■恋人たちのお茶会
☆サイト開設6周年記念リクエスト大会☆
祀莉さまからのリクエスト『かなでの振り袖姿話(東かな+土岐)』
その日東金千秋は一段高くなった畳の敷き詰められた座敷の端に腰を下ろし、その時を今か今かと待ちわびていた。
扱っているもののせいで埃っぽいかと思いきや、掃除が行き届いているのか鼻腔に不快を感じることはない。
はっきり言って辟易するのは、焚きしめられている香の甘ったるい匂い。
「── お待たせいたしました。
お支度が整いましたよ」
座敷の奥に引かれたカーテンがシャッと小気味よい音で開かれ姿を現したのはこの店の店員。
その後ろに続いて現れたのは──
「……ど、どう……ですか…?」
萌葱色の地に淡い色の花が流れる川のように散りばめられた振袖姿の小日向かなでが恥ずかしそうに頬を染め、その場でよたよたと一回転してみせる。
東金の喉が知らずこくりと小さな音を立てる。
「……へぇ、似合うじゃねえか。
やっぱり俺の見立てに狂いはないな」
えへ、と嬉しそうに緩ませた口元を袖口で隠す仕草がこれまた可愛らしい。
「── ほんまによう似合うとるよ、小日向ちゃん」
「ありがとうございます♪」
「…………おい」
東金は横合いから割り込んできた声の主へとじっとり湿った視線をひたと向ける。
「さっきから訊こうと思ってたんだが……なんでお前がここにいる、蓬生?」
「ふふ、さっきからいつツッコんでくれるか待っとったんよ。
俺の姿、千秋には見えてないんかと思うたわ」
睨まれた土岐は腹の辺りで組んだ手を羽織の袖に隠し、しれっとした顔で切り返す。
もちろん見えていなかったわけではなく、あえて無視をしていたのだが。
ピクリと片眉を上げた東金は湿った視線をかなでへと向けた。
その顔には明らかに『バラしたのはお前だな?』と書いてある。
「あ、えと、私、お茶会とか初めてで作法とか知らないので……蓬生さんならご存知かな、と……」
「ちゃんとお茶を習うたわけやないけど、知らんこともないしな」
「……茶は茶でも、お前が知ってるのは茶屋遊びだろうが」
「否定はせんけど、芸妓のお姐さんたちのお茶の稽古に顔出したことあるんはホンマやで?」
「あ、あの……っ」
「……もういい。さっさと行くぞ」
東金は大きな溜息を吐き出して、着飾ったかなでの手を引き店を出た。
横浜近郊のとある庭園。
今日はここで紅葉を愛でながらの茶会が開かれる。
といっても茶道関係者が主催しているわけではなく、趣味人である某政治家が趣味の範疇で開くものらしい。
元々招待されたのは東金の父だったのだが、その政治家とは付き合いもなく恐らく経済界とのパイプを作りたいだけだろうと判断し、
ちょうど横浜で大学生活を送っている末の息子にご祝儀の配達を押し付けて招待を受けた義理を果たしておくことにしたらしい。
お使いを命じられた当の息子は当然迷惑千万なわけだが、ふと『一輪の花』を同行させることを思い付いてからは乗り気になった。
茶会なのだから振袖の一枚でも誂えてやろうと考えたものの、さすがに急な話で仕立てが間に合わないため、今回は仕方なく貸衣装で済ませることにした。
数日前に店に足を運び、今彼女が着ている萌葱色の振袖を選んだのだ。
地色が落ち着いた色である分、淡い花の柄が一層華やかに見える。
それに紅葉の赤や黄色の中で同じ赤系統の色より引き立つだろう。
なにより選んだ振袖はかなでにとてもよく似合っていた。
……オマケがついてきたのは想定外だったけれど。
会場に着いて受付を済ませると、かなでが妙にそわそわしているのに気がついた。
「どうした?」
「あ、あの……ちょっと緊張しちゃって……その、お手洗いに……」
「ああ、行ってこいよ」
「えと……着崩れするのが心配で。
あっ、一応直し方は衣装屋さんで習ったんですけど……」
帯を解かない限り、そう崩れることもないだろうに。
気になるならそこらにいる和服の女性を捕まえて直してもらえばいい──
東金が自分の考えを口にしようとした時、
「それなら俺が直してやるから心配せんとき」
「ほんとですか!」
「女の子の着物の着付けは無理やけど、直すくらいならできるし。
気にせんと、早う行っといで」
「はい!」
ほっとしたように笑顔を見せたかなではちょこちょこと早足でトイレへ向かう。
普段から和服を着慣れている土岐ならば着崩れを直すくらい簡単なことなのだろうが、彼にできて自分にできないのが気に入らない。
着付けを習っておけばよかったと思っても、今すぐどうこうできるはずもない。
まあ今後必要になる知識なのかもしれないので、いずれ習得しておこう、となんとか心を落ち着かせる。
それよりも、自分たちのやり取りを微笑ましそうに眺めながら通り過ぎていく招待客たちの視線が何より気に入らなかった。
東金はスーツ姿だからなのか、どうやら客たちには振袖を来たかなでと和服姿の土岐がカップルに見えているらしい。
しばらくしてトイレから不安そうに戻ってきたかなでの着崩れは、土岐からちょっとアドバイスを受けてお端折りを整えるだけで済み。
そんな彼女の肩を強引に抱き寄せて茶席へ向かう東金。
独占欲の強過ぎる親友の子供じみた行動が土岐の苦笑を誘った。
三人並んで真っ赤な毛氈の上にかしこまる。
「作法はお気になさらず、お茶を楽しんでくださいね」
茶釜のそばに座る年配の女性に優しくそう言われて安堵したのか、かなでがほっと小さな息を吐くのが聞こえた。
実は東金も内心ほっとしている。
何せ茶道の心得なんて持ち合わせていないのだから。
お茶が点てられていく過程をただぼんやりと見守って。
そして三人の前に茶碗がそっと置かれた──
さて、どうする?
