■手をつないで
香穂ちゃんが、変だ。
日に日に元気がなくなっていくのが、おれにだって手に取るようにわかる。
みんなはおれのこと、鈍感だって言うけど、香穂ちゃんのことだけはぜんぜん別だよ。
だって、いつだっておれは香穂ちゃんのことを見てるんだから。
けらけら大笑いながら話してたのに、急に視線を落として溜息を吐いてみたり。
時々ぼーっとしてて、話しかけても聞こえてなくて、『え、あ、ごめんなさいっ』ってオロオロしてたり。
この間のバレンタインのときも、手作りチョコをくれた香穂ちゃんに『おれ、すっげー幸せ!』って言ったら、
ぼろぼろ涙をこぼして泣いちゃったんだよな。そのあとすぐにいつもの笑顔になったけど。
「─── って言うんだよ。ひどいと思わない? 香穂ちゃん」
「…………」
「香穂ちゃん?」
「…………」
あ、まただ。
お気に入りの喫茶店でケーキを食べながら話してたら、香穂ちゃんがフォークを持ったままボーっとしてる。
朝、迎えに行ったとき、『先輩、あの喫茶店、新作のケーキが出たんですよ。行ってみません?』って、すっごい楽しそうに誘ってくれたのに。
おれは静かに香穂ちゃんの隣の席に移って、しばらく香穂ちゃんの横顔を眺めていた。
深刻そうな顔をして、眉間にしわ寄せて。
しばらく見つめてたけど── 香穂ちゃんはまだおれが見てることに気づかない。
おれは人差し指を立てると、香穂ちゃんの柔らかいほっぺをツンとつついた。
「ぅわっ、び、びっくりした……」
「どうしたの、最近香穂ちゃんちょっとヘンだよ。なんか悩みごと?」
「そ、そんなこと…… そんなことないですよ、うん、ぜんぜん、悩んでなんか──」
さっきの眉間のしわは『そんなことない』わけないじゃない。
「おれに隠しごとはナシだよ。そんな子は『ほっぺツネツネの刑』だ!」
そう言って、おれは香穂ちゃんのほっぺを軽ーくつまんだ。
その時──
香穂ちゃんの瞳が揺れて、大きな眼から涙が溢れた。
「うわっ、ご、ごめんっ。今の痛かった!?」
慌ててほっぺから指を放すと、香穂ちゃんは小さく頭を横に振った。
「ち、ちが…っ …… だって… 先輩、もうすぐ… 卒業…っ」
香穂ちゃんは泣きじゃくりながら、そう言った。
あ、そうか。おれの卒業が近づいてきたから、香穂ちゃんの様子が変だったんだ。
あー、おれってバカ。
香穂ちゃんのこと、見てるだけじゃダメなんだよ。わかってあげなきゃ。
「ね、香穂ちゃん。おれが卒業したら、おれたちってそれでおしまいなの?」
香穂ちゃんはぶんぶんと首を横に振った。
「でしょ? だから泣かないで?」
香穂ちゃんは涙を止めようと必死でしゃくりあげる。そんな顔もとても愛しい。
思わずおれは膝の上でぎゅっと握り締められた香穂ちゃんの手を取って、そっと包んだ。ほっそりした柔らかい手。
ゆっくりほどくように開いたその指先はすこし硬くて、すっかりヴァイオリニストの指になっていた。
「あのさ、おれが卒業したら、確かに朝一緒に学校行ったり、お昼を一緒に食べたり… そんなことはできなくなると思うんだ。
でもね、おれ、卒論で忙しくなるからって王崎先輩に月水金のオケ部のフォロー頼まれたし── あ、頼まれなくてももちろん行くつもりだったよ。
それに休みの日は今までと全然変わらないし、大学だってここから目と鼻の先なんだから」
「でも、校内に和樹先輩がいないのは寂しすぎるよ」
俯いた香穂ちゃんのスカートに丸くシミができた。
「それはおれだって寂しいよ。でも── 追いかけてきてくれるんでしょ?」
えっ、と香穂ちゃんが顔を上げた。
「1年後。付属大学の音楽学部。おれ、待ってるからさ、また一緒に学校行けるの」
香穂ちゃんはまだ涙の跡が残る顔でにっこり笑うと深く頷いて、おれが握っている手をきゅっと握り返してくれた。
おれは空いているほうの手で香穂ちゃんの頬をそっと拭った。
「さ、ケーキ食べたら帰ろ?」
おれは、向かいの席に置き去りにされていたケーキ皿を引き寄せた。
あの後。
おれたちはケーキをもうひとつずつ注文して平らげてから店を出た。
香穂ちゃんの家へ向かう道を歩きながら、どちらからともなくつないだ手が香穂ちゃんの温もりを伝えてくる。
「先輩… 泣いちゃったりしてごめんなさい」
香穂ちゃんは泣いて少し上気した顔を照れ臭そうに俯けながら、えへへ、と笑った。
「ううん、謝らなくていいよ。おれのほうこそ、気づいてあげられなくて、ごめんね」
急に手を後に引っ張られて、慌てておれも足を止める。香穂ちゃんが俯いたまま立ち止まっていた。
「やっぱり── 先輩は先輩、だね。あたしよりずっと大人だもん」
香穂ちゃんの呟きにおれの胸がチクリと痛む。
「もういいって。── 実はさ、冬休み明けにクラスのやつらと話しててさ。『もうすぐ卒業だね』って話になって。
春から香穂ちゃんと別々の学校なんだって改めて実感したんだ。で、家に帰って泣いちゃってさ。
そしたら兄貴に笑われた。で、慰められた。だから── さっきのは全部兄貴のウケウリ… なんだよね」
大きく眼を見開いて、きょとんとした顔で聞いていた香穂ちゃんが、ぷっ、と吹き出した。
「うわ、そんなに笑わないでよ。やっぱり言うんじゃなかったよ」
あーもう、穴があったら入りたいってこのことだよな。
クスクス笑っていた香穂ちゃんが、不意におれの目を見つめる。やんわりとした笑顔で。
「先輩、手、放さないで」
「もちろん!」
一緒にいるときはいつも手をつなごう。いつでも、どんなときでも。
何があっても、おれはこの手を放さないから、ね。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
えー、卒業SSでございます。
喫茶店でのふたりの会話を聞いていた他のお客さんたちは、きっと口から大量の砂を吐いたことでしょう。
バカップル万歳っ!
しっかり者火原かと思いきや、やっぱり泣いたんかいあんたはっ!ってことで。
【2005/02/19 up】