■東かなで五十音【ら行】
ら 【ラッキー】
「── 見てください蓬生さんっ!
タコ、2つも入ってますっ!」
彼女の手にした器の中には、薄く色のついた液体の中にこんもり黄色い物体が真っ二つになって浮かんでいる。
余りの暑さにすっかり減退した食欲。
好物なら食べられるかと思って調達してきたのは冷凍の明石焼き。
本当は店の焼きたてがよかったけれど、この近くに明石焼きを出す店がないのだから贅沢は言っていられない。
レンジで温め、さあ食べようというタイミングで現れた彼女にひとつ与えてみたのだが。
「わぁ、なんかすごくラッキーですよね!」
割った中から出てきた2切れのタコのひとつを箸でつまみ、嬉しそうに眺めている。
「── やかましいな、何をそんなに騒いでるんだ?」
ちょうどそこへ現れた東金が、訝しげな顔で尋ねてきた。
「あっ、東金さん!
今、蓬生さんに明石焼きを貰ったんですけど、中にタコが2つも入ってたんです!」
たたたっ、と駆け寄った彼女は躊躇うことなく箸の先を東金の口元に近づけた。
「ラッキーのおすそ分けです!
これで優勝間違いなしですよ!」
「……タコ食っただけでか?」
「だってラッキータコですから♪」
間近に迫ったソロ決勝で少しピリピリしていた東金は、微かに表情を緩めて箸の先のタコをパクリ。
ほのぼのとした空気に包まれ笑い合っている二人に背を向けて、土岐はこめかみを流れる冷や汗を拭う。
『今だけタコ増量!』と大仰な文字の躍るパッケージを、一刻も早く処分せねば、と。
(冷凍の明石焼きは結構な頻度で食べてます、あたし)
* * * * *
り 【リクエスト】
菩提樹寮の女子ふたりのささやかなティーパーティに遭遇した東金。
迷うことなく近づいて、
「── 小日向、俺にも茶だ」
はーい、と返事をして、嬉しそうに台所へ駆け込む彼女の後ろ姿に満足し、空いた席に腰を下ろす。
「……要求の押しつけばかりしていると、そのうち愛想を尽かされるかもしれないとは思わないか?」
ニアに半眼の呆れた眼差しで睨まれて、さすがの東金も少し気になり始めた。
苦言の主が去ったところに、いい香りの湯気の立つ紅茶を持ってきたかなで。
「……小日向、俺にしてほしいことがあれば言ってみろ」
彼女は頭の上に『?』をたくさん浮かべて、こくんと小首を傾げる。
「えと……じゃあ、演奏を聞かせてほしいです」
しばし考えてから返って来た答えは、実に優等生的なもの。
東金は思わず溜息を漏らし、
「……こういう時は、キスのひとつもねだってみろよ」
「え゛」
顔を真っ赤に染めて固まってしまった彼女の反応は余りに予想通りで、思わず吹き出してしまった。
「── あ、じゃ、じゃあ、私がします!」
「……は?」
「だって……いつもされてばかりじゃ悔しいですから」
予想外の展開に、今度は東金の方が顔を赤くして固まった。
(一番最初はかなでちゃんからだったもんね)
* * * * *
る 【涙腺】
「……お前、涙腺緩すぎだろ」
呆れたように呟く東金の目の前でぽろぽろと涙をこぼしているのは、もちろんかなでである。
演奏を聞くと涙が溢れてくると言われれば悪い気はしないが、弾くたびにこれほど泣かれると困ってしまうのも事実で。
東金は彼女の手からハンカチを抜き取って、そっと目元を押さえてやる。
だがせっかく拭っても、ハンカチを外せばすぐに涙が頬を濡らしていくのだ。
「ああ、もう」
半ばやけくそで、東金は彼女の細い肩を掴んで屈み込む。
唇を重ねて、頭の中で10カウント。
顔を離すと、彼女はきょとんとした顔で、ぱちぱちと瞬きを繰り返している。
その目元から、もう新たな涙は流れてこない。
「止まったな」
「……へ?」
ニヤリと笑い、東金はヴァイオリンを構える。
「泣きたいだけ泣け──
その度に俺が止めてやるぜ?」
「なっ……泣きませんっ!」
.
結局、どうしても泣いてしまう彼女をあやすようにキスをするのが、最近の東金の楽しみになってしまったらしい。
(キス魔本領発揮)
* * * * *
れ 【練習】
「── もう一度言ってみろ」
親友の冷たい声が聞こえて、土岐は思わず足を止めた。
声の主を探してみれば、なんとも不穏な空気を纏った二人に行き当たる。
身を固くして、深く俯いているかなで。
その正面に立つ東金が、彼女の細い二の腕をがしりと掴んでいて。
「── やっ、やめてください、東金さんっ」
彼女は必死に逃げようとしているのに、腕を掴む東金の両手がそれを許さない。
吐き気を催すほどのバカップルオーラを垂れ流していた二人に、一体何があったのだろう?
尋常ではない様子に、さすがの土岐も仲裁に動かざるを得ない。
「『東金さん』じゃない──
『千秋』、だ」
………………………はい?
駆けつけようと上げた片足を浮かせたまま固まる土岐。
ぐらりと身体が傾きかけて、慌てて足を下ろす。
「ちあ…………………はぅっ、無理っ」
「頭から無理と決めつけるなよ。
こういうことは練習あるのみだぜ?
ほら、もう一度呼んでみろ」
…………あほらし。
バカップルオーラは健在だったらしい。
これならいっそ強い日差しを浴びて溶け死んだほうがマシだ、と土岐は彼らに背を向けて、やかましく蝉が鳴く眩しい屋外へと足を向けた。
(配信とは別バージョンで)
* * * * *
ろ 【ロシアンルーレット】
「じゃーん!
今日はシュークリームを作ってみました♪」
テーブルの上の皿には、一口サイズの可愛らしいシュークリームが山になっていた。
香ばしい匂いに誘われて、寮でのんびり予定の者たちがわらわらと集まってくる。
これから練習へ向かうらしい彼女は、そそくさとラウンジを後にしていった。
「へぇ、美味そうだな」
東金が山の天辺のシュークリームをひとつ摘まんで口に放り入れる。
「── あ、言い忘れてた。
それ、ロシアンシュークリームなんです。
激辛カラシ入りがいくつか入ってるんで、皆さんで楽しんでくださいね♪」
満面の笑みで彼女が落とした爆弾発言は、どうやら東金の頭上で炸裂したらしい。
「ぐはっ !?」
涙目の彼が口を押さえてラウンジを飛び出した。
(かなでさん、後が怖いんじゃない?)
【プチあとがき】
東かなで五十音、無事完遂!
長々とお付き合い、ありがとうございました。
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【2010/06/17 up/2010/06/27 拍手お礼より移動】