■Hurry up! 土浦

☆サイト開設6周年記念リクエスト大会☆
うしおさまからのリクエスト『やきもち焼いて拗ねる土浦』(未来パラレル)

 アンコール曲が終わり、大きな拍手とブラヴォーの声に楽団員たちが見送られていく。
 ウィーンのとあるホールで極上の音楽に包まれた夢のようなひとときを過ごした聴衆たちの一部は、抑えきれぬ興奮を一刻も早く伝えたくて楽屋へ向かうべく我先にと席を立っていった。
 もう少し余韻に浸ってりゃいいものを── 舌打ちした土浦梁太郎は苛立った様子で、直すでもなくネクタイの結び目に触れて溜息を吐いた。
「── もうっ、何のんびり座ってるのよ!  早く楽屋行こ!」
 隣の席から聞こえた急き立てる声に、梁太郎はさらに深い溜息を吐いて渋々重い腰を上げたのだった。

 熱狂的なクラシックファンの楽屋訪問を受けるのは主に指揮者とソリストである。
 楽屋前の廊下はサインをねだろうとプログラムとペンを握るファンたちに加え、新聞や雑誌の記者たちでごった返していた。
 扉のひとつがゆっくりと開かれると、群衆からワッと歓声が上がる。 途端、記者の構えるカメラのフラッシュが眩く瞬いた。
「感動しました!」
「素晴らしかったわ!」
「サインお願いします!」
 背の高い梁太郎の視点からは、人々の頭がぎゅっと中心に吸い込まれていくように動くのが見えた。
「皆さん、ありがとうございます!  後ろの方、危ないですから押さないでくださいね!」
 高らかにそう言ったのは本日のソリスト、日野香穂子である。 深紅のドレスに身を包んで── いるはずなのだが、人垣に隠れて頭の天辺あたりしか見えない。 目を瞑れば、ステージの上で堂々と演奏していた姿がありありと脳裏に蘇った。
「── ちょっとすみませんっ!」
 大きな花束を抱えた青年が後ろから駆け込んできて、人垣を掻き分け中心へと身体を捻じ込んでいく。 そして香穂子の元にどうにか辿り着いた青年は、
「素晴らしい演奏でした!」
 美しいバラの花束を香穂子へと差し出したのだった。
「わぁ、綺麗……ありがとう!」
 香穂子は抱えたバラの花よりも華やかで美しい笑みを青年へと向けた。
 あの微笑みは自分に向けられてしかるべきものだ── 梁太郎は思わず奥歯を噛み締める。
 そして次の瞬間、集まった聴衆がどよめいた。 激しいフラッシュが視界を焼く。
「っ !?  あの野郎っ!」
 あろうことか青年は香穂子へハグとキスのコンボを繰り出したのだ。 もちろんキスと言っても頬へ、ではあったけれど。
「あーもうほらっ!  ぐずぐずしてるから先越されちゃったじゃないっ!  こんなとこで拗ねてないで、さっさと行けばいいのに」
「拗ねて、って……お前なぁ」
「だってそうじゃない。  あの子がキスした瞬間、ムキーッ!って顔したクセに」
 そんなに顔に出てたのか── ドキリとして梁太郎は思わず口元を隠すように覆った。
「このやきもち焼き〜」
「……親をからかうのもいい加減にしとけよ」
 大きな溜息と共に、げんなりと項垂れる梁太郎。
 そう、彼と一緒にここに来ていたのは土浦家の一人娘、凛々香だった。 ウィーンにある音楽院に通うようになった今でも恋人同士のような両親は彼女にとって大きな自慢でもあるが、からかって遊ぶと楽しくて仕方ないのもまた事実。
「行こ!」
 強引に腕を引っ張られ、梁太郎はよろめきながら聴衆へと突っ込んだ。
「お、おいっ、ちょっと待てっ!」
 指揮者・土浦梁太郎という思いがけない有名人の登場にその場は再びどよめき、演奏が終わった時にも似た興奮に包まれる。
 そして梁太郎の手を引っ張っていた凛々香は急に興味を失ったかのように彼の手をぽいっと放り出すと、抱えた花束ごと香穂子に抱きついた。
「お疲れさま、ママ!  今日もいい演奏だったよ!」
「きゃーっ、ありがと凛々香っ!」
 ぱっと見では姉妹のようにも見える母娘が抱き合ってきゃあきゃあはしゃぐ様子は微笑ましくて、見ている皆の頬が緩んでいく。
「ほら、パパも!」
 凛々香は香穂子が抱えている花束をひょいと取り上げニヤリと笑って手招きする。
 仕方なく前に進み出ると、香穂子はへにゃりと笑って少し不安そうに小首を傾げた。
「どう、だった?」
「ああ……よかったよ」
「ふふっ」
 嬉しそうに笑った香穂子は空になった手を伸ばしてきた。 背伸びしながら首に抱きついてきた妻の背を、梁太郎はそっと支えてやる。 視界の端でさっきの青年が申し訳なさそうにしょんぼりしているのが見えて、年甲斐もなく優越感に浸りながら細い身体をぎゅっと抱きしめた。

 その後、土浦夫妻は聴衆からのサイン攻めに遭い、音楽界でも知られた仲良し家族は記者たちの取材攻勢にさらされたのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 み、短い(汗)ボリュームアップ作戦、失敗……
 土浦さん、誰と一緒にいるんだ !? とお思いになったことでしょう。
 うちの捏造娘・凛々香ちゃんでございました。
 誰それ、とおっしゃる方は短編「悠久の時の流れの中で」「仲良きことは美しき哉」をどうぞ。
 うしおさま、リクエストありがとうございました♪

【2010/11/04 up】