■かれかの☆いんたぁみっしょん【4:SとMの話】 東金

※「彼と彼女と彼のツレ【16】」直後の話


「── どないしたん、その顔っ」
 全国学生音楽コンクール・ソロ部門優勝者を祝うパーティに少々遅刻してきたツレの顔を見るなり、土岐は思わず指差して目を丸くした。
「ああ、これか?  ── 小日向にやられた」
 少し赤く腫れた左頬に指をつっと滑らせて、東金はくくっと楽しげに笑う。
 実際に現場を目撃したわけではないが、何かおぞましいものを見てしまったかのように口を閉ざす真っ赤な顔の部員たちから無理矢理聞き出したので、ある程度何があったのかは把握してはいる。 好き合っている者同士が密室にいれば密着度も高まるだろう。 おまけにステージを終えた達成感と優勝を手にした高揚感は別の興奮へと変化し、エスカレートしてしまった結果が彼の赤く腫れた頬に出ていると見て間違いなさそうだ。
「……頭に血ぃ上って押し倒したんやないやろな?」
「まさか。 さすがに場所は弁えるさ」
「弁え方が足りてへんわっ」
 力いっぱいツッコんでみるが、東金は全く意に介していなかった。 よく見ればうっすらと手形の浮かぶ頬をうっとりと愛おしそうに撫でながら、
「ちょっと離れた瞬間、いきなりパシーン、だぜ?  ……あいつ、なかなか切れのいい平手を持ってやがる」
「千秋…… ビンタ張られて喜んどうなんて『ドM』やな……」
 ツッコむ気力も失せてぽつりと呟くと、東金は心外だとばかりに眉をひそめた。
「『ドM』は小日向だろ。 俺は『ドS』だそうだ」
「……誰や、そんなこと言うチャレンジャーは」
「小日向に決まってるだろ」
「うわ……」
 ツッコミはおろか会話を続ける気力も失せた土岐は、本気でパーティを楽しんで憂さを晴らすことにした。

 ちなみに。
 彼の顔をまともに見ることができなくなった部員たちは彼の腫れた頬に全く気付くことはなく、 優勝者に祝福と労いの言葉をかけにきた大会関係のお偉いさんたちは不祥事発覚を避けるためか見て見ぬふりを決め込んでいたため、大きな騒ぎにはならなかったことを付け加えておく。

*  *  *  *  *

 寮に戻ったのはすでに日が落ちてしばらく経ってからのことだった。
 古い扉を開けると、そこに佇む人影ひとつ。 おそらく彼の帰りを今か今かと待ち構えていたのだろう。
「あ……あのっ」
 駆け寄ってきた彼女は東金の顔を見るなり、今にも泣き出しそうにその愛らしい顔をくしゃりと歪めた。
やだ、どうしよう…… あのっ、ラウンジで待っててください!  冷やすもの持ってきます!」
 くるりと踵を返し、慌てた様子で台所へ駆け込んでいく。
 土岐は反射的に隣に立つツレの顔を見た。
 ぽかんとしていた彼はゆっくりと自分の頬に手を当てて、それからニヤッと口の端を上げた。
「……よからぬこと企んどるやろ、千秋。 悪人面になっとうよ」
「ふっ……余計な口出しはするなよ、蓬生」
 彼は瞑想をするかのように目を閉じた。 大きな深呼吸をひとつ。
 再び目を開けた時、さっきまでの上機嫌はどこへやら、彼は完全に不機嫌オーラを身に纏っていた。

 ラウンジの一番奥の椅子にふんぞり返って座る東金の元へ、洗面器を持った彼女がやってきた。
 洗面器をそっとテーブルに置き、中からタオルを取り出しぎゅっと絞る。 氷が入れてあるのだろう、カランカランと涼やかな音がした。 軽く形を整えた濡れタオルを東金の赤みがわずかに残る頬にそっと当てた。 彼はタオルを自分で支えようという気はさらさらないらしく、彼女はずっと彼の頬に手を伸ばしておかなければならなかった。
 時々タオルの折り方を変え、あるいは水に浸して絞り、彼女は東金の頬を献身的に冷やし続ける。 正当防衛とはいえ、恋人の頬に平手打ちを食らわせてしまった罪悪感に苛まれる彼女は果たして気づいているだろうか── 自分の腰に彼の手が添えられていることを。

 あの手が調子に乗って位置を下げるようなことがあったら痴漢行為の現行犯でお縄にしてやろう、と思いながら遠巻きに成り行きを見守っていた土岐。 ぼそぼそと小声で交わされる会話は聞き取れないが、ツレの不機嫌を装う小芝居はまだ続いているらしい。
 そのうち彼女がお辞儀をするようにすっと屈み込み、その耳元に彼が何かを囁いた。
「と……東金さんのバカぁっ!」
 持っていたタオルを彼の顔に投げつけて、一目散に駆け去っていく彼女。 その顔は、見事なまでに真っ赤に染まっていた。
「……ほどほどにしとかんと、嫌われてまうで…?」
「ハッ、嫌われるものか。 『キス1回でチャラにしてやる』と申し出てやったんだ、お互いに悪くない和解案だろ?」
 張り付いたタオルを摘まみ上げ、現れたのはいかにもご満悦といった顔。
「千秋……あんたやっぱり『ドS』やわ」
 くつくつと笑い続けるツレに向け、土岐は溜息混じりに呟いた。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 神南の部員たちに目撃されちゃったかなでちゃん、思わず手が出ちゃったんです(笑)
 ドSを貫くためには痛みも厭わない東金さん(笑)

【2010/04/16 up/2010/04/22 拍手お礼より移動】