■Destiny 土浦

【ご来訪ありがとう2008 大リクエスト大会】
*nn*さま からのリクエスト/留学中、将来の夢を語り合う土日

 夏休みに突入したある日の昼下がり。
 ピアノの練習を小休止することにした土浦梁太郎は、キッチンでコーヒーメーカーをセットした後コンポにCDを入れ、ソファにドサリと身体を投げ出した。
 スピーカーからは突き抜けるような金管のユニゾンが繰り返され。
 続いて弦パートが地の底から這い上がってくる。
「── ねぇ、これ何て曲?」
 訊いたのは日野香穂子。
 彼女もヴァイオリンの練習をひとまず終えての小休止中である。
 二人用の小さなダイニングテーブルに広げた通販雑誌に付箋を貼る作業に勤しんでいた。
「── ヴェルディの『運命の力』序曲」
「ふーん……なんかおどろおどろしくて悲壮感たっぷりな曲だね」
「そりゃ主要登場人物が死に絶えるっつー悲劇だからな」
「へぇー」
 と、香穂子がクスクスと笑い始めた。
「どうした?」
「もしリリに出逢わなかったら、私はどんな運命を辿ったのかなーなんて考えちゃった」
 彼女の言葉に梁太郎は思わず眉をしかめる。
 三年前、もしも彼女があの小さな羽根付きに出逢っていなければ、彼女がヴァイオリンを手にすることも学内コンクールに出場することもなく、梁太郎との接点もないまま時は過ぎただろう。
 彼女は音楽に深く関わることなく、梁太郎自身も恐らく音楽以外の道に進んでいたに違いない。
 ── そんな運命、考えたくもない。
「……で?」
「うん、確実に私はここにいないんだろうけど─── やっぱりなんにも思い浮かばなかった」
 テーブルの上に肘をつき、組んだ手の上に顎を乗せた彼女は、ふふっ、と笑う。
 梁太郎の眉間の皺が消えた。
「……だよなぁ」
「だよね〜」
 クスクス笑いながら、香穂子は再び雑誌をパラパラとめくり始めた。
 曲は短調から長調へ移って穏やかに流れていく中、低音が不気味に不穏さを煽っていた。
 そしてまた激しい雷雨のような短調へと戻っていく。
 柔らかな音色のクラリネットソロを経て、不穏と安寧が交互に顔を出し。
 最後は髪を振り乱しているかのような激しさで曲は終わる。
 『序曲』という性質からか、どんな悲劇にも一抹の希望が残されていると思わせるような華々しさで。
 それとほぼ同時にコーヒーメーカーが抽出完了のアラームを鳴らし、梁太郎はソファから立ち上がる。
「あ、私カフェオレ〜」
 雑誌から目を上げることなく、手に持った付箋をひらひらと振って注文を出す香穂子。
「……もうちょっと早く言えよ」
 ぶちぶち文句を言いながらも、梁太郎は鍋に牛乳を注いでコンロにかけた。

 砂糖たっぷりの甘いカフェオレの入ったマグを香穂子のいるテーブルへ置き、ブラックコーヒー入りのマグを手に梁太郎はソファへ戻る。
 目の前のローテーブルへコトリとマグを置き、次に流すCDを物色していた彼はふと手を止めた。
「……なぁ香穂」
「んー?」
「……この夏休み中、ほんとに日本に帰らなくてよかったのか?」
「うん」
 即答、である。
 休みに入る前、『帰省、どうする?』と訊いた梁太郎に、彼女は『しないよ』とあっさり答えたのだ。
 『すねかじりの身分なんだから飛行機代がもったいない』というのが理由らしい。『卒業する二年後までは帰らない』とも。
 梁太郎の場合は『彼女が帰るなら帰る、帰らないのなら帰らない』というスタンスである。
 香穂子は両手で包んだ湯気を立てるマグにフーフーと息を吹きかけ、コクリとひと口。
 ちなみに今は冷たいものが恋しくなる季節ではあるのだが、彼らがいるのはエアコンで快適温度に保たれた部屋。熱い飲み物の方が逆にリラックスできる。
 練習に勤しむ彼らにとって、せっかくの防音設備が整った部屋の窓を開けては意味がないのである。
「言ったでしょ? 卒業するまで帰らないって」
「まあ、そうだけどな」
 香穂子は椅子から立ち上がり、マグを手にソファへと移動して梁太郎の隣へと腰を降ろした。
「そりゃあ、家族の顔も見たいし、日本にいる友達とも会いたいよ。でもね──」
 カフェオレをひと口、グビリと飲んで。
 梁太郎もマグに口をつける。
「── それ以外はヴァイオリン弾いてるか、梁と会ってるかのどちらかだと思うのよ。だったら帰らなくても同じじゃない?」
「ぶっ」
 勢いよく散ったコーヒーに、香穂子は『ティッシュティッシュ!』と大慌て。
 渡されたティッシュで口元やテーブルを拭い。
 服にこぼさなかったのは不幸中の幸い。
「お前な……『それ以外』の『それ』の部分がデカいんだろうが」
「そう?」
 不思議そうに小首を傾げる香穂子。
 それでいいのか?と思いつつも、彼女の中での自分が占める領域の大きさが知れる言葉に、こみ上げてくる喜びは隠し切れず。
 ソファを立って丸めたティッシュをゴミ箱へ放り投げ、そのまま洗面所へ向かい顔と手を洗う。
 洗面台から顔を上げれば否が応でも目に入る、鏡の中の自分の顔。
 カッカと熱いとは思っていたが、予想に反することなく滑稽なほど真っ赤に染まっていた。
 付き合いもそこそこ長くなり、あまつさえ同じ部屋に寝起きしているというのに、 時々香穂子が無自覚に放つ言葉はこうして絶大なる威力を持って梁太郎に会心の一撃をぶちかますのである。

