■土日で五十音【な行/は行】
★このページは【な行】【は行】です。
な 【懐く】
ソファにゆったりと腰を落ち着けてヘッドホンで交響曲を聴いていたら、グイッと身体が傾いた。
隣を見れば、ちょこんと香穂が座っている。
特に用事があるわけでもなさそうだし、そのまま目を瞑って聞こえてくる音に意識を戻す。
ぺとっ。
香穂が寄り添ってきた。
ヘッドホンから漏れる音に耳を傾けているのだろうか?
寄りかかられた程度のことでドギマギする時期はとうに過ぎた。そのまま彼女のしたいようにさせておく。
と、居心地が悪かったのか、香穂は狭いスペースでゴソゴソと体勢を変えていった。
向こうを向いて背中でもたれかかってきたり、ゴロンと転がって俺の膝を枕にしたり。
体勢はころころ変わっていくが、変わらないことがひとつ── 身体のどこかが必ず触れていた。
しょうがない、相手をしてやるか。
ヘッドホンを外すと同時に、香穂はソファから立ち上がる。
「さーて、練習始めよっと」
うーんと背伸びをしながら楽器を取りに向かう香穂。
はあっ !? なんだよそれ!
今度はこっちから懐いてやる!
俺はソファからすっくと立ち上がった。
(うぃーんシリーズ設定)
に 【ニンマリする】
小さく切ったケーキの一切れをパクリと頬張って、ニンマリ笑った彼女が『おいしい!』と一言。
ほっと胸を撫で下ろす。
懸命にリサーチして連れてきたのだ、これで『マズい』と機嫌を損ねられでもしたら立つ瀬がない。
しばらくほったらかしにしてしまったことへの懺悔の意味もあるのだから。
幸せそうにケーキをパクつく目の前の彼女を見て、ああやっぱりこいつは笑顔じゃないと、としみじみ思う。
そんな彼女を眺めながら掻き混ぜたこげ茶色の水面の中で、自分の顔もニンマリと笑っていた。
(何度目だ? ケーキネタ……)
ぬ 【ぬるま湯に浸かる】
がちゃっ!
大きな音を立ててバスルームの扉が開く。
血相変えて飛び出してきたのは、腰にタオル1枚巻きつけただけの頼りない格好の梁太郎。
「おい香穂っ! なんだあのぬるい湯はっ!」
「だから半身浴してたって言ったじゃない」
あと30分くらいは浸かっていたかったのに、まだかまだかと急かすから仕方なく諦めたのだ。
「あんなぬるい湯に1時間も浸かってたのか !? 風邪引くだろうがっ!」
「ていうか、そんな格好だと梁が風邪引いちゃうよ?」
ピキン、と彼のこめかみに青筋が立つ。
「明日から必ず俺が先に風呂入るからな!」
ばたむっ!
扉の閉まる大きな音にひょいと肩をすくめて、読みかけの雑誌のページをぱらりとめくった。
(うぃーんシリーズ設定?/腰タオルの土浦さんを書きたくなった模様)
ね 【猫と戯れる】
森の広場で人を探して歩いていたら、目的の人物は木陰で夢の世界へ旅立っていた。
木にもたれて足を投げ出して── なんて無防備な格好なんだ。思わず溜息が出る。
だらりと垂れた手元には、起きている時に読んでいたであろう楽譜が。
そして揃えて投げ出された足の腿のあたりには、丸くてもふもふした物体が乗っかっていた。
しゃがみこんで丸いもふもふをツンとつつく。
「そこは俺の特等席── になる予定なんだがな」
もふもふがむくりと顔を上げ、気だるそうに片目を細く開いて、にゃー、と鳴く。
くわっと大きく口を開いてあくびをしたかと思ったら、何事もなかったかのように再び丸まった。
「……なんだよ、ライバル宣言か?」
そう呟いた瞬間、ふと我に返る。
慌てて見た彼女のうっすら開いた唇が少し微笑んだように見えてドキリとした。
(きっともふもふは風でスカートがめくれないように重石代わりになっていたんだと思う)
の 【ノーブレス・オブリージ】
「── それは我々の、いや『あれ』らの驕りだとは思わないかね? 日野君」
深く俯いて自分の爪先を睨みつけていた香穂子が、ぐ、と下唇を強く噛んだ。
吉羅はその様子に薄い笑みを浮かべると机に肘をついて組んでいた手を解いて、座っているプレジデントチェアにゆったりと背中を沈ませる。ギ、と小さな軋みが聞こえた。
「あれらからすれば『ノーブレス・オブリージ』とでも言いたいのだろう。だが、そうなるとクラシック音楽を目指す者以外は高貴ではないという理屈になる。
君もそう考えているのかね── 土浦君」
んなわけねーだろ。
奥歯をギリギリと噛み締め、ありったけの怒りを込めて睨み付ける。
さっき倒れそうになったところを支えた時のまま掴んでいた香穂子の肩は、まだ小刻みに震えていた。
「納得もできないうちから義務だけを負うなど、馬鹿げているとしか思えない── この話は終わりだ。ご苦労だったね、君たち」
部屋から出て行けと言わんばかりに、吉羅は椅子をくるりと回転させて窓の方を向く。
「─── 待ってください」
