■しぃずんず・ぷち♪【6.温泉の真実】
※SEASONS III.Spring(1)少し前
とんとんとんとん──
包丁とまな板とがぶつかり合う小気味よい音が部屋に響く。
以前ならただの音でしかありえなかったものが妙に愛おしく感じるのは、その音を立てているのがかなでだからであり、
音に対してそんな感慨を抱くようになったのは彼女と出会ったからなのだろう。
ただし彼女の場合、その音は時に感情のバロメータにもなっているので注意が必要なのだが。
柔らかな革張りのソファにゆったりと背を預け、東金はキッチンの方へと目を向ける。
対面キッチンの向こうでは、料理上手なかなでが夕食の準備の真っ最中だった。
音だけでなく、こんな風景を眺めているとやけに心が和んでくる。
テンポよく聞こえていた音がふと散発的になった。
辛そうに顔を歪めたと思えば包丁を動かしていた手が完全に止まり、音も聞こえなくなった。
「かなで?」
俯いた彼女は暗い顔でぼんやりと手元を見つめている。
今日の彼女はこの部屋に来た時からいつもの元気がないことには気づいていたが、何か深刻な問題を抱えてしまっているのだろうか。
ちょっとした計画を立てたことを話そうと思っていたのに、それどころではない雰囲気だった。
東金はソファを離れ、キッチンを回り込み彼女の後ろに立つ。
怪我をさせないよう包丁を握る右手を押さえつつ、そっと抱き締めた。
「ぼんやりしてると危ないだろう?」
頬と頬を合わせるようにして囁けば、彼女は照れる余裕もないのか深く俯いてぽつりと呟いた。
「………おじいちゃんが、入院したんです」
「じいさんが?」
なるほど、それが彼女の苦悩の種だったのか。
東金は彼女の祖父とも顔見知りである。
以前彼女の家に一泊したこともあるし、現在使っている東金のヴァイオリンは職人である彼女の祖父の手によるものなのだ。
「── で、どんな具合なんだ」
「あ、えと、ぎっくり腰だから2、3日で退院みたいなんですけど……でもやっぱり心配で……」
こっそりと息を吐く。
彼女の様子からして相当深刻な状況なのかと緊張を感じていたのだが、まあここは大したことではなくてよかったと喜んでやるべきところなのだろう。
だが職人にとって腰を痛めるというのは、ある意味深刻なことなのではないだろうか?
「── だったら、温泉にでも連れていってやるか」
「え、温泉?」
「ゴールデンウィークにお前と二人で行くつもりだったんだがな」
話そうと思っていた計画──
来たる連休、いわゆる『お泊りデート』をしようと既に温泉宿を予約済みなのである。
去年の夏のような日帰りでは物足りないし、大らかだとはいえ監視者のいる寮住まいの彼女は普段そうそう外泊することもできないのだから帰省する者もいるであろう連休はうってつけ。
あんなことやこんなこと、下心満載の計画だったのだが──
「お前のじいさんには世話になったことだし、俺が招待してやるよ」
「え、で、でも──」
首を捻って申し訳なさそうに見上げてくるかなでの唇をキスで塞いで、次に来るであろう辞退の言葉は言わせない。
「── そのうち『俺のじいさん』にもなる人だ、今から労わってやるさ」
コツン、と額を合わせてそう言うと、かなでの顔がみるみる明るくなっていった。
「ありがとうございます!
おじいちゃん、喜びます!」
包丁を置いたかなでがくるりと向きを変え、がしっとしがみつくように抱きついてきた。
背中がひんやりと冷たくなる。
かなでが濡れた手でシャツの背中をぎゅっと握り込んでいるからだ。
よしよし、と彼女の頭を撫でながら、東金はそっと苦笑する。
こうしている今の状況を思えば、先に彼女の家族へ罪滅ぼししておくのも悪くないのかもしれない、と。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
温泉裏話(笑)
やっぱり東金さんは『かなでは俺の嫁』(笑)
【2010/08/25 up/2010/08/30 拍手お礼より移動】