半が夕食を済ませた頃だった。
「おい、かなで!
今までどこにいた !?」
宿泊棟の方から歩いてきたかなでは、激しい口調で問われて小首を傾げた。
「え?
晩ご飯食べて、ちょっと部屋で休んでましたけど?」
「そうじゃない!」
「あ……ごめんなさい。
一緒に食べようと思ってお部屋まで行ってみたんですけど、お留守だったからまだ練習中かなと思って」
「だったら電話すりゃいいだろうが」
「練習の邪魔しても悪いし……あ、もしかして晩ご飯、まだですか?」
「……ああ」
「早く食べに行かないと時間終わっちゃいますよ?」
後ろめたさの欠片も見えない彼女の様子に苛立って、次の言葉をぶつけようと口を開いた時だった。
「── お、ここにいたのか」
背後から聞こえた声。
「あ、土浦さん!
すみません、今行こうと──
きゃっ !?」
東金は自分の横を小走りで通り過ぎようとしたかなでの腕を掴んで引き寄せた。
腰をさらい後ろ頭を押さえつけるようにして有無を言わさず唇を奪う。
こいつは俺の女だ、と見せつけるように。
かなでの頭越しにちらりと視線を向けると『敵』はぽかんと呆気にとられたような顔をしていた。
東金はざまぁみろとばかりに彼女の唇に押し付けたままの口の端をくいっと上げる。
その時『敵』がぷっと吹き出した。
「ははっ、盛るのはいいが、人前はやめとけって」
「っ !?」
「ほら、そいつ放してやれよ。
いい加減頭の血管切れちまうぞ」
真っ赤な顔をしたかなでが恥ずかしさと息苦しさのあまり気を失いかけていた。
土浦と、頭の天辺から湯気が見えそうなほど怒ってしまったかなでが向かう場所へとぼとぼとついていった東金。
到着したのは大部分の片付けが終えられた食堂の厨房だった。
「すみません、お借りします」
「どうぞ〜」
土浦が声をかけると、決められた夕食の時間ギリギリに駆け込んできた学生のためにご飯をよそっていた気のよさそうなおばさんから返事が返ってきた。
「よし、んじゃ始めるか」
土浦は手に持っていた布のひとつをかなでに渡す。
ありがとうございます、と受け取って広げたそれはエプロンだった。
見慣れた動作で身につける。
同じように土浦もエプロンをつけた。
何をする気だ、と問おうとかなでを見ると彼女と目が合った。
即座にふいっと逸らされる。
たまたま一人にしか見られなかったとはいえ、人前でキスされたことに相当お冠らしい。
「俺は卵白を泡立てるから、小日向は果物な。
あー、くれぐれも怪我してくれるなよ」
「はいっ!」
土浦の指示に従って、かなでは袋からオレンジを出した。
ざっと水で洗ってから上下を包丁で切り落とし、切れ目を入れた厚い皮を剥き、房の薄皮をひとつひとつ丁寧に剥いていく。
その間にも土浦はメモの類を見ることもなく粉や砂糖を量っていき、次に卵に取りかかる。
黄身と白身に分ける作業は、そんなことをやったことのない東金から見ても鮮やかな手際だった。
「あ、そうだ。
2個目のオレンジ剥く時は、先によく洗ってから皮の表面を薄く削いでくれるか」
「え、何に使うんですか?」
「細かく刻んで生地に混ぜ込むんだよ」
「あ、オレンジピールですね」
「ああ、市販のやつを使うと風味よりも甘さが強くなっちまうからな」
「ちょっと苦みの効いた大人の味って感じですね」
「チョコの甘さと合いそうだろ?」
「はい!」
壁にもたれて二人の作業を見つめる東金の心中は煮えくり返っていた。
面白いわけがない。
料理という分野は手も口も出すことができない、自分の入り込めない世界だから。
土浦の手が動き、しゃかしゃかとリズミカルな音を立てる。
「うわー、やっぱり男の人だと泡立つのも早いですね」
「ま、腕力の違いだろうな」
「いいなぁ……あ、次は何をしたらいいですか?」
「チョコレート」
「はい」
── なんでそれだけの会話で解かるのだろう?
かなでは板チョコレートのパッケージを剥がすと、ボウルの中に小さく割って入れていく。
それを大きめの鍋に沸いた湯の中に浸け、しゃもじで掻き回し始めた。
持っていたボウルを置いた土浦が、別のボウルに取りかかった。
粉をふるいにかけ、用意してあった材料を入れ掻き回す。
「そっち、どうだ?」
「はい、溶けました」
「んじゃこっちに入れてくれ。
ちょっとずつな」
「はい」
かなでは湯から上げたボウルの底の水分を拭き取り、土浦の手元のボウルの上で傾けた。
焦げ茶色の細い筋が吸い込まれるように下に落ちていく。
その間も泡立て器を持つ土浦の手は休まず動いていて、クリーム色だった中身が徐々に茶色へと変わっていった。
「よし、じゃあメレンゲを3分の1くらいこっちに入れてくれ」
「はい」
かなでは助手よろしく言われた通りにゴムべらですくった白い泡の塊をボウルに投入する。
がーっと力強く掻き回すと、土浦は泡立て器を置いてかなでからゴムべらを受け取った。
残ったメレンゲをすべて入れ、ふわりふわりと優しく混ぜていく。
よし、と満足そうに笑みを浮かべると、土浦はボウルの中身を一気に型に流し込んだ。
台の上でとんとん、と数回型を落としてから、オーブンの中へ。
東金の口から、はぁ、と溜息が漏れた。
土浦の動きにはまったく無駄がなかった。
指揮者だと聞いているが、まるでその手の動きに合わせて楽器の音色が聞こえてきそうなほど、迷いも躊躇いもない手さばき。
何かが作り出される過程というものは、どうしてこんなにも目を奪ってしまうのだろう。
ある意味彼は『マエストロ』と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。
とその時。
「── できた〜?」
厨房に元気よく入ってきたのは日野香穂子。
耳にした演奏から想像していた人物像をまるで裏切った、子供のような浮かれっぷりだ。
「んな短時間に作れるかよ──
って、起きてきて大丈夫なのか?」
「あー、終わったみたいだよ、つわり」
「そんな突然あっさりとか !?」
「んー、まあそういう時期だし」
「おい……」
疲れたように項垂れた土浦の前を通り過ぎ、香穂子はかなでの元へ。
「ありがとねー、梁のこと手伝ってくれて。
ねえねえ、何のケーキ作ったの?」
「あ、オレンジとチョコのケーキ、です」
「わっ、ほんと !?
