■Especial call 土浦

【ご来訪ありがとう2008 大リクエスト大会】
Saiさま からのリクエスト/初めて愛称で呼んだ時の話

 相手の姿を目で追うようになって。
 お互いの視界の中に相手の姿が入っていることが多くなり。
 いつしか隣にいることが当たり前になってきて。
 そうなると立ち位置だけじゃなく、もっと『特別』なポジションを占めたくなってくる。
 それって、ごく自然な流れだと思わない?

*  *  *  *  *

「── って言うんだぜ。どう思う?」
 ついさっきまで普通に会話していたというのに答えは帰って来ず、土浦梁太郎は訝しげに隣の人物の顔を覗き込んだ。
「……香穂?」
 日曜日の夕方、楽器街に遊びに行った帰りに寄った公園のベンチに並んで座っている日野香穂子は、 自販機で買ったホットココアの缶を両手で握り締めたままじっと地面を見つめていた。
 いろんな意味での激動の一年が過ぎ、春から揃って音楽科へと編入した二人。
 普通科とは全く違うカリキュラムでの学校生活にもようやく慣れた。
 思えばその頃からだ── しばしば彼女が何か考え込んでいることが多くなったのは。
 おい、と肘でちょんとつつく。
 びくっと身体を震わせた香穂子は持っていた缶を取り落としそうになるほど慌てて、
「なっ、何っ !? ど、どうかした !?」
「どうかした、じゃないだろ。人が話してる最中にぼーっとしてるとはいい度胸してるな、香穂」
 あまり深刻な空気になるのもよくないと思い、茶化すような口調で言う。
 するとなぜか彼女の顔は一気に赤く染まっていった。
「……おい、大丈夫か?」
「だだだ大丈夫っ、なんでもないの!」
「何か悩んでんだったら、聞いてやるぜ?」
 と、彼女は驚いた── というよりギクリとしたように目を大きく見開いて、更に赤さを増した顔をぶんぶんと横に振る。
「な、悩みなんてないってばっ」
「そうか…?」
 相談してくれないのは少々寂しい気もするが、彼女は『骨のある女』。見た目も華奢で危なっかしいというのに、大抵の困難は一人で乗り越えられるほど強い。
 傍で見ているほうが心配になってくるほど限界まで頑張りすぎてしまう彼女だから、その限界を見逃さないように注意していよう── すぐに手を差し延べられるように。
 いや、もしかしたら本当に悩んでいるわけではなくて、単に疲れているだけかもしれない。今日一日、楽器街をうろつき回ったし。
 ── そう気を取り直して、すっくと立ち上がる。
「じゃ、そろそろ帰るか」
「……そう、だね」
 差し出した手に乗せられた彼女の手をぐいっと引っ張り、放さぬまま歩き出し。
 そして彼女の家の前。
「じゃあな。今日は疲れたんだろ? ゆっくり休めよ、香穂」
「っ───」
 何か言いたげに、けれど言葉に詰まってしまう香穂子。
 諦めたように大きな息を吐いて、
「…………つ、土浦くん、また明日ね」
「ああ、また明日な」
 軽く振った手をポケットに突っ込み、梁太郎は自宅へと向かう。
 なんとなく気になって振り返ると、ちょうど香穂子が門扉を開けるところだった。
 その横顔がどこかほっとしているように見えたのは気のせいだろうか?

