■キスまでの距離 土浦

【ご来訪ありがとう2008 大リクエスト大会】
k@n@さま からのリクエスト/土日の初チュー話

 春、怒涛の学内コンクールの後。
 夏休みを経て、うっかり首を突っ込んだ教会でのコンサートから続くアンサンブル漬けの秋が駆け足のように過ぎ去って。
 大盛況のクリスマスコンサートの達成感に浸る間もなく駆けつけた、小雪舞う冬空の下のイルミネーション煌びやかなツリーの傍。
 そこから私、日野香穂子の人生初となる『男の子とのおつきあい』は始まった──

*  *  *  *  *

 ── といっても、これといって何も変わらないんですけど。
 一緒に練習して、どこかへ遊びに行って……あ、今日はコンサートを控えているわけじゃないから練習はしてないけど。
 楽器街のディスプレイもクリスマスからお正月ものにすっかり変わり──
 …………『変わる』、かぁ…。
 クリスマスの夜、私と土浦くんの関係は変わった── 『友達』から、こ…『恋人』に。
 ……たぶん。
 え、なんでそんな曖昧なのか、って?
 だって、『好きだ』『付き合ってくれ』なんて直接的な言葉はなかったんだもん。
 でも彼の言葉を総合すると……そういうこと、だと思うのよ。
 だけど全然変わらない。
 そう、『距離感』が。
 私だって人からいろいろ聞いて『恋人』のその先に何があるのかくらい知ってるし、だからといって恋人になったからっていきなり豹変されても困るけど……
 ……って、私ってば何考えてんのーっ !?
 私、そういう期待をしちゃってるわけーっ !?

「── ほ? 香穂?」
「……へ?」
 名前を呼ばれたのに気付いてぶんぶん振っていた頭を上げると、そこには心配そうな顔をした土浦くんがいた。
 そうだった……土浦くんと一緒に楽器街に来てたのに、うっかり一人の世界に入っちゃってた…。
「大丈夫か?」
「だだだだだだ大丈夫っ! ぜぜぜ全然平気っ!」
 『あなたのこと考えて一人でドキドキしてました』なんて言えるわけないじゃない!
「そうか? なんか顔赤いぜ? 熱でもあるんじゃ──」
 にゅっと土浦くんの手が伸びてきて、私は咄嗟に首をすくめて後ろに下がってしまった。
 どすんっ!
「きゃっ !?」
 私は下がった拍子に通行人のおじさんに背中から体当たりしてしまったのだ。
 跳ね返されてよろけたところを土浦くんに受け止められ。
 ギロリと睨んでくるおじさんに、土浦くんが私の代わりに『すみません』と頭を下げてくれた。
「ご……ごめんね?」
「いいって。それより── ほら」
 すっと差し出されたのは土浦くんの手。
 最初にこうされたのは休日にたまたま開催してた無料コンサートの帰りのこと。
 会場から吐き出される人の波に、『はぐれそうだから、手でもつないどくか?』なんて。
「あ……うん」
 差し延べられた手に、犬が『お手』をするみたいにぽふんと手を乗せる。
 初めて手を繋いだ時はものすごく照れ臭かったけど、今じゃすっかり慣れたっていうか。
 だって、土浦くんって『人前で女と手なんか繋げるかっ!』っていうタイプだと思ってたんだけど、意外にも違ってたみたいで。 学校の行き帰りだと他の生徒の姿が見えると手を離すけど、休日に隣を歩いている時は大抵手を繋いでいたような……
 ふ、と笑った土浦くんに手を掴まれ、引っ張られて歩き始める。
 と。
 手に感じる圧力がふっと弱まった。
 合掌するみたいに手のひらが合わさったかと思うと、彼の指は私の指の間に──
 ── って、これっていわゆる『恋人つなぎ』ってヤツじゃないんですかっ !?
 頭がくらっとして、ふらりとよろけてしまった私は土浦くんにぶつかりそうになって思わず縋るように手に力を入れてしまった。
 もちろん私の手の中には土浦くんの手があって……
 うわぁっ! ぎゅっと握り返されてしまったっ!
 組み合わさった指の付け根が痛いんだけど……なんだかもう私、心臓バクバクです──

 お昼を食べた後は土浦くんお気に入りのCDショップに行くことになり。
 ぎっしりと棚に詰め込まれたCDの小さな文字で印刷されたタイトルを目で追って。
「── いやに熱心に探してるな」
「うん、欲しいCDがあるんだ」
 棚の中ほどの腰の高さ辺りの段を見るため、屈んで膝に手をつき目を凝らす。
「へぇ……一緒に探してやるよ。タイトルは?」
「えとね、ラヴェルのヴァイオリンソナタなんだけど」
「ふーん……まさかとは思うが、それは練習するから俺に伴奏をしろっていう遠回しな要求か?」
「あははっ、違う違う、単純に聞いてみたいって思っただ── け──」
 顔を横に向けたら── そこに土浦くんの顔のドアップがあった。
 うわっ、近っ !?
 彼は棚の前にしゃがんで、私が見ている段のひとつ下の段を探してくれていたらしい。
 あまりの近さに慌てて私はシャキーンと身体を起こす。
「みみみみ見つからないから今日はいいや! わ、私、ちょっとJ-POP見てくるね!」
「おいちょっと待て! ここに──」
 ……やだもう、私ってば何やってんだろう。絶対変だと思われてるよね…。
 飛び込んだ通路の『演歌コーナー』の棚にぐったりと寄りかかり、私は胸を押さえて肩で大きな息を吐いたのだった。

