■聞かぬが仏【子猫版】
【いろいろとお騒がせしました『禊』リクエスト大会】
そらみつさま からのリクエスト/新婚夫婦的土日+衛藤(子猫のワルツ設定)
とある金曜日、音楽科3年の教室。
ホームルームを終えて出て行った担任と入れ替わりに、一陣のつむじ風が飛び込んできた。
つむじ風は脇目も振らず一点を目指し、その席に座る人物── 日野香穂子の腕を掴むや否や、入ってきた時と同じように風のように飛び出していく。
もちろん、つむじ風の正体は衛藤桐也である。
スピードを殺さず、ダダダッと階段を駆け上がり、辿り着いたのは屋上。
迎えてくれた真っ青な空は、何もかもがうまくいくと信じるに足るほどに爽やかに晴れ渡っていた。
「ちょ……き、桐也くんっ……ど、どうしたの…っ」
片手を膝につき、肩で息をしている香穂子。
もう片方の華奢な腕は、まるでねじ上げられているように見える。
それが自分が彼女の腕を掴んだままだからということに気づいて、申し訳なさにぱっと手を放した。
香穂子は、わー膝がガクガク、と笑いながら両手で膝頭をさすり、身体を起こして3度深呼吸をする。
「で、何かあったの?」
とニコリ。
衛藤は本題を切り出そうと口を開きかけて愕然とした。
もう彼女に息の乱れは見えないというのに、自分はまだ息が上がったままなのだ。
本気で体力作りしなければと思いつつ、彼女に倣って深呼吸をして。
早くせねば邪魔者がやってこないとも限らない。
まだ息苦しさは消えなかったが、香穂子の正面に立ち、彼女の肩をがしっと掴む。
乾ききった喉を少しでも潤そうと、無理矢理唾を飲み込んで。
「あ…あんたの、好物って、何だ…?」
「………………………………………………………………………………へ?」
相当な待機時間の後に聞こえた気の抜けた声と、きょとんとして首を傾げる彼女の仕草。
やけに情けなさを感じて、衛藤の意識ははブラックアウトしそうになっていた。
* * * * *
実はここ最近、衛藤は燃えていた。
もちろんヴァイオリン── ではなく、料理、である。
どう見ても体育会系のアイツにできて、自分にできないはずはない!
そんな信念のもと、書店や図書館で料理本を読み漁り、母親にも恥を忍んで教えを乞うた。
最初こそ『どういう風の吹き回し?』と怪訝な顔をした母親も今ではすっかり協力的になり、嬉々として手ほどきをしてくれている。
弓を包丁や菜箸に、ヴァイオリンを食材に持ち替えて奮闘する日々。
人間というのは、やってみればなんとかなるもの。元々の要領の良さも手伝って上達は早く、今では簡単なメニューであれば本に頼らずとも作れるようになった。
そして、母親からの太鼓判を貰った衛藤は、計画を実行に移す決意をしたのである。
* * * * *
「だからっ……あんたの好物を教えろって言ってんだよ」
遠のきそうになる意識を必死に繋ぎとめ、彼女の目をじっと見つめながら、もう一度訊ねた。
香穂子は大きな目をぱちくりさせて、しばし考えてから、
「── ケーキとか、甘いものはなんでも」
「そういうんじゃなくて! なんつーか……ご飯系っつーか……嫌いなもんとかはあるのか?」
「んー、偏食はないと思うし、おいしいものならなんでも好きだけど?」
うっし!
衛藤は心の中で訳のわからない気合いを入れて、すぅっと息を吸い込んだ。
「今度の月曜! あんたに俺が作った弁当、食わせてやる!」
至近距離での叫ぶような気迫のこもった宣言に再びきょとんとした香穂子の顔に、徐々にふわりと笑みが広がっていった。
「じゃあ、私のお弁当と交換しようよ♪」
願ってもない申し出だった。
今度こそ彼女の手料理を口にすることができる。
仮に彼女の母が作ったものであっても、彼女が育った日野家の味を知ることができるのだ。
「お、おう……約束、な」
「うん。じゃあ月曜日のお昼、ここでね♪」
このまま顔を合わせているのがどうにも気恥ずかしくて、衛藤は彼女を残して屋上を後にした。
本当は晴れやかに自分を迎えてくれた青空に、勝利の雄叫びを聞かせたい気分だった。
* * * * *
だが、実際はまだ勝負すら始まっていなかった。
間に週末を挟んだのは、2日間あれば献立の立案や準備を余裕を持ってできると考えてのこと。
だが料理初心者の衛藤にとって、彼女の言った『おいしいもの』というのは以外に高いハードルである。
必死にメニューを考えるものの、なかなか決められずに日曜日を迎えていた。
そして彼は今、スーパーの食品売り場にいる。自宅からは少々距離があるが、安くて品揃えがいい、という評判を聞いた母親が気に入って通ってきているらしい。
高校生にもなって母親と一緒に買い物なんて、と思ったものの、メニューが決まらねば買ってきて欲しい食材リストを渡すこともできず。
結局、メニューを考えつつ食材を揃えることにした。どうせなら材料を自分で吟味したい、という気持ちもあった。
「── じゃあ俺、肉見てくるから」
野菜コーナーに母を残し、衛藤は先に精肉コーナーへと向かう。
少し手間がかかっても、凝ったものを作って驚かせてやりたい。
『わー、すごい! これ、桐也くんが作ったの !?』と目を丸くする彼女。
ひと口頬張って、『おいしい!』と満足げに笑ってくれる彼女。
想像するだけで頬が緩んでくる。
人目を感じて慌てて顔を引き締めながら野菜コーナーを通り過ぎ、鮮魚コーナーへと差し掛かった時、
「── ねえねえ、これなんてどうかな?」
ふいに聞こえてきた声に、衛藤は思わず立ちすくんだ。
ドキン、と心臓が大きく跳ね上がる。
精肉コーナーで両手に持った肉のパックを見比べているのは、紛れもなく日野香穂子その人であった。
そして。
「んないい肉じゃなくていいだろ。こっちの切り落としで十分」
彼女の隣で陳列棚の一画を指差しているのは憎き恋敵、土浦梁太郎。
彼の手元のカートには、既に野菜や果物が入ったカゴが乗っている。
どうして彼女たちはこんなところで買い物をしているのだろうか?
