■甘い時間を君と 東金

☆サイト開設6周年記念リクエスト大会☆
さざなみさまからのリクエスト『新婚さんのお話』

 目の前には果てしなく広い凪いだハチミツ色の海。
 水平線の彼方には普段見るより数倍大きな真っ赤な夕陽が今にも沈もうとしている。
 広々としたウッドデッキの手すりに身を預ければ、心地よい海風が髪を撫でていった。
「── 疲れただろ?」
 東金千秋は他の誰にも見せない甘く柔らかい視線を隣に立つ少女へと向けた。
「もう……飛行機の中でずっと眠ってたの、知ってるくせに……」
 唇を尖らせて拗ねたようにふいっと顔を背ける少女に、東金は思わず苦笑した。
 彼女は決して『少女』などではない。 見た目は幼いかもしれないが立派な成人女性であり、つい数時間前に温かい祝福の中で永遠の愛を誓い合い、自分の妻となった女である。
「……あの、東金さん」
「またか……お前も『東金』だろう?」
「あっ……」
 真っ赤な夕陽にも負けないくらいに頬を赤く染めた彼女は、ごめんなさい、と小さな声で呟いて深く俯いてしまった。 見た目にもわかるほど、手すりを強く握り締めている。
「かなで」
 名を呼ぶと、条件反射のようにこちらに向けられる顔。 いつまで経っても名前を呼べない自分がもどかしいのか、目にはうっすら涙が滲んでいた。 夕陽に照らされた目元はまるで泣きはらしたように見えて、なんだかちくりと胸が痛む。
 共に歩む時間は始まったばかり── 安心させるように口元を緩ませると、彼女の顔に浮かんでいた切なさが和らいだ。
 あとはただ、どこまでも優しいキスで、言葉では言い表せない想いを伝えるだけ。

 目の前のプライベートビーチに打ち寄せる波音とロウソクの柔らかく温かい炎が揺らめく中、ウッドデッキに置かれたテーブルの上には南国ムード満点の料理が所狭しと並べられていた。
「── でも、本当によかったんでしょうか?」
 テーブルの向かい側に座るかなでがおずおずと聞いてくる。
「もう来ちまったんだから、素直に楽しめばいいんだよ」
 苦笑しながら、東金は冷えたワインを一口喉に流し込んだ。
 実は彼らは今日から1ヶ月にも渡るハネムーンを開始したところなのである。
 最初の2週間は南の島のリゾート地にあるコテージ式の高級ホテル── 現在いる場所── でのんびりと過ごす。 残りの2週間は芸術の都・パリでヨーロッパ文化にどっぷり浸る予定だ。
 常識離れした超豪華なハネムーン。 おまけにヴァイオリニストとして活動を始め、知名度もぐんぐん上がってきたかなでと、親友と興した会社の社長業と演奏活動の二足のわらじを履く東金。 多忙な二人がハネムーンとはいえ1ヶ月も休暇を取るなんて、普通は考えられないことだ。
 当然ながら生まれ育った環境から一般人とは大幅に桁の違う金銭感覚を持つ東金が一方的に考えた旅行プランである。 その一般人代表とも言えるかなでが余りの贅沢さに怖気づくのも無理はない。
「……そうだな、あさって辺り、ボートを借りてクルージングでもするか」
「えっ、ボート !?」
「ああ。 ボートに飽きたらダイビングだ。 隣の島にイルカと一緒に潜れるポイントがあるらしいからな」
「わぁっ、イルカ!」
 ぱっと顔を輝かせたかなでが、胸元できゅっと両手を握り締める。 その様子はまるで夢見る少女のようだ。
「ま、せっかく目の前にビーチがあるんだ。 一日中泳ぐってのも悪くない」
「そうですね」
 ようやく気分が晴れたのか、くすくすと穏やかに笑う彼女を見ていると、ちょっとした悪戯心が頭をもたげてきた。
「ここは完全なプライベートビーチだ。 水着なんて着なくても平気だぜ?」
「なっ !?  き、着ますっ!  せっかく水着、新調してきたんですからっ!」
 淡いロウソクの灯りの中でも彼女の顔が真っ赤に染まったのがはっきりと見えて、東金はくつくつと楽しそうに笑う。
「お前の場合はあんまり真っ黒に日焼けするのも困るだろうから、日焼け止めは俺がしっかり塗ってやるよ── 全身くまなく、な」
 追い打ちをかけるように告げれば、かなではポンッと爆発したかのように一層顔を赤くする。 それでも一方的にからかわれるのは悔しかったのか、きゅっと唇を噛んでいた彼女が決意したように顔を上げた。
「じゃ、じゃあ私もとう……じゃなくて、ち、ち、千秋さんに日焼け止め塗ってあげます!」
「── !」
 彼女の口が自分の名を紡いだ。 突っかかりながら言い直して、だったけれど、それでもなんだかくすぐったくて、ほわんと温かくなって、東金は思わず身悶えしそうなほどの幸福に包まれる。 だらしなく緩みそうになる口元を引き締めるのに必死になりながら、なんとか平静を取り繕った。
「……お、俺は日焼けは気にしないぜ?  むしろ少し焼きたいくらいだ」
「そう……ですか……」
 しょんぼりと俯いてしまったかなで。 さすがに少し虐めすぎたか、と思ったところで、彼女がガバッと顔を上げた。
「それならサンオイル塗ります!  全身くまなく!」
 勝ち誇ったように胸を張って宣言する彼女は、自分が口にした内容を理解しているのだろうか。
 どうしようもなく彼女が可愛くて。 こんな可愛い女が自分の妻なのだと思えばどうしようもなく嬉しくて。 きょとんと首を傾げる彼女にはお構いなしに、こみ上げてくる笑いに身を任せた。

