■余計なお世話 東金

「── あれ?」
 ある日の昼下がり、喉を潤そうと入った台所でたまたま出くわしたかなでの顔を見て、土岐は首を傾げた。
 どことなく違和感があったのである。
 彼女が閉めたばかりの冷蔵庫を開けて麦茶のポットを出し、コップに注いで冷たい琥珀色を一口、口に含む。
 ── ああ、なるほど。
 こくん、と喉を鳴らして麦茶を飲み込んだ土岐は、
「小日向ちゃん……唇──」
 彼女は、え、と焦ったように指先で口元を隠した。
 土岐が感じた違和感。 彼女の下唇が、いつもよりぽってりと赤く腫れていたのである。
「そんなにわかります?」
「ん……まあな」
「えと、これは──」
「ああ、皆まで言わんでええよ。 熱持っとるみたいやから、氷か何かで冷やしてみ?  すぐに腫れも引くやろ」
「……そう、ですね。 そうします」
 彼女は小さめのビニール袋に冷凍庫の氷をいくつか入れると、さっき冷蔵庫から出したのであろうプリンのカップと一緒に持って、台所を出て行った。

 食堂に入ると、そこには一人遅い昼食を取っている東金の姿があった。
「……小日向ちゃんと喧嘩でもしたん?」
 隣の席に腰を下ろし、揶揄するように訊いてみる。
「はぁ?」
 東金は怪訝な顔で一瞥をくれてから、魚のフライにかぶりついた。
 ソロ部門ファイナルを終えて時間ができた彼は、室内楽部門ファイナルを控えた彼女の練習に午前中いっぱい付き合っていたはずだ。 駅前のスタジオへ行くと言っていたから、昼は当然外で済ませてくると思っていたのに、今、彼らは別行動をしている。
東金は一人寂しく寮の食堂で昼食を取っている最中で、彼女は今頃食後のデザートを自分の部屋で食べている頃だろう。
 土岐は大きな溜息を吐いてから、
「……あんまり激しいのばかりしてたら、あの子が可哀想や」
「厳しくはしたが、激しくはないぜ?  それに、あいつは少しぐらい厳しくても、きっちりついてくるからな」
「『厳しく』……?」
 不自然に間が空いた。 その間、土岐は目をぱちぱちと瞬きながら、相変わらず怪訝そうに眉を顰めて口をもぐもぐ動かしている東金としばし見つめ合った。
「……千秋、何の話や?」
「お前こそ、何が言いたい?」
「い、いや……小日向ちゃんが唇腫らしとったから、千秋のキスが激し過ぎるんやないかと……」
 目を見張って瞬き数回、こくん、と口の中のものを飲み込んだ東金は、くいっと口の端を上げた。
「余計なお世話だ── それに、今日は違う」
「へ?」
「あいつ、下唇の裏側に口内炎ができてんだよ。 物を食べると相当痛いらしくてな、練習の帰りにコンビニでプリンやらいろいろ買い込んできたんだが……」
 皿の上のキャベツの千切りを箸の先でつつきながら、東金は気遣わしげに眉間に皺を寄せていた。
「そ、そうやったんか。 早く治るとええな、小日向ちゃん」
「ああ」
 口元に笑みを浮かべた東金を残し、土岐はそそくさと食堂を後にする。
「── ん?  『今日は』……?」
 口内炎ができていない普段はきっとわがままに迫ってくる彼に翻弄されているであろう彼女を思えば、やはり少し可哀想なのには変わりなく。
 けれど確かに『余計なお世話』だ、と苦笑しながら、またカラカラになってしまった喉を潤すべく台所へと向かった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 ネタは7/5ブログにて。
 ふと思いついて一気書き。
 あたし、口内炎ができやすい体質でして。
 なかなか辛いんだよ。

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