「えーっ、いいじゃない、どうせ材料代は私が払うんだし!」
「作るのは俺だ!」
額がくっつきそうなほどに顔を寄せて言い争うふたり。
むぅ、と香穂子が頬を膨らませた。
すかさず梁太郎が彼女の顔を掴むようにして膨らんだ頬をぶしゅっと潰す。
押し出された唇はまるでタコの口だ。
「はぁ……なんで俺があいつに食わせる弁当を作らなきゃいけないんだよ……」
だって、と不明瞭な声の後、香穂子は梁太郎の手首を掴んで顔から引き剥がし、
「桐也くん、梁のお弁当が気に入ったんだよ」
「なんでそうなる……」
「梁に直接『俺にも作って』って頼むのは気が引けたんじゃない?
だから私にお弁当くれるって言ってきたんだよ。
さすがに私もお弁当2つは食べられないもの。
そうすると必然的に『じゃあ私のお弁当どうぞ』ってことになるでしょ。
それが狙いだったに違いないわ。
それほどまでに梁の作ったお弁当が食べたかったのよ!」
梁太郎の手首を握り締めての香穂子の力説に、衛藤はその場に崩れ落ちそうになった。
「どこをどう考えたらそういう結論に達するんだよ……『私のお弁当』っていうなら自分で作れ」
「えーっ、無理無理無理っ! 私がお料理苦手なの知ってるでしょ!」
「……お前、悪魔だな」
「どういう意味よ」
「そのまんまの意味」
「うっわ、むかつくっ!」
梁太郎は呆れたように大きな溜息を吐くと、さっき指差したあたりからパックをひとつ取り上げカゴに放り込み、片手でカートを押してさっさと先へ進んでいく。
彼の手首を掴んだままの香穂子はその手を放すこともなく、そのまま引きずられていった。
「── あら? お肉見に行ったんじゃなかったの?」
立ち尽くしていた衛藤は、後ろから声をかけられ我に返った。
追いついてきた母親である。
「もしかして知り合いでもいたのかしら?」
ギクリ、と背筋が震えた。
「そうね、ここは星奏学院のすぐそばだから──」
母親の声が一気に遠のいた。
そうだったのか。
いつもは電車通学の衛藤だが、今日は母親の運転する車で来たから気づかなかった。
真っ白になってしまった今の彼の頭では、ふたりがここにいる地理的理由は理解できても、ふたりで食料品を買っているという大きな意味はイマイチ理解しきれていない。
だが、思考停止してしまうほどの大きなショックを受けた彼には、このまま買い物を続ける気力などあるはずもなく。
お弁当の材料買わないの?と訝る母親からキーを受け取り、車に閉じこもってしまうことしかできなかったのである。
* * * * *
以後、衛藤がキッチンに立つことはなくなった。
当然ながら、月曜日の昼休みの屋上に彼は姿を見せなかったことを追記しておく。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
イケメン男子に弁当を貢がせる女・香穂子(笑)
だが、超天然香穂子の前にあっさり玉砕な衛藤(爆)
衛藤スキーのみなさま、石投げないでネ。
どうやって衛藤をスーパーに行かせようかと考えたら、こんなことに……
ちょっと無理矢理すぎましたかねぇ(汗)
少々消化不良気味で申し訳ないです。
『聞かぬが仏』は短編とうぃーんシリーズにもございます。
未読の方、よろしければそちらもどうぞ。
そらみつさま、リクエストありがとうございました。
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【2009/07/04 up】