■買い物へ行こう
ファイナルも間近に迫ったある日、東金は新聞を手にラウンジに入っていくかなでの姿を見つけ、急いで後を追った。
椅子のひとつに腰を下ろした彼女は新聞を広げ、挟んであった広告の束を取り出すと、再び新聞を畳んで脇に置く。
どうやら彼女の目的は新聞記事ではなく、広告のほうにあったらしい。
「── どうした、何か買い物か?」
声をかけると、彼女はぴくりと肩を震わせ振り返り、にこりと笑う。
「あ、えと、そろそろお弁当の材料を買い出しに行こうと思って」
そう言って広告をテーブルの上に広げていく。
持っていた赤いマジックのキャップをかぽっと抜いて、いざ臨戦態勢といった様子で広告を覗き込んだ。
「どうせ俺の腹にも入るんだ。
金は出してやるから、必要なものを必要なだけ買え」
溜息混じりに言いながら、東金は彼女の隣の椅子に腰を落ち着け、ゆったりと足を組む。
そして向けられた、ギロリ、と音のしそうな彼女の鋭い視線に、ほんの少したじろいだ。
「そういう問題じゃありません。
広告という情報を元に1円でも安い食材を揃え、私の腕で高級店以上の味を作り出すんです!」
普段ぽやんとしているくせに、今は背後に燃え盛る炎、あるいは冬の荒海に白く砕け散る波濤が見えそうな鬼気迫る勢いで拳を握り締める彼女。
それほどの情熱を傾けているからこそ、彼女の料理は自分の舌をも満足させられるのだ、と東金はある意味感動すらしていた。
「── よし、お前がそこまで言うなら、俺も協力してやる」
「ありがとうございますっ!」
そして二人の広告とのバトルが始まった。
「── おい小日向、こっちは茄子が128円だぞ」
「さっきどこかに98円っていうのが──
わ、サワラの切り身が安いです!
ああっ、でもタイムサービス……」
「心配するな、俺が行ってやる」
「ありがとうございますっ!」
そんなやり取りを繰り返し、3軒のスーパーでそれぞれ買う物を書き連ねたメモを作り上げた二人。
そして彼女との約束通り、東金は1軒のスーパーに来ていた。
時刻は3時50分。
4時から行われる『サワラの切り身』のタイムサービスのためである。
『10分前には魚コーナーの近くでスタンバっててください』と念を押されたので、言われた通り魚コーナーのど真ん前で腕組みをして時間が来るのを待っている。
サワラ以外の食材は練習を終えた彼女と一緒に買いに行くことになっているので、今の彼はサワラ入手のみに集中すればいい。
周囲には同じ目的なのだろう、夕飯の買い物に来ている主婦たちが集まり始めていた。
コンビニにはそこそこ行くが、スーパーなんて足を踏み入れることなんてほとんど皆無な東金にとって、この場の雰囲気は居心地悪いことこの上ない。
意地悪く流れを緩めたように感じる時間がジリジリと過ぎて行き、ようやく10分経って奥の調理場から店員がガラガラとワゴンを押して来た。
『4時のタイムサービス!
