■鈍色の空と青い空 土浦

【いろいろとお騒がせしました『禊』リクエスト大会】
きむちさま からのリクエスト/土日共同作業 in 合宿

 駅舎を出て見上げた空は、重苦しいほどの曇天だった。
 今にも雨が降りそうな── いや、この気温ならば降るのは雪だろう、と考えた月森蓮の口からは思わず溜息が零れてしまう。 吐いた息は白く、吹きつける冷たい風に散っていった。
 やってきたのは元来避暑地である。夏に涼しいのなら、冬の厳しさは推して知るべし。
 もちろん月森は閑散とした真冬の避暑地へひとりでやって来たわけではない。
「── あー、着いた着いたぁ〜!」
「きゃーっ、さむーい!」
 周囲から聞こえる賑やかな声に、知らず苦笑が浮かぶ。
「おい、走るとコケるぞ」
「だいじょぶだいじょ── んきゃっ !?」
 雪解け水が凍っていたのか、駆け出した新米ヴァイオリニストが足を滑らせた。
 あやうく転びそうになった彼女の腕を慌てることなく掴んで支えてやる強面ピアニスト。おそらく彼女の行動パターンは予測済みだったに違いない。
「ほれみろ」
「うぅ……ごめん」
 彼は彼女の肩から下がる大きなバッグを取り上げ、自分の肩にかけた。
「楽器は自分で持てよ」
「うん、ありがと」
 見上げる彼女はニコリと笑う。
「うわ、土浦ってなんだかジェントルマン! じゃあおれ、冬海ちゃんの荷物持ってあげるよ!」
「あー火原さん、それなら僕が持ちますよ」
「いいっていいって! おれ、先輩だし!」
「でも…勉強道具、結構重くないですか?」
「う……せっかくの合宿なのに思い出させないでよ、加地くん」
「あ……あの……私は自分で……」
 オロオロするクラリネット吹きの荷物を取り合うトランペッターとヴィオラ弾き。
 それをにこにこと見守るフルーティストと、ぼんやりと眺めているチェリスト。
「ほら、お前さんたち、遊んでないで行くぞー」
 引率の教師が促すと、
「じゃあ私が持ちます!」
 結局ヴァイオリニストが荷物を攫って、先へと進んでいく。
「……俺が荷物持ってやった意味がないだろ…」
 ぼやきながら後に続いていくピアニストのぼやきに、月森の苦笑が深くなった。
 同行しているのは『いつもの』メンバー。
 もうすぐ行われるコンサートのためにアンサンブルを組んでいる彼らは、曲の完成度を上げるための『合宿』をすべく、ここにやってきたのだった。

 駅から15分ほど歩いて到着したのは、とある学院関係者の別荘。
 大時代なヨーロッパ風建築の建物で、重厚な風格さえ感じさせるものだった。
 レンガ積みの煙突からは白い煙が上がっていた。おそらく暖炉があるのだろう。
 古めかしいドアチャイムを鳴らすと、初老の女性が出迎えてくれた。夫婦でこの別荘の管理を任されているといい、滞在中の食事の世話などをしてくれるらしい。
 中へと招き入れられるとすぐに、金澤の指示で荷物を置きに2階の寝室へ向かった。
「── さてと、俺はちょっと指慣らしでもしてくるかな」
 二人部屋の同室になった土浦梁太郎が、軽いストレッチをしながらぼそりと呟いた。
「……すぐに昼食だと聞いているが?」
「お前たちは自分の楽器が使えるが、俺はそうもいかないからな。気になるんだよ」
 首を回しながらそう答えてから、土浦はふと口元に笑みを浮かべる。
「……何か?」
「いや……よくお前がこんな時期の『合宿』なんかに参加する気になったな、と思ってさ」
 月森の眉間に皺が寄る。
「……アンサンブルを組んだ以上、完成度を高めるのは演奏者の義務だ」
「ああ悪い、そういう意味じゃなくて……いろいろ忙しいんだろ? 留学の準備とか」
 面倒見のいい彼のことだ、自分のこともそれなりに気にかけているのだろう。
 そう思うと、月森の態度も軟化した。自然と眉間の皺も消える。
「……心配には及ばない。早くから準備をしてきたから」
「そうか……ま、それもそうだな」
 お先に、とひらりと手を振って、土浦は部屋を出て行った。
 ふぅ、と息を吐いて、月森は窓の外を見る。
 空は相変わらずの鈍い灰色で、正午に近いというのに薄暗い。
 確かにこれまでの自分の演奏技術を磨くことだけを考えていた彼なら、おそらくここにはいなかっただろう。
 だが、人の音を聞き、調和させることで生まれる音楽を知ったから、月森はここにいる。
 ここで過ごす時間が彼女への置き土産になればいい── そんなことを思いながら、もう一度厚い雲を見上げた。

