■花を咲かせよう 金澤

 ── 春、巣立ちの季節。
 本日、ここ星奏学院からも250名の卒業生が巣立っていく。

 自分の巣である音楽準備室の愛用の椅子に腰掛け、ぐるりと周りを見回した。
 壁に造り付けの棚には備品の楽器や折りたたみの譜面台、本棚には数々の楽譜や資料。
 床の上に無造作に置かれているのは、早く中身を入れてくれ、と言わんばかりに口を大きく開けたいくつかのダンボール箱。
 椅子の背もたれに体重をかけ、うーんと背伸びをしてからおもむろに足を組み、さっき購買に寄って買ってきた熱い缶コーヒーに手を伸ばす。
 伸ばした先の机の上で目に付いたのは、長年愛用してきた灰皿。
 紫煙をくゆらせることをやめた今では、吸殻の代わりに画びょうやクリップがその中を占領していた。
 それにしても若人のひたむきな情熱の力というものは大したものだ。
 残りかすだと思っていた人生を送っていた自分が、まだやれることがある、なんて熱い気持ちにさせられるなんて。
 そんなことを考えた瞬間、頭を過ぎったひたむきな瞳。
 本人にはそんな意識はなかったのかも知れないが、最終的に音楽でこの学院の危機を救った少女が奏でるひたむきで甘やかな音色が聞こえたような気がして、思わず口の端が上がった。
「金やーん!」
 バタバタと騒々しく準備室に駆け込んできたのは、卒業生随一のお祭り男。
「なんだ火原、まだ帰ってなかったのか。そんなに学院にいたいなら、留年させてやってもいいぞー」
「そんなわけないじゃん。なんだよ、せっかく挨拶に来たってのに── って、どうしたの金やん。引越し?」
 火原は部屋の中のダンボールを覗き込んで、不思議そうな顔でそう訊ねた。
「ま、身辺整理、ってところだな」
「なに !? 金やん、学院辞めるの !?」
「いや──」
 もう一度歌うために喉の治療を決意してから、昔の歌手仲間に訊ねたり、自分なりに調べたりして、アメリカに耳鼻咽喉科の権威がいることがわかった。
 理事長である吉羅にそれを話し、辞表を差し出したところ、目の前で破り捨てられ、勝手に休職扱いにされた、というのが本当のところなのだが。
 しかし、俺の身体のことを我が事のように心配してくれていた後輩の気持ちに甘えることにして、とりあえず1年間の休職をすることにしたのだ。
 そして俺は、4月には診察を受けるためアメリカに飛ぶ。
 内部進学の火原はどうせ4月からもちょくちょくオケ部の後輩指導のために出入りするだろうから、隠しても仕方がない。
「── まあ、なんだ、一種の武者修行みたいなもんだな」
「金やん……」
 てっきり土産でもせびられるのかと思っていたら、いつもニコニコのお祭り男は真剣な面持ちで眉を寄せていた。
「あのさ、金やん…… 余計なことかもしれないけど……」
「なんだ、お前さんらしくないな。面倒なことじゃないなら聞いてやらんこともないぞ」
 言い辛そうに後ろ頭をボリボリ掻いていた火原は、決心したように頷いて、俺の目をじっと見つめた。
「あのさ…… 日野ちゃんのこと、どうするの?」
「…… っ !?」
 柚木ならともかく、鈍感な火原に感づかれるような素振りを見せたことはないはず……だが。
 何を言おうとしているのかはわからないが、とりあえず平静を装って、持ったままのコーヒーを一口あおる。
「どうするって…… そりゃ日野も春から音楽科に移るし、コンクール担当のよしみで見守ってやりたいのはやまやまだが…… ま、あいつのことだからなんとかやってけるだろ」
「そうじゃなくって! その…… おれ、見ちゃったんだよね、クリスマスコンサートの後」
「ぶほっ!」
 焦りからか渇きを覚える喉を潤そうと口につけたコーヒーを勢いよく吹き出してしまった。
 飛び散った茶色の液体がよれた白衣に小さな染みをいくつも付ける。
「ふたりがなかなかパーティに来ないからさ、おれ、様子見に行ったんだ。ツリーの前で二人を見つけて声かけようと思ったら、 金やんが日野ちゃんに上着かけてあげてさ、それから抱きし──」
「あーもういい! 皆まで言うな!」
 何とか制止したものの、俺がコーヒーにむせている間にほとんどしゃべられたわけだが。
「だいじょうぶ! おれ、誰にも言ってないから! 柚木にだってしゃべってないんだから!」
「はいはい、気を遣わせてすいませんねぇ」
 飛び散ったコーヒーの飛沫をティッシュで拭き取っていると、火原は壁に立てかけてあったパイプ椅子を持ってきて、俺の前に腰を下ろした。
「ねえ金やん、日野ちゃんは金やんがいなくなること、知ってるの?」
「当たり前だろうが。若人の頑張りを見て、大人も頑張ろうと思ったんだよ── ってなんでお前さんにこんな話をせにゃならんのだ」
 思わず口に出してしまった照れ臭さに首筋をボリボリと掻く。
 ちらりと盗み見た火原の顔は、春から大学生とは思えない子供じみた目をキラキラと輝かせていた。
「わかる! わかるよ金やん! そうなんだよ、日野ちゃんが頑張ってる姿見てると、おれも頑張ろーって気になるんだよね! 金やんが日野ちゃんのこと好きになった気持ち、わかる!」
 あまりにストレートな物言いに、思わず肩がズルリと下がった。
 無邪気にそんなことが言える若さが、少し羨ましくも思える。
「あ、あのな……」
「天羽ちゃんも冬海ちゃんもいるし、月森くんも土浦も志水くんも加地くんも、もちろんおれもオケ部に顔出すし、みんなで日野ちゃんのこと守ってるからさ、うん!」
「おい……」
「だから金やんは心置きなく修行してきてよ!」
「……… はぁ…」
 俺が何の『修行』をすると思っているのかは知らないが、火原は言いたいことだけ言うと、入ってきた時と同じようにバタバタとせわしなく部屋を出て行った── 『お土産お願いね!』と言い残すことを忘れず。

 急にしんと静まり返った室内の空気がなんとなく息苦しいような気がして、窓を大きく開けた。
 まだ少しひんやりした空気に小さく身震いしつつ下を見下ろすと、正門に向かって元気よく走っていく火原の姿が見えた。
 窓枠に手をかけ、肺いっぱいに外の空気を吸い込むと、ふと空から金色の音色が降ってきた。
「今日は屋上で練習か…… ご苦労さん」
 目を閉じ、柔らかな音色に身を委ねながら、ヴァイオリンを奏でる少女の姿を思い浮かべる。
 ── どうしてお前さんは俺なんかを選んだんだろうな。
 歳だってダブルスコアほど離れているのに。
 ま、『蓼食う虫も好き好き』って言葉もあるしな。
 蓼の葉を食べていた青虫が、いつか羽化して蝶になった時── 蓼の木に花がついていたら、蝶はその花の周りを飛んでいてくれるのだろうか。
 ── その花が『オペラ歌手』であろうと『音楽教師』であろうと。
 それがどんな花であろうとも、咲かせようと努力することに気付かせてくれた奇蹟の音色を聞きながら、俺はダンボールを手繰り寄せて荷物の整理を再開した。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
なんでコルダ2第1作が金やんなんだー !?
いや、いいのよ、あたし、金やんラヴだからさ。
他は書きたいネタが多すぎて、脳内整理整頓中なもので。
金やん&火原コンビはなにげに好きなんです。

【2007/03/27 up】