搾り出すような、それでもはっきりとした小さな声。
す、と香穂子が顔を上げた。
「私は………それでもヴァイオリンを弾き続けます!」
まるで咆哮だった。
だが、もう彼女の身体は震えてはいない。
梁太郎は香穂子へ力を分け与えるかのように、彼女の細い肩を掴んだ手に力を込める。
ギ、と椅子を軋ませて、ゆっくりと吉羅がこちらを向いた。
(シリアス長編風、でも意味もプランもナッシング/なんとなく使ってみたかっただけ/投票除外希望)
は 【ハミガキ】
しゃこしゃこしゃこ。
扉が開けっ放しのバスルームから聞こえる、リズミカルな音。
取り立てて興味があったわけではないけど、吸い寄せられるように音がする方へと足が向く。
ひょいと覗き込むと、当然そこにはハミガキ中の彼の後ろ姿があった。
顔の辺りに持ち上げられた右腕が、音とリンクして上下左右に忙しく動いてる。
それから──
「……ほーひはんは?」
「へ……?」
口の周りが泡だらけの彼が、しゃこしゃこと歯ブラシを動かしつつ腰を捻って振り返った。
あーなるほど……鏡に映る彼の後ろにポカンと口を開けた私の間抜けた顔が見える。
急いで口をすすいだ彼は、タオルで口元を拭いながら洗面台の前を離れた。
「で、どうしたんだ?」
「あ、えと……ハミガキしてる時、なんで左手を腰に当ててるの?」
「は?」
一瞬考えた彼は、軽く握った右手を口元に、左手を腰に当てた。
「………そういえばそうだな」
「ね、ね、どうして?」
「……手持ち無沙汰だからじゃないか? つか、お前もいつもやってるぜ?」
「えっ、ウソっ !?」
「いや、マジ」
そんなの全然記憶にない!
なんだかすごく恥ずかしくなって、腰に当てたままだった彼の腕にしがみついて、ぼふっと顔を埋めた。
(『風呂上がりの一杯』も腰に手を当てるイメージがあるよね)
ひ 【引越し】
ガランとした部屋にひとり佇んで。
この部屋ってこんなに広かったっけ?
残っているのはもともと備え付けの家具とピアノ。
留学してきてからずっと過ごした、思い出のいっぱい詰まった部屋。
楽しいことも悲しいことも、嬉しいことも悔しいことも、いっぱい、いっぱい詰まっている。
いろんなことが頭を過ぎって、鼻の奥がツンと痛くなった。
ほわん、と背中が温かくなった。後ろから伸びてきた腕が胸元で交差する。
「そろそろ、行くか?」
「……うん」
膨らんだお腹をそっと撫でる。
もうすぐ家族が増えるから、もう少し広い部屋へお引越し。
(うぃーんシリーズの未来予想図)
ふ 【古いアルバム】
親友に貰ったたくさんの写真を整理していたら、なんとなく昔のアルバムに手が伸びた。
ちっちゃな赤ちゃんから少しずつ成長していく自分の姿。
中身も少しは成長したのかな、なんて思いながらページをめくっていたら──
「あっ!」
小学校の運動会、1等賞の旗を持って満面の笑みでピースサインをする私の後ろに、たまたま通ってフレームに納まった小さな頃の彼の姿が!
急いで携帯を取り出してパシャリ。
写り具合を確認してから、メールに添付して送信。
『発見! 私の後ろ、写ってるよ!』と文面を添えて。
しばらくして返ってきたメールには、『間違いなく俺だな。俺も探してみる』。
ふふっ、あの頃からちゃんと近くにいたんだね。
その後、ふたりの間を画像添付メールが何通も行き交った。
(変な顔とか格好とかで写ってたらヤだな)
へ 【減る】
「……も……ギブアップ…っ」
「お前が先に仕掛けてきたくせに」
「そんな…つもりじゃ…なかった…もん」
「ま、気にすんな。どーせ減るもんでもないし」
「減る!」
「……何が?」
「私が!」
「へえ……」
減るどころかふっくらと腫れぼったくなった彼女の唇を、つ、と親指の腹でなぞった。
(キス魔降臨/【な】の続き)
ほ 【報酬を得る】
アンコールの『歓喜の歌』が自分のために演奏されたような錯覚を感じながら、待ち合わせ場所へ急ぐ。
煌びやかなイルミネーション輝く、大きなツリーの前。
真っ白い息を吐きながら駆け寄ってきた彼女に、お疲れさん、と声をかけた。
「── ありがとう、土浦くん」
あれこれ話をしているうちにふと黙りこくった彼女は、感極まったようにそう呟いた。
「礼を言われるほどのことはしてないぜ。どっちかっていうと、礼を言いたいのは俺の方だ」
「ううん、コンクールの頃からずっと、いろいろとお世話になったもの。ほんとにありがとね」
「いや、だから、礼を言われるようなことは──」
このままじゃ、堂々巡りになりそうだ。
「── んじゃ、俺のこれまでの働きに対する報酬でももらうとするか」
「え…?」
きょとんとして小首を傾げる彼女の華奢な肩に、ぽん、と手を置き、ゆっくりと顔を近づける。
気づいた彼女は一瞬大きく目を見開いた後、ゆっくりとまぶたを下ろした。
(外ですけどいいんですか?)