「── お手前頂戴いたします」
頭を下げ、茶碗を手にする土岐。
慌ててかなでがそれに倣い、東金も見様見真似で後に続く。
手の上で茶碗を回し、泡立った濃い緑色の液体を一口啜った。
「……あ、おいしい」
「それはよろしゅうございました」
ぽつりと漏れたかなでの呟きに、お茶を点ててくれた女性が嬉しそうに笑みを見せた。
「千秋さん千秋さん、お抹茶と和菓子のティータイムっていうのもいいと思いませんか?」
「なんだ、気に入ったのか?」
「はい!
私、お茶習ってみようかな……」
彼女が真っ先に自分へ同意を求めたことは当然でありながらも嬉しいもので。
昼下がりに彼女の点てた茶を啜る──
思い描いてみると、なかなかに魅力的な光景だ。
そのうち茶道具一式を揃えてやろう、などと企んでこっそりほくそ笑むのだった。
少し苦いけれど意外に後味の爽やかな抹茶と色の美しい甘いお菓子を堪能して、次の客に席を譲ることにした三人。
「── あっ」
腰を僅かに浮かせたところで声を上げたかなでの動きがピタリと停止する。
「かなで?」
「あ……足が、しびれました……」
彼女は、あはは、と自嘲気味の乾いた笑い。
東金の心に、見えている彼女の足の裏をつついてやろうか、なんて悪戯心が生まれるが、さすがにこの場でそれはまずいだろう。
「ゆっくりでいい。痺れが治まるまで待ってやるから」
「あ、はい……」
足をさすろうとして背後を向いた彼女の目に、待っている次の客の姿が映ったのだろう。
申し訳なさそうな顔で再び立ち上がろうとしたのだが──
「きゃっ!」
痺れて感覚の無くなった足でちゃんと立ち上がれるはずもなく、バランスを失ったかなでの身体がぐらりと傾いた。
「── っと……こんな衆目の前で俺を押し倒すとは大胆だな」
倒れた彼女が着地したのは靴を履こうとしていた東金の上。
身体を後ろに倒しながら必死に受け止めたのだ。
「えっ、あっ、ご、ごめんなさいっ!」
なんとかしようともがくかなでだったが、ちょっと触れただけでも刺激が走る足ではどうすることもできなくて。
少し動くたびに『あ゛』とか『う゛』とか唸っている。
すると東金は器用にかなでの身体の向きを変えて膝の上に乗せ、さっと靴を履いてそのまま立ち上がった。
当然彼女は東金の腕に抱え上げられる形になる。
「わっ! じ、自分で歩けますからっ!」
「歩けないから倒れてきたんだろう?
いいから抱えられてろよ。
こんなこと、俺しかしてやらないぜ?
ま、他の奴にさせるつもりもねえがな」
ニヤリと笑って彼女の真っ赤な顔を覗き込む。
それから首だけで後ろを振り返り、
「用は済んだ。帰るぞ、蓬生」
勝ち誇ったような満足げな顔で告げて、軽々とかなでを抱えたままスタスタと庭園の出口へと向かっていく。
「……俺の存在、また忘れられとると思うたわ」
むず痒くも微笑ましい光景にクスクス笑いを隠さない客たちに向かって土岐は軽く頭を下げてから、可愛い彼女以外まともに目に入らないらしい親友を追いかけた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
ちなみに【萌葱(もえぎ)色ってこんな色】。
かなでさんが振袖を着る理由をいろいろ考えまして。
どうせならお正月や成人式じゃないものにしてみました。
この話に振袖の必要があったのか……?
いや和服だから正座がネタになるんだよ、ってことでお許しください(汗)
祀莉さま、リクエストありがとうございました♪
【2010/10/08 up】