 一度気になってしまうとますます気になってくる。
 それ以上に、彼女の挙動不審は輪をかけて顕著になってきたのである。
 彼女の親友にそれとなく探りを入れてみるが、どうやら彼女が変なのは自分と一緒にいる時だけであるらしいことが梁太郎をヘコませていた。
 彼の中で『彼女への想い』は膨らんでいく一方だというのに、もしかすると彼女の気持ちは冷めてきているのかもしれない。
 何かを言いかけて、ぐっと言葉を飲み込んで。
 まさか『別れ』をどう切り出そうかと悩んでいるのか……?
 ── そんな嫌な想像で更に気分はヘコんでいく。
 どちらにせよはっきりさせておかなければ、お互いの精神衛生上良くないだろう。
 思い立った梁太郎は、帰り道で彼女を公園へ誘ったのである。
 あの日と同じベンチに、同じように並んで座り。
「── 香穂」
 名前を呼んだだけなのに、彼女は小さく肩を震わせる。
 その反応はさすがにショックかもしれない。
「な……なに…?」
「お前……俺に何か言いたいことがあるんじゃないのか?」
「っ !?」
 息を飲む香穂子。
 俯いてしまった彼女の髪の間から見える耳が真っ赤になっていた。
「そ…それは……」
「何を聞かされようが、全部受け止めるさ── そりゃ時間はかかるかもしれないけどな」
 すっかりネガティブ思考になってしまっている梁太郎は『別れ話』を聞く覚悟を決めていた。
 思わず浮かぶのは自嘲の笑み。
「だから……香穂が考えてること、ちゃんと話してくれよ」
 更に深く俯いてしまった香穂子はしばらくの沈黙の後、話す覚悟を決めたのか、肩で大きく息をした。
「つ………土浦くん、私のことを『香穂』って呼ぶでしょ…?」
「あ? ああ……」
 まさか、そう呼ばれることが嫌だったのか? 了承は得たはずなのに。
 背中がゾクリと寒くなり、心臓が早鐘を打ち始めた。
「……呼ばれるたびにちょっと恥ずかしくて…」
「っ !?」
「……でも嬉しくて」
「……え」
 想定していなかった展開に混乱した梁太郎は、ぽかんと口を開けたまま香穂子を見つめることしかできなかった。
 するといきなりガバッと真っ赤な顔を上げた香穂子が、
「名字じゃなくて下の名前で呼ばれるってなんだか『特別』な感じがするじゃない? だから私もって思ったんだけどきっかけが掴めないっていうか。 家で練習した時は言えるのに本人の前だと照れちゃって言えないっていうか──」
 祈るように胸元でぎゅっと両手を握り合わせ、早口で捲くし立てた。
 倒れてしまうのではないかと心配になるほどに彼女の顔は真っ赤だ。
「それって……」
「私も、『特別』な名前……呼びたかったの」
 香穂子は小さな小さな声で呟いて、またも深く俯いて。
 慣れてしまってすっかり忘れていたが、自分が彼女のことを『香穂』と呼びたいと思った頃はあれこれ考えて葛藤したものだ。
 呼び始めてからも、呼ぶたびに口元がくすぐったいような、何とも言えない気恥ずかしさを感じていた。
 そんな思いを今頃彼女が味わっていたとは。
 縁起でもない想像が盛大な取り越し苦労だったことに脱力しつつ、自宅で練習している彼女を想像すれば妙に嬉しかったりして。
 彼女の頭にぽすんと手を乗せて、
「んじゃ、練習しようぜ」
「えっ !?」
「ほら、俺の名前は土浦──」
「……『りょうたろう』」
「よし、言えたな」
 ぽんぽん、と頭を叩いてから手を下ろす。
 すると香穂子はゆっくりと顔を上げた。
 ニッ、と笑ってやると、彼女はほっとしたように微笑んだ。
 それから。
「── 梁太郎」
 噛み締めるように言って、ふわりと笑う香穂子。
 さっきの誘導尋問のような呼び方ではなく、彼女から自発的に呼ばれた自分の名前。
 『特別な名前』というのは呼ぶ方も恥ずかしいが、呼ばれる方も照れ臭いものだと初めて知った梁太郎は、緩んだ口元を隠すように大きな手で覆うのだった。

*  *  *  *  *

「── ねえ、何ニヤニヤしてるの?」
 我に返ると向かい側に座る香穂子が怪訝な眼差しを向けていた。
「……高校の頃のこと思い出してた」
「やあねぇ、思い出し笑い? やらし〜」
「あのな……」
 それからしばらくの間、静かな部屋にはペンの走る音と紙をめくる音だけが聞こえ。
「── なあ、香穂」
「んー?」
「……なんでもない」
「もう、なんなのよぉ……いいから先に招待客のリスト、チェックしちゃってよ。明日式場に提出しなきゃいけないんだから」
「わかってるって」
 くすくす笑っている梁太郎を呆れたようにちらりと一瞥して、
「……変な梁」
 ぽつりと一言。

 いくつもの『特別』を重ねてきた彼らに『究極の特別』が訪れるまで、あとわずか──

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 いわゆる『呼び名変更イベント』です。
 どちらが呼ぶかはお任せ、とのことでしたので、香穂子さんに呼ばせてみました。
 土浦さんはゲーム中でやってますからねぇ。
 勝手に暴走して結婚までこぎつけましたよ、こいつら(笑)
 こんなもんでいかがでしょうか?
 Saiさま、リクエストありがとうございました。

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【2009/01/04 up】