 ヴァイオリンケースを手に階下へ降りると、聞こえて来たのはピアノの音。
 まるで、習い始めたばかりの幼い子どものような、拙い音だ。
 指慣らししてくる、と部屋を出た彼の演奏ではないのは明らかである。
 音が漏れてきているらしい部屋の扉をそっと開けると、そこは広いリビングだった。
 到着した時に彼が思った通り、部屋の奥に設えられた暖炉には赤々と火が燃えていた。
 マントルピースの上には絵皿や写真立てが飾られていて、海外の誰かの家に招待されたような不思議な気分になってくる。
 暖炉から離れた場所に置かれたグランドピアノは割と新しい、良い物のようだ。
 そのピアノで音を出していたのは、ヴァイオリニストである日野香穂子だった。
「あー違う違う、そこは3の指」
 彼女の傍らに立って、手元を覗き込みながら言ったのは土浦である。
 同じフレーズをオクターブ下で弾いてみせながら、
「早めに手を縮めて、1の指の上を跨ぐんだ」
「あー、なるほどー」
「縮める時も広げる時も、早めに準備するのが大事なんだよ」
「了解です、先生っ!」
 ふたりは顔を見合わせて、ぷっ、と吹き出し笑い合う。
「── 香穂先輩、お食事の準備ができたそうです」
「ありがと、冬海ちゃん!」
 戸口に佇む月森に気づかないまま、ふたりは声をかけた冬海がいる扉の方へと向かっていった。
 弾く者がいなくなって、ぽつんと取り残されたピアノが、月森にはやけに淋しそうに見えた。

*  *  *  *  *

 曲が完成に近づくのは早かった。
 それぞれが練習を積んで、曲を把握していたおかげだろう。
 手応えと充実感を感じつつ1日目を終えて眠りに就いた月森は、喉の渇きにふと目を覚ました。
 夕食の味つけが、彼にとっては少々濃かったせいかもしれない。
 薄く目を開けるが、部屋の中はうっすらと明るかった。そろそろ夜が明ける時間なのだろう。
 外界と遮断されたような静けさの中、横になったままどうしようかと考えていると、隣のベッドでごそごそと動く気配がした。
 ベッドが軋む音の後、微かな足音が聞こえ、蝶番がきぃと微かに鳴いて廊下の常夜灯の明かりが射し込んできた。
 再び蝶番の鳴く声と共に明かりは細く消えて、カタンと小さな音を立てて扉が閉められた。
 トイレか、もしくは彼もまた喉の渇きを覚えたのかもしれない、と月森は考えた。
 彼が戻ってきたら自分も階下に降りよう、としばらく待ってみたが、土浦はなかなか戻ってこなかった。
 一度気になった喉の渇きは、眠気をどこかへ追いやってしまったらしい。
 月森は意を決してベッドから抜け出した。

 廊下に出ると、どこからかぼそぼそと話す声が聞こえてきた。
 土浦の他にも起き出している人物がいるらしい。
 階段まで辿り着くと、降りたところにある1階の窓に張り付いている人影がふたつ── 土浦と日野である。
 土浦が彼女より少し下がった位置から前に乗り出すようにして窓枠に手をついているせいで、ふたりの頭の高さは同じくらいの位置にあった。
 肩をぴたりと寄せ、顔を寄せ合い、外を見ながらしきりに何か話している。向こうを向いているせいで何をしゃべっているのかまでは聞き取れないが。
「── はぁっ !?」
 突如、土浦が大きな声を上げた。おそらく昼間ならそれほど大きいとは感じないボリュームだったが、静まり返っているせいでやけに大きく響く。
 慌てた日野は彼の口元を片手でがばっと覆い、自分の口元には立てた人差し指を当てた。
 それから一拍置いて、彼女は土浦の腕を掴んで持ち上げながら、その下をくぐった。
 彼の腕と窓枠とで作られた小さなスペースに入りこんでしまった日野の姿は、土浦の体格のいい身体に遮られてほとんど見えなくなる。
 そして、窓枠に置かれていた彼の手が、そっと彼女の身体を包み込んだ。
 月森は足音を立てないように静かに部屋へ引き返した。
 水を飲みにキッチンへ行くには、彼らの後ろを必ず通らねばならないから。
 部屋に戻って、再びベッドに潜り込む。
 もう完全に目が冴えてしまったが、不思議と喉の渇きは消えていた。

