■しぃずんず・ぷち♪【4.春への準備(1)】
※SEASONS II.Winter(8)中〜後
星奏学院大学入学試験翌日──
東金は土岐と共に不動産屋にいた。
平日の昼前だというのに、かなでの姿もある。
たまたま4時間目が空き時間になっていた彼女は昼休みが終わるまでに学校に戻ればいいらしい。
これから始まる交渉は、この不動産屋の店長と茶飲み友達と言えるほど馴染みになった彼女を欠いて行うことなどできないのだ。
前に来た時に出した条件を改めて確認し、目ぼしい物件をいくつかピックアップする。
図面だけではわからないだろうから、と実際に足を運んでみることにした。
単身者向けの部屋を探す土岐とは一旦別行動だ。
向かったのは築3年のまだ新しいマンション。
急な海外赴任が決まった一家が年明け早々に転居したという目玉物件らしい。
新しいだけあってセキュリティもばっちり、各戸駐車場1台分付き、集合住宅でありがちな騒音トラブルの発生をなくすための防音処理も施されているという。
図面上でもまずまずの広さだと思えたが、何も物の置かれていないガランとした部屋はとても広く見えた。
「── わぁ……この対面キッチン、素敵ですね〜」
一通り室内を案内されて辿り着いたキッチンでかなでがうっとりとした声を上げた。
シンクの前に立ち、楽しそうに水を出したり止めたりを繰り返している。
「そんなに気に入ったのか?」
「はい、今までいくつか見せてもらった中でも一番おしゃれで使いやすそうです」
「よし、じゃあここに決めるか」
と、それまでニコニコしていたかなでの顔が焦ったように引きつった。
「えっ、そ、そんな簡単に決めていいんですか !?
住むのは千秋さんですよ !?」
東金は対面キッチンを回り込み、かなでの後ろに立つ。
ふわりと腰のあたりを拘束した。
「── お前が今住んでるのは『高校』の寮だ。
卒業後はどうするんだ?」
耳元にかかった吐息がくすぐったかったのだろう。
かなではぴくりと肩を震わせる。
「あ……あの……それは、どういう……」
「1年後にはお前もここに住むことになるってことだよ」
耳に唇が軽く触れた状態で囁けば、腕の中の彼女の体温が急上昇したのがわかった。
心なしか微かに震えているような気もする。
「……待ち切れないならすぐにでも越してきていいぜ?」
腕に力をギュッと込めて更に追い打ちをかけると、彼女の口から熱に浮かされたような息が漏れた。
顎先に指を添え引き寄せる。
顔を赤く染めた彼女の瞳はしっとりと潤んでいた。
「あ、あの、千秋さん……」
「ん、どうした?」
「あの……店長さんがいらっしゃいますけど……」
彼女の一言に顔を上げると、部屋の一番遠い隅っこに見て見ぬふりを決め込んだ店長の後ろ姿があった。
「それがどうした?」
「……こ、困りますっ」
東金としては誰に見られようと一向に構わないのだが、恥ずかしがり屋な彼女の機嫌をわざわざ損ねることもない。
華奢な身体を抱きすくめたまま、彼女の頭の天辺にぽてりと顎を乗せる。
「── おい、店長。
ここに決めたぜ」
「では、契約成立ですね」
振り返った店長は人の良さそうな顔にとびきりの営業スマイルを浮かべていた。
* * * * *
コンビニにでも行こうかと支倉仁亜が自室を出ると、ちょうど隣室の住人も扉を開けて一歩廊下に足を踏み出したところだった。
「── おや小日向、どこかに出かけるのか?」
「うん、閉めっ放しはよくないからね」
ニアは呆れ顔でふぅんと気のない相槌を返す。
同じ内容のやり取りは今回が初めてではないからだ。
かなでの行き先は寮にほど近いとある高級マンション。
大学入試の翌日に東金千秋が契約し(まだ合格するかどうかもわからないのに)、以降合い鍵を預かっているかなでが週に一度のペースで部屋の換気をするために訪れている。
彼女は東金のツレである土岐蓬生の部屋の換気も申し出たらしいがやんわりと断られたらしい。
ニアは土岐自身が断ったのではなく、東金によって阻止されたのだと考えている。
独占欲の強いあの男のことだ、目に入れても痛くないほど可愛いカノジョが、親友とはいえ他の男の部屋──
別々に選んだにもかかわらず、決めた物件は偶然にも歩いて3分ほどしか離れていない場所だったらしい──
の合い鍵を持つことなど耐えられないだろう。
無事に星奏学院大学への進学を決めた二人はいまだ横浜入りしていない。
「……3月ももう終わろうかと言うのに、あの男はまだ神戸にいるのか?
てっきり卒業式が済んだらその足でこちらに移ってくるのかと思っていたが……のんきなものだな」
溜息混じりに訊くと、かなでは大きな目をぱちぱちと瞬いて、
「あれっ、言ってなかったっけ?
千秋さんは今、神戸で車の教習所に通ってるの。
急いでも3月いっぱいまでかかるみたいで、こっちに来るのは4月になってからなんだよ」
「免許なら横浜でも取れるだろう?」
「ふふっ、免許取れたら一番に神戸の街を走りたいんだって。
千秋さん、神戸が大好きだから」
かなではニコニコと楽しそうに説明してくれた。
「……なるほどな」
話していればすぐに共用棟に入り、そのまま二人並んで玄関を出る。
彼女の目的地とコンビニは、途中まで同じ道だ。
「それでね、夏に乗ってた車を蓬生さんと交代で運転して、こっちに来るみたい」
「……1台の車にドライバーが二人……こちらでは不便じゃないのか?」
「千秋さんはこっちで新しい車を買うんだよ。
私に選べってたくさんカタログ送ってきてくれたんだけど、よくわかんなくて……今度一緒に車屋さん巡りすることになってるんだ〜」
それから家電とか食器とか揃えなきゃいけないし、あ、そうだ、荷物が届いたら整理もしなくちゃいけないし。
4月になったら忙しくなるなぁ、頑張らなくちゃ──
ワクワクする心を抑えきれないのか、彼女の楽しげな呟きはまだまだ続く。
「── あれっ?
ところでニアはどこへ行くの?」
彼女が首を傾げたのは、ちょうど二人の行き先の分岐点となる交差点のすぐ手前。
「私はコンビニだ」
「そっか、じゃ、ここでお別れだね」
「そうだな。
気をつけて行けよ」
「うん、ありがと。
ニアもね!」
元気よく手を振って駆け出した彼女の足取りは、まるで羽が生えたかのように軽やかに見えた。
ふとニアの心を不安が支配する。
── 果たしてあの我侭なお坊ちゃん育ちの東金に一人暮らしができるのだろうか?
家事が得意で世話好きなかなでが彼の部屋に入り浸ることになるのは目に見えている。
「……一応住所は聞き出しておかねばな」
もしも彼が『恋人』の枠を大幅に越えて彼女に大きな負担を強いるようなことがあれば、彼女を救うためにいつでも乗り込んで行けるよう準備を整えておこう──
ニアは生まれて初めてできた『親友』を守る決意を固めるのだった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
本編に入れるほどではない掌編って感じですかねぇ。
相変わらず捏造が甚だしいなー。
あーそういうのってありそう、って思ってもらえればこれ幸い。
似たような小話をもう1本書く予定。
【2010/08/21 up/2010/08/25 拍手お礼より移動】