■かれかの☆いんたぁみっしょん【1:アイスクリーム】 東金

※「彼と彼女と彼のツレ【8】」の後


 熱い戦いが終わっても、暑い夏はまだまだ続いている。

 セミファイナルで敗れはしたものの、東金のソロ決勝応援のため菩提樹寮に居残っている土岐。 涼しい場所を求めて部屋を出たところでばったり出くわしたのは芹沢だった。 彼はアンサンブルだけでなく、東金のソロの伴奏も務めることになっている。 休憩に入った東金から解放され、しばしの休息に部屋に戻ってきたところらしい。
「お疲れさん。 どや、千秋の調子は?」
「上々です。 なんだか機嫌が良すぎて、逆に怖いくらいですよ」
「へぇ……」
 東金千秋という人間が常に前を見据えていることを一番よく知っているのは土岐だろう。 昨日の敗戦ごときで落ち込むような男ではないことも知っている。 彼にはまだ大舞台が残されているのだから、落ち込んでいる暇などないことも。
「まぁ、機嫌がええのはええこっちゃ…… けど、つまらんなぁ」
「は、はい?」
 怪訝な顔で首を傾げる芹沢。 親友の好調を『つまらん』と一蹴する土岐の言葉を不思議に思っているのだろう。
「横浜来てからの千秋、なんや大人しすぎると思わへん?  千秋らしくないっちゅうか」
「そう……ですね」
「ま、原因はひとつ、やけどな」
 ニヤリ、と笑うと、普段あまり表情を顔に出さない芹沢も口元を緩めて、ですね、と笑う。
 この後の練習も頑張りぃや、と芹沢の肩をぽんと叩き、土岐はラウンジへ向かった。
 そこに目を疑うような光景が待っていることも知らず──

*  *  *  *  *

 寮のラウンジで練習していた東金は伴奏の芹沢に15分の休憩を言い渡し、窓際の椅子に身体を深く埋めてしばしの休息に身を委ねていた。
 と、ぱたぱたぱたと軽やかなスリッパの音が背後を駆け抜けていき、遠くでバタムッと音がしたかと思ったら、足音が再び戻ってきた。 ギシッと椅子が軋み、ガサゴソと物音が続く。そして──
「いっただっきま〜す♪」
 聞こえた声にガバッと身を起こして振り返る。
 少し離れた場所の椅子に座る彼女とバチッと目が合った。 彼女はあんぐりと大きな口を開けたまま、ぱちぱちと大きな瞳を瞬いて。 しばしのフリーズの後、顔の前に掲げた手に持つスプーンをパクリとくわえ、ゴクン、と何かを飲み込んだ。
「い……いたんですか?」
「いちゃ悪いか?」
 東金はのそりと立ち上がり、ぽっと赤く染まった顔をぶんぶんと横に振る彼女の元へ。
「へぇ……うまそうなもん食ってるな。 どれ、俺も一口もらうとするか」
 しかし彼女は椅子の上で身体を捩り、左手に持ったカップを隠そうとする。
「だ、駄目ですっ! これは素人さんには危険ですから!」
 彼としては、できたばかりの可愛い恋人からの『はい、あ〜ん♥』を期待していたわけでは決してない。 いや、もしかすると『男のロマン』的要素として頭のどこか片隅にひとかけらくらいはあったかもしれないが。 だがそれよりも、『危険』な食べ物への好奇心と素人呼ばわりされた悔しさが、何としても一口もらわねば、と燃える闘志に油を注ぐ。
 覆いかぶさるようにして彼女の両手を掴んで引き寄せた。 もちろん彼女は必死に抵抗するが、男の力に敵うはずもない。 彼女の手に握られたままのスプーンで、カップの中の緑色の物体をひとさじ掬った。
 ── なんだ、ただの抹茶アイスじゃねえか。
 気が抜けながらも、たった一口奪われることにこれだけ抵抗を見せるのだから相当美味いものかもしれないと期待が膨らんだ。
 そして、彼女の手ごと引き寄せたスプーンの先にパクリ。
「────── っ !?  お前、何食ってんだっ !?」
 予想と全く違う刺激を口の中に与えた冷たい物体を無理矢理飲み込んで。
 まだ掴んでいた彼女の左手を引き寄せ、持っているカップを凝視する。 商品名は『わさびアイス』──
 めまいを感じて、隣の椅子にドサリと身体を投げ出した。 まだ口の中がピリピリして、鼻の奥がツンと痛い。 じわりと涙が滲んできた。
「……だから危険だって言ったのにー」
 ちらりと横目で見やると、彼女は不満そうに唇を尖らせて、スプーンの先でアイスをつついていた。
「……信じられねえ……お前の味覚、大丈夫なのか?」
「だって商品化されてるんですよ?  ということは他にもこれが好きっていう人がいるっていうことで…… 慣れればクセになるっていうか……」
 しょんぼりと俯いていく彼女。 だが、東金の口からは溜息しか出てこない。
 と、立ち上がった彼女は東金の前に立ち、顔を覗き込んできた。
「あの……大丈夫…ですか?」
 お水持ってきます、と踵を返そうとした彼女の手を咄嗟に掴んだ。
「……慣れればいいんだな?」
「え…?」
「よし、慣れてやろうじゃねえか」
「ええっ !?  そ、そんな無理しなくてもっ!」
 逃げようとする彼女。 逃がすまいと引っ張る東金。
 膠着状態が続くうち、彼女が足元のバランスを崩した。 きゃっ、と小さな悲鳴を上げて倒れそうになる彼女の腰を支えた東金がそのまま引き寄せる。 結果、彼女は東金の右足の上にちょこんと座ることに。
「あの……これ……どうぞ」
 彼の顔の前におずおずとカップを差し出す彼女。 普段は見下ろすことの多い彼女を少し下から見上げるというアングルは初めてで、なかなか新鮮だ。 東金はニヤリと笑い、
「悪いが俺の手は今塞がってるんでな」
 彼女の腰に回した右手にきゅっと力を込める。 ひゃっ、とさっきとは違う色の悲鳴を上げた彼女は耳まで赤くなった。
「ほら、小日向、アイスが溶けちまうぜ?」
「もう……っ」
 しぶしぶとではあったけれど、彼女がわさびアイスを東金の口に運んだその時──

「「あ」」

 ラウンジの入り口に呆然と立ちすくむ土岐と目が合った。
「…………………あー、ええんよ。 俺のことは気にせんと続けて?  ほな、お邪魔さん」
 くるりと背を向け部屋に戻っていく土岐。
 さすがの東金も恥ずかしかったらしい。 彼女以上に赤くなった顔を空いた左手で覆い隠した。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 いやぁ、ひどい、ひどすぎる。
 妄想ここに極まれり。

【2010/03/26 up/2010/04/02 拍手お礼より移動】