*  *  *  *  *

 賑やかなはしゃぎ声に、月森は目を覚ました。
 眠くないと思っていたが、いつの間にか眠ってしまったらしい。
 苦笑しつつも、寝過ごしたかと慌てて時計を見る。
 朝食の時間にはまだ少しあった。
 胸を撫で下ろしながら窓際に立ち、外を見た。
 そこには、昨日とはまったく違う光景が広がっていた。
 真っ青に澄み渡った空。
 そして、一面の銀世界。
 月森は急かされるように着替えを済ませ、外へ向かった。

 建物の裏手に回ると、僅かな人垣の向こうに白い物体が見えた。
「あ〜、おれも一緒に作りたかったな〜」
「せっかく寝てるところを起こすほどのことじゃないでしょう」
 そんな声が聞こえてくる。
「あ、月森くん、おはよう!」
 月森の到着に気づいた日野が、軍手をつけた手を頭上で大きく振った。
 隣には同じ軍手をつけた土浦が腕組みをして立っている。
「……君たちが作ったのか?」
「うん、明け方目が覚めて、外見たら真っ白なんだもん。嬉しくなって作っちゃいました、雪だるま!」
「なんだ? お前も仲間に入れてほしかったクチか?」
 月森には自分の顔が相当険しくなっている自覚があった。
 それを揶揄するように、土浦がにやりと口の端を上げる。
「……もっと演奏家としての自覚を持ってくれないか。雪遊びをするのは君たちの自由だが、手を傷めたらアンサンブルはどうするつもりだ?」
「大丈夫だよ、ちゃんと考えてるから」
 にぱっと笑った日野が軍手を外して、『ね?』とその手を前に突き出した。
「な……?」
 わきわきと握ったり開いたりしている彼女の手は淡いピンク色── 炊事用のゴム手袋である。
「キッチンから拝借してみました〜♪」
 確かに、ゴム手袋なら冷たい水が染みることもなく、手を傷めることもないだろうが──
「こいつ、最初は『かまくら』作ろうって言ってたんだぜ。このくらいの雪で作れるかっつーの」
「だって、一度作ってみたかったんだもん」
 うっすらとしか積もっていない雪は、暖かな日差しで昼には融けるだろう。
 アンサンブルコンサートの先にあるコンミスという大仕事を前にしたプレッシャーから、無理にはしゃいでいるのかと心配していたけれど。
 楽しいと思うものは全力で楽しむ。
 それが、春以降見てきた彼女の、彼女らしさなのかもしれない。
 ふくれっ面の彼女の向こう、むき出しの地面の上に佇む小ぢんまりとした雪だるま。小石を並べて作られた表情は、にっこりと笑っているように見える。
 こうして彼らはいろんなことを共有していくんだろう、とふと思った。
 なんとなく羨ましいと思った。
 雪だるまから青い空へと視線を移す。
 湧き上がってきたほろ苦い思いが、月森の顔に苦笑となって浮かんでいた。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 なぜか月森視点。土×日←月な感じで。
 恋愛面の自覚はまだだけど『君のためにできること』をいつも考えている月森氏、かな。
 月森視点だと、どうしていつも暗い雰囲気になるんでしょうか。
 2fアンコの合宿イベントがどういうシチュエーションなのかはわかりませんが、
 一応2月初旬のつもりで書いております。
 夏合宿の話は長編ですでに書いたし、料理も音楽も書き尽くした感じだし。
 んで冬なら雪だろう、という安直な考えで(汗)
 導入部がそこはかとなくクドいですねぇ……
 いろんな『共同作業』を入れてみたつもりですが、いかがでしょうか?
 きむちさま、リクエストありがとうございました♪

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【2009/07/16 up】