 洗面所を出ると、テーブルを拭いたのだろう、香穂子がキッチンで布巾を洗っているところだった。
「あー、悪い」
「ううん」
 梁太郎がソファへ戻ると、洗った手をタオルで拭った香穂子も元の場所へと腰を降ろす。
 突如ひょいっと足を持ち上げて身体の向きを変え、梁太郎に背を向けた。
 彼女の格好はいわゆる『体育座り』である。
 足を抱えたままひょこひょこと向こう側へと移動して、そのままグラリと後ろへ倒れ込む。
 彼女の頭は梁太郎の腿の上へと見事着地した。
 ソファからはみ出した足を向こう側でプラプラと揺らしながら照れ臭そうに笑う彼女の長い髪が、梁太郎の足を覆うように広がっていた。
「……なーに甘えてんだよ」
「えへへ〜なんとなく〜」
 むにっと鼻をつまんでやった手は捕らえられ、彼女の手に包まれたまま彼女の胸元に固定された。
 空いた手で彼女の髪をひと房、指に絡めて遊ばせる。
「── 三年前はさ、自分が海外に、それもヴァイオリンで留学するなんて夢にも思ってなかったんだよね」
「まあ……そうだろうな。俺だってまさか音楽に戻るとは思ってなかったし」
「そういう運命だった、ってこと?」
「……運命かどうかはさておき、今の俺たちは夢に向かってまっしぐら、ってのは確かだな」
 そうだね、と香穂子はくすくす笑う。しばらく止まっていた彼女の足が再びパタパタと動き出した。
「じゃあさ、三年後の私たちってどうしてるかな?」
「そりゃ俺は駆け出し指揮者、お前は駆け出しヴァイオリニストで頑張ってるだろ」
「じゃあ十年後は?」
「お互いキャリア積んで、そこそこ認められる存在になってたいよな。常任就任、客演依頼殺到、とかさ」
「うん、梁ならきっとそうなってるよ。私はね──」
 不意に途切れた言葉に、梁太郎は下を見下ろす。膝の上から見上げてくる彼女はニッと笑って、
「── 私は違う肩書きも持ってたいな」
「肩書き?」
「うん、『お母さん』とか」
 彼女の髪を弄んでいた手がピキンと凍りついたかのようにぴたりと停止する。そんなことにはお構いなく彼女の語りは続いていった。
「だって十年後と言えば29か30だよ? 子供の一人くらいいてもおかしくない歳だし。でね、その子も大きくなったら楽器始めるだろうから、 そしたら家族でホームコンサートするの。ヴァイオリンとピアノがあるから管? 冬海ちゃんみたいにクラリネットもいいよね。 あーでもトリオじゃ寂しいからカルテットかクインテットできるくらい頑張ってみる?」
 パチパチ、と瞬きして訴えかけてくる彼女。
「『頑張ってみる?』と言われてもだな……その……なんだ……」
 彼女の語る『未来の家族像』という一撃は、今回も確実にクリティカルヒットしたらしい。
 頭の中でトレースしてみて、その光景の温かさに思わず頬が緩む。
「そ……その前に音楽家として成功するのが先だろうがっ」
 微妙な話題の中、ほら練習再開!と梁太郎は香穂子の額をぺちりと叩く。もちろん照れ隠し。
「……はーい」
 唇を尖らせて不服そうな香穂子が、ふんっ、と気合いを入れて腹筋で身体を起こす。
 梁太郎の足の上に散っていた彼女の髪は収束しながら離れていった。
 その動きに惹かれるように梁太郎は手を伸ばし、香穂子の身体を後ろから抱き締める。
「……その夢、全部ひっくるめて叶えようぜ」
 腕にぐっと力を込めて、その夢へ至る運命を掴んでみせる、と心の中で誓うのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 『ウィーン留学中で2人でのんびりと過ごしている休日に
  音楽等の話や2人の今後の将来について』
 というリクエスト内容だったんですが……
 ちょっと首を傾げてしまうようなものができてしまいました。
 留学一年目を終えて、土浦さんの誕生日が過ぎた頃……だと20歳だよね。うん、たぶん。
 そんなんでほんとに成功できるのか? この人たち……
 なんか中途半端で申し訳ないです(汗)
 *nn*さま、リクエストありがとうございました。

【NOTICE】
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【2008/12/15 up】