久し振りだなー。
昔ね、ショッピングモールの喫茶店で食べたのが美味しくて、梁に作ってもらったんだよねー」
「……お前がホール食いしたいっつったんだろうが」
「えっ、じゃあこのケーキって、土浦さんのレシピなんですか !?」
「まあな。食ってみれば入ってる材料は大体わかるだろ。
後はスポンジの基本に組み合わせてみて、何度か試してみりゃなんとなく似たようなもんは作れるさ」
「わぁ、すっごーい!」
三人の会話に東金が入っていける隙はなかった。
自分だけが隔離されているようで面白くない。
だがどういう経緯でかなでが土浦を手伝うことになったのかは知らないが、結局のところ彼を『敵』と見なしたのはどうやら自分の勝手な思い込みだったらしい。
「── 手伝いとやらは済んだんだろう?」
こんな居心地の悪い場所からは一刻も早く退散してしまおう、と東金がかなでの手を引き厨房を出ようとした時だった。
「── あと1時間もすりゃでき上がりだ。
半分やるから俺たちの部屋まで取りに来い」
「だったらせっかく手伝ってもらったんだし、一緒に食べようよ」
「それもそうだな」
「あ、はい! ぜひ!」
ずるずると引きずられながらも土浦夫妻の誘いを愛想よく受けるかなで。
東金は思わず舌打ちする。
できればもう必要以上に顔を合わせたくないのだが。
廊下に出て、後ろで扉が閉まる音が聞こえると、どっと疲れが押し寄せて来た。
油断すると今にも倒れてしまいそうだ。
それでも気力を振り絞り、かなでの手を引き廊下を闊歩する。
「あ、あの、千秋さん……?」
「……なんだ…?」
「オレンジの果肉をたっぷりトッピングした、甘さ控えめチョコケーキなんです」
「…………」
「美味しかったら、今度作ってみますね」
「…………」
「土浦さんってお料理が趣味らしくて、ウィーン料理もいくつか教えてもらったんですよ、シュニッツェルとか。
今度挑戦してみますね」
突然ぴたりと東金の足が止まった。
止まり損ねたかなでがつんのめってよろける。
掴んでいた手を引っ張り、転ばせることなく腕の中に閉じ込めた。
「…………悪かった」
「はい?」
きょとんとするかなでに思わず吹き出した。
本当に可笑しくて仕方ない。
あれほど怒っていたはずの彼女がすっかり怒りを忘れてしまっていることも可笑しいが、今日の午後以降の自分の空回りっぷりがあまりに滑稽すぎて笑わずにはいられなかった。
「ま、いろいろとな」
そう言って、ゆっくりと顔を近づけていく。
それに気付いて一瞬視線を彷徨わせたかなでがそっとまぶたを閉じ──
かけてから、パチッと目を見開いた。
「あっ、私、後片付けしてないっ!」
「はぁっ !?
今の状況でそれを言うか?」
「エプロンも返し忘れちゃってるし、ちょっと戻ります!」
「お、おいっ !?」
するりと腕の中を抜けだしたかなでは、歩いてきた廊下を駆け戻っていく。
「先に部屋に戻っててください!
1時間したら迎えに行きますから!」
叫んだ彼女の姿は厨房の扉の向こうへ消えてしまった。
「……仕方ねぇな」
律義なのは彼女のいいところでもある。
諦めめいた苦笑を口元に浮かべた東金が、一転疲れたようにかくんと項垂れた。
「……………早く音楽祭終わらねぇかな……」
結局夕食を食べ損ねたことを思い出すと、彼女の手料理が食べられる普段の生活が無性に恋しくなったのだった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
すみませんすみませんすみませんっ!
ちょうどスランプ期突入時にリク消化の順番が回って来てしまいました(汗)
展開上、やきもきしたのは東金さん一人になっちゃいましたし。
このお話は「しぃずんず・ぷち♪」的なものですが、
今後の長編の展開によっては派生パラレル扱いになってしまうかも…。
本来もう少し本編を進めておかないといけなかったのですが(汗)
今後本編で出す設定なんかも入ってるので「?」な部分があるかもしれません。
その上書いてるうちに何がなんだか訳わかんなくなってしまいまして。
長いっ! そのくせ中身が薄いっ!
今後土日絡みの「ぷち♪」がまともに書けた暁には、
改めて献上させていただきますゆえお許しを。
ホウズキさま、リクエストありがとうございました♪
お待たせした上、残念な出来ですみません(汗)
【2010/10/18 up】