 ゆらゆらと揺れるランプの灯り。
 広いベッドに横たわり、静寂な空間の中で微かな波の音だけに耳を傾ける。
 かちゃり。
 バスルームの扉が開いて、かなでが忍び込むようにこっそりと出てきた。 肘を立てて少し身体を起こすと、バチンと音を立てたかのように彼女と視線が合う。 途端、彼女の顔に湯上がりだからだけではない赤さが広がった。
「あ……えと……さ、さっぱりしましたっ。 今日は海に入ってないのに、やっぱり海のそばだからですかね。 髪もちょっとべたべたしちゃってて」
 慌てたように視線を逸らした彼女の口調は、わざとらしいほどぎこちなくて早口である。 余りの緊張っぷりに思わず吹き出しそうになった。
 そう、今夜はいわゆる『新婚初夜』なのだ。 東金自身少々緊張気味なのだから、彼女の緊張は相当なものなのだろう。 そのくせ白いバスタオル1枚身体に巻いただけ、という大胆で煽情的な格好で現れるとは。 そのギャップが彼女らしく思えて、ある意味微笑ましい。
「かなで」
 愛しい名を呼ぶ。
 どう動けばいいのか迷っていたらしい彼女が、真っ赤な顔を俯けたままおずおずと近付いてきた。 片膝を乗せたベッドが微かに軋む。
 東金は彼女の腕を掴んで引き寄せると同時に、彼女が纏うタオルの裾を一気に引っ張った。 目の前が一瞬、一面の白で覆われて、きゃっ、と小さな悲鳴と共にドサリと柔らかな重みが圧し掛かってきた。

*  *  *  *  *

「── あ、おはようございます、東金さん、蓬生さん!」
「あ、ああ……おはよう」
「おはようさん、小日向ちゃん」
 朝食を食べていたかなでは、食堂に入ってくる二人を見かけて元気な挨拶を送った。
「あれ?  東金さん、なんか顔が赤いですよ?  もしかして熱があるとか?」
「う……いや、熱なんかない。 いたって健康体だ」
「それならいいんですけど……無理はしないでくださいね?」
「……ああ」
 東金はかなでと目を合わせようともしないで厨房のカウンターへ食事を取りに行ってしまった。
「どうしよう……今日はファイナルの曲の練習、見てもらおうと思ってたのに……」
「あー、小日向ちゃん」
 しょんぼりと項垂れたかなでの耳元に、土岐が声をひそめて囁いてきた。
「千秋は元気やから、心配せんでええよ」
「本当ですか?」
「ただな……夢見が悪かったらしゅうて……いや、良すぎたんやろな」
「……はい?」
「あんたとハネムーンに行く夢見たらしいで」
「え」
「あんまり起きて来んから起こしに行ったらな、『かなで〜』て叫びながら抱きつかれてチューされそうになったわ」
「ええっ !?」
「蓬生っ!」
 バラされたことに気づいた東金が、怒りのあまり手にしたトレイをカタカタと震わせながら、鬼の形相で土岐を睨んでいたのだった。

 そしてその日の練習の休憩時間、あまりに不機嫌な東金に向け、かなでが巨大な爆弾を落とした。
「あの、東金さん……いつか、連れていってくださいね……ハネムーン」
 一瞬にして機嫌を良くした東金に、息ができなくなるほど強く抱き締められたのは言うまでもない。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 リクエスト第2弾、新婚さん話をお届けします!
 ……夢オチですけど(笑)
 以前、拍手でそんなコメントをくださった方がいらっしゃって、
 どうしても夢オチが頭から離れませんでした(汗)
 別案で「新婚生活(+裸エプロン)」もあったのですが、
 どう頑張っても年齢制限が付きそうだったので断念(笑)
 時期的にはソロファイナル後、室内楽部門ファイナル前となっております。
 まあ東金さんもせっかくのいいところで起こされたら怒るよなー(笑)
 こんな感じでいかがでしょうか?
 さざなみさま、リクエストありがとうございました♪

【2010/10/05 up】