■かれかの☆いんたぁみっしょん【6:隣人の憂鬱】 東金

※「彼と彼女と彼のツレ【21】」直前の出来事


 ── しつこい……しつこすぎる。
 薄い壁を通して断続的に響き続ける耳障りな電子音に痺れを切らし、隣室へと乗り込んだ。
 扉を開ければ、さっきまでよりもさらにダイレクトに音が耳を突く。
 ベッドの上の部屋の主はうっすら幸せそうな笑みを浮かべ、まだ夢の国を彷徨っていた。
 昨日までの激戦を戦い抜いた彼女の小さな身体は、きっと疲労困憊だろう。 全国の頂点に立ったことで『燃え尽き症候群』とやらにならなければいいが、と少々心配していたが、このニヤケた顔を見ると余計なお世話だったかもしれない。 彼女の強さには敬服する。
 ……それにしても、このけたたましい大音量の中でそんなに安らかに眠れるとは大したものだ。
 半ば呆れ、半ば感心して音源を探す。
 いつか彼女が熱を出して寝込んだ時に鳴り続けていた目覚まし時計は、アラームのセットすらされていなかった。
 となればあとは携帯電話か──机の上にあるそれは、まるで『私はここよ』と必死に訴えかけているかのように小さなイルミネーションを煌めかせている。
 さすがに躊躇った。
 この1ヶ月半に彼女との間に培われた友情は確かなものだと信じているが、彼女宛ての電話に勝手に出てもいいほどにはまだ深くはない。
 もうしばらくこのまま休ませてやろう── 仕方がないので音を止めることは諦めて、音の届かないところへ移動することにした。

 ラウンジまで来れば、さすがに音は追いかけては来なかった。
 その代わり、鬱陶しいオーラを放つ男がひとり。
── くそっ、かなでのヤツ、何しとんねん
 ぼそっと呟いた男は手の中のケータイを睨みつけ、ピコピコといくつかのボタンの上に親指を滑らせてから耳に当て、しばらくするとまたケータイを睨む。
 男は普段口にしない西の言葉が思わず出てしまうほど焦れているらしい。 そして興味深いことに、彼女の呼び名がファミリーネームからファーストネームへと変化しているではないか。
 ほぅ── すっと目が細まり、笑みが浮かんでくるのを自覚した。
 果たしてここ数日で彼らの間に何があったのだろう?
 いささか低俗な芸能記事的ではあるが、短期間でこの横浜にその名を知らしめた男とこの夏生まれたばかりのヒロインの恋物語ならば、十二分に需要がある。
 紙面の構成を頭の中で組み立てながら── ふぅ、と息を吐いて小さく首を振る。
 親友のプライベートを世間に晒すなんてこと、できるはずもない。
 すべきことは、残り少ない夏休みの静かな朝をぶち壊したこの男への報復だ。

「── その電話の相手は小日向か?」
 分かり切ったことを訊けば、男はギクリと僅かに身をすくませて振り返った。
「……なんだ、猫女か── 俺が誰に電話しようと、お前には関係ないだろ」
「関係大アリだ。 この寮の壁が薄いのは知っているだろう?  お前が鳴らし続ける着信音のおかげで、私の清々しい朝は台無しさ」
 男はきゅっと眉間に皺を寄せ、
「……そりゃ悪かったな」
 意外にも素直に詫びの言葉を口にする。
「─── なんて、俺が簡単に頭を下げるとでも思ったか?」
 ……恋を知って少しは丸くなったのかと思いきや、そうでもなかったらしい。 傲慢に口の端を上げて見せる男は以前のままだ。
「壁が薄いのは俺の知ったことじゃねえ。 それより小日向だ。 あいつは部屋にいたか」
「彼女はまだ眠っているよ」
「じゃあ起こしてこい」
「お前……今日一日くらい、ゆっくり休ませてやろうという優しさは持ち合わせていないのか?」
 ありったけの軽蔑を込めて睨みつけてやる。
 男は整った顔をわずかに歪めて視線を落とした。
「………時間がねえんだよ」
 携帯を握り締める指に力が入るのが見て取れた。
 そうだった── この男はもうじきここを去る。 もちろん今生の別れではないのだからそれほど悲観的になる必要もないのだろうが、しばらくは自由に会うことができなくなる彼らにとって、 この夏に残された1分1秒は高価な宝石よりも貴重なものに違いない。
 仕方ない、言われた通りにしてやるか。 この男のため、ではなく、愛すべき親友のために。
 踵を返したところで、ちょっと待て、と呼び止められた。
「お前、確か報道部と言っていたな。 学校新聞なんかを発行しているのか?」
「……当たり前だろう。 何のために取材を重ねていると思ってるんだ」
「だったら、休み明けの新聞の一面トップを飾るネタを提供してやろう」
「ほぅ」
 目を細めてやると、男は自慢げに自らの計画を語り出す。
「── というわけだ。 いいか、しっかり取材しろよ。 ほら、さっさと小日向を起こしに行け」
「……そう急かさなくてもわかってるさ」
 まったく、傲慢にも程がある。 彼女も厄介な男に捕まってしまったものだ。
 だが、確かに面白いネタだ。 取材のし甲斐もある。
 しかし、残念だが一面トップは母校の全国制覇を讃える記事と既に決まっている。
 ふ、と鼻で笑って、静寂を取り戻した女子棟へ眠り姫を起こしに向かった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 ニア視点。
 超小ネタ。

【2010/04/22 up/2010/05/13 拍手お礼より移動】