サワラ4切れ200円にてご提供!』
「なっ !?」
店員が煽るように叫ぶ声に、ようやくか、とワゴンの方へ向かおうとした東金を押しのけて、年季の入った主婦たちがワゴンにどっと群がった。
その様はまるで砂糖に群がる蟻の如くである。
怯んだのも一瞬、元来負けず嫌いな彼はここで獲物を逃すわけにはいかないと、群がる主婦たちの壁に突っ込んだ。
彼女たちより高い背と長い腕を武器にして、伸ばした手で魚のパックを掴み、奪われないよう高く掲げる。
あっという間に山積みだったサワラは跡形もなくなった。
空になったワゴンを押して調理場に入っていく店員の後ろ姿を呆然と見送りつつ、手の中に戦利品が確かに存在していることを感じながら、東金は言い知れぬ充実感に包まれていた。
「そうか……あいつの打たれ強さは、こういう激しい競争を経験したことで培われたものなんだろうな」
サワラを見つめながらしみじみと呟く彼の胸に、彼女への尊敬が生まれた瞬間だった。
「── はい、バッチリです!」
練習から戻り、冷蔵庫の戦利品を確認してきたかなでが嬉しそうにぎゅっと拳を握る。
おつかいをやり遂げた子供は、親に誉められるとこんな気分なのだろうか、と東金は複雑ながら緩んでくる口元を手で覆った。
「それじゃ、他の買い物しに行きましょうか」
そして向かったスーパー。
店内カートを押す、という生まれて初めての経験に少々緊張しながら彼女の後ろをついていく。
彼女の頭の中には店内の配置が叩きこまれているのか、リストの品物を迷いなく見つけては、しばし品定めしてからカートに入れていった。
物珍しさにきょろきょろしていると、くいっと袖が引っ張られた。
「調味料はこっちです」
ずんずんと歩いていく彼女についていくと、棚一面に味噌が並んでいた。
「このお店は味噌の品揃えがいいんです。
これだけいろんなのが並んでると、なんだか楽しくなっちゃいますよね」
言葉通り楽しそうに味噌を選び、目に止まったものをひょいとカートに入れる。
次に向かったのは、調理器具や調理小物のコーナー。
彼女が手に取ったのはビニール袋に入った布のようなものだった。
「そんなもの、何に使うんだ?」
「今日買ってきてもらったサワラを味噌漬けにしようと思うんですけど、切り身をこのガーゼで挟んでから味噌に漬けるんですよ。
そしたら、味は染み込むんだけど余分な味噌がつかないから、焼く時に焦げにくいんです」
「へぇ………」
なるほど、そういう小さな心配りの積み重ねで、彼女の料理の完成度が上がっていくのだろう。
東金はしばし考え込み、
「── よし、コンクールが終わって時間ができたら、あちこち食べ歩きするぞ」
「……はい?」
ガーゼを手にきょとんとして首を傾げる彼女に向けてニヤリと口の端を上げる。
「三つ星レストランはもちろん、美味いと評判の店に片っ端から行く」
「えっ……美味しいものを食べられるのは嬉しいですけど、私のお小遣いじゃそんな余裕ありません」
「馬鹿、お前に支払わせるわけないだろ。
将来への投資なんだからな」
投資、と呟いて、難しい顔をして考え込んでしまったかなで。
「美味いものを食えば舌が肥えるし、いろんなジャンルのものを経験すれば作れるレパートリーが増えるだろう?」
「………まさか私に、料理の道へ進め、と……?」
「それもあながち間違いじゃないな」
きゅっと眉根を寄せ、足元に視線を落としたかなでの顔は少し蒼褪めている。
その頬にそっと手を添えると、冷房のせいか血の気が引いたせいかひんやりと冷たかった。
「いずれお前は俺の食事を毎日作ることになる── 一生な」
「えっ、私、料理人として東金さんの家に就職するんですかっ !?」
がばっと顔を上げ、震える唇でかなでが叫ぶ。
「……お前、本気でボケてんのか?」
はふ、と溜息ひとつ。
「── 俺のところに『永久就職』だ」
ようやく意味を理解したのだろう、かなでの顔がぼふんと一気に赤く染まった。
「あ、え、その……つ、次行きますよっ!」
彼女はぐりんと身体の向きを変え、さっさと先に行ってしまった。
たまたま同じ売り場に居合わせた奥様方のほんのり赤い顔に見送られ、東金はくすくす笑いながらかなでの後を追う。
カートの車輪がカラカラと回る音までが、なんだか楽しそうに耳に届いた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
「東かなで五十音」【す/スーパー】をお題に書いてみました。
デバガメ蓬生さんは出てきませんでしたが(笑)
リクエストくださったシフォンさま、ありがとうございました♪
まだもうしばらくリクエスト受け付けますので、お気軽にどうぞ〜
【2010/06/30 up/2010/07/05 拍手お礼より移動】