■ファースト・ステージ
※初々しいキス10題 05:緊張しすぎて (お題提供:TOYさま)
喧騒から離れ、梁太郎が向かうのは地下の廊下。
ずらりと並ぶ楽屋の扉のひとつをノックした。
「……Ja」
弱々しい返事に苦笑しながら、そっと扉を開ける。
「……なんだ、梁かぁ…」
香穂子はカクンと項垂れると、側にあった椅子にドサリと腰を落とした。
「なんだ、はないだろ。
わざわざ様子見に来てやったってのに」
「余計緊張するっ!」
駄々をこねる子供のように足をバタバタさせる。
せっかくばっちりメイクしてステージ衣装で着飾っているというのに、まるで台無しだ。
とはいえ、彼女が緊張するのも無理はない。
ここウィーンで開かれた由緒ある音楽コンクールの優勝者によるガラコンサートが間もなく開演する。
香穂子がここにいるということは、彼女がヴァイオリン部門の今年の優勝者だからに他ならない。
優勝を勝ち取った同じステージで、今度はプロの演奏家としての第一歩を踏み出すのだ。
「あーもうどうしようっ!
……人、人、人──
何人飲み込んでも緊張ほぐれないーっ!」
手のひらに文字を書いて飲み込む真似をして、結局じたばたと暴れ出す。
「ったく……
今日の協奏曲、ファイナルで演奏した曲だろ?
それにコンクールの後、今日まで練習もしっかりやってきた。
お前ならやれるって」
「他人事だと思ってー!
あー指震えるーっ!
足ガクガクするーっ!」
あまりの緊張ぶりに溜め息ひとつ、彼女の座る椅子の前に立つ。
「ほら、立て」
「うぅ……」
香穂子は渋々立ち上がる。
「深呼吸してみろ」
「…………すー、はー…」
「もっと大きく息吸って」
「すー……」
香穂子は言われた通り、胸を逸らして大きく息を吸いながら目を閉じる。
梁太郎はそんな彼女にすかさず口付けた。
「── な、何っ !?」
彼女の抗議は無視。
せっかく整えた髪やメイクを崩してしまわないように気をつけながら、そっと抱き締める。
「── お前は優勝したんだ、自信持てって。
お前のヴァイオリン、客席のヤツらに聞かせてやれよ」
「…………うん」
景気づけに、ぽん、と背中を叩いて彼女から離れ、顔を見ないまま楽屋を後にした。
急いで戻った客席の、確保しておいた席に滑り込んだ。
「── 遅かったな」
「ん?
ああ、悪い」
隣の席は、高校在学中にウィーン留学し、一足先にプロデビューしている月森 蓮。
彼は梁太郎の顔を見るなり眉間に皺を寄せ、ふっと視線を外した。
「……なんだよ」
「……顔を洗ったほうがいいかもしれない」
「はっ?」
「その……口元に赤いものがついているから」
「っ !?」
思わず口を手で覆って席から立ち上がったその時、開演のベルが鳴り響いた。
舌打ちしながらそのまま手のひらで口を拭い、気まずい思いの中ドサッと席に腰を下ろす。
オーケストラがスタンバイした後、指揮者と共に舞台袖から姿を現した香穂子は、さっきの楽屋での様子が嘘のように堂々としていて。
「……ったく」
梁太郎は気まずさも僅かに残った口紅のことも忘れ、これから鳴り響く音楽への期待を膨らませてニヤリと笑った。
〜おしまい〜
うぃーんシリーズ的な。
お題の意図はキスに対する緊張なんでしょうが、
思いつかなかったので、緊張をキスでほぐしてみました(笑)
ついでに「初々しい」もどっかに消えました(笑)
【2012/06/03 up】