 楽器街を後にして、最寄の駅に着いた頃にはとっぷりと日が暮れていた。
 冷たさを増した空気に街灯の明かりが街並みにくっきりと陰影を落とし。
 まだ多くの人が行き交っている駅前通りを抜ければ自然と手が繋がれる──もちろん『恋人つなぎ』で。
「── 香穂」
 呼ばれて見上げると、真っ直ぐに前を向いたままの土浦くん。
「……ん?」
「ちょっと……公園に寄っていかないか?」
「……うん」
 いつもなら尽きることなく会話が弾むのに、今日はあまり話せなかった。
 私が変に意識しすぎてるのが原因だってわかってるんだけど。
 私の様子が変だから、彼の方も今日は言葉少なだったんだと思う。
 学校の帰りに時々寄る公園。
 昼間は子供たちの楽しそうな声が響いているけど、暗くなれば不気味なほどにしんと静まり返り。
 僅かな明かりは余計に闇を引き立てている。
 その明かりから少し離れたベンチに並んで座り。
「── これ」
 いきなり土浦くんが差し出したのは、昼間寄ったCDショップの袋だった。
「え…?」
「ラヴェルのヴァイオリンソナタ」
「あ……あったんだ…」
「ああ。見つけて呼んだんだが、お前さっさと行っちまったから……一応買っといた」
「ご…ごめん……あ、お金! いくらだった?」
「お前にやるよ」
「でも!」
「んじゃ、聞き飽きたら返してくれな」
 手首をやんわりと掴まれて手のひらにCDの包みが乗せられる。それをきゅっと胸元に抱えて。
 あまりにも申し訳なくて、なんだか泣きそう……
「うん…ありがと」
 俯いた私の頭の上に、ぽん、と何かが乗っかった。
 確認するまでもなく、土浦くんの手だ。
 彼はコンクールの頃からこうしてよく私の頭を撫でる。
「……寒く、ないか?」
「……へ?」
 唐突な話題転換に思わず顔を上げる。目が合うと彼の視線が泳ぎ始めた。
「い、いや、寒いに決まってるよな、冬なんだし」
「そ、そうだよね。昼間は日差しがあって暖かくても、日が落ちるとやっぱり寒くなるよね、冬なんだし」
「だ、だよな」
 あははは、と二人して妙に乾いた笑い。
 おもむろに頭の上にあった重みが肩へと移動した。
 きゅっと掴まれ、引き寄せられる。
 同時に真剣な彼の顔がぐんと近づいて──
 え、え、え、えーーーっ !? こ、これって── !?
「バカ……目ぇ瞑れよ」
 言われて反射的にギュッと力を込めて目を閉じる。
 ほとんど同時に唇に何かが触れた。
 柔らかいけど冷たいそれは、触れているうちにじんわりと温かくなっていき、熱さすら感じ始めて。
 わ、私……土浦くんと……キス、してる…… !?
 だんだん頭の中が白く染まって、意識が遠のきそう……
 不意に口元の熱が消えて、ばふっと顔が何かに押し付けられた。
「……悪い、今お前の顔、まともに見られねぇ……」
 頭の上から声がして、ぎゅーっと抱き締められて。
 そこで自分の顔が何に押し付けられたのか初めて気付く── 土浦くんの胸、だ。
 ボッと火がついたように顔が熱くなる。
 あまりの息苦しさに無理矢理首を捻って大きく深呼吸。
 そのお陰でほんの少し冷静さを取り戻したのか。
 彼の胸に触れたままの頬と耳に、荒れ狂うような激しい鼓動を感じて。
 ── なーんだ、今日一日ドキドキしてたのは、私だけじゃなかったんだ。
 きっとお互いに、近づきたくて試行錯誤してたんだ。
 はずかしくてくすぐったくて、でも嬉しくて。
 私は改めて彼の胸に顔を埋めた。

 そして、ぐいぐいと腕を引っ張り家まで送ってくれた土浦くんは、宣言通り私の顔を見ることなく、じゃあな、と走り去って行き。
 家の中に入った私はこみ上げてくる想いを抑え切れなくて、バッグから携帯を取り出した。
 メールに打ち込むのはたった一言── 『大好き』。
 間髪入れず送られてきた彼からの返事もたった一言。
 ── 『俺も』、だって。
 前と変わらないと思っていた二人の距離は、たった一日でぐーんと近づいたみたいです♥

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 リクエスト第1弾、土日初ちゅー話をお届けいたしますっ!
 あー、書いてて身体が痒かった。
 うちのサイトにしてはやたら乙女チックな香穂子さん(笑)
 土日、しかも一人称を久々に書いたので、難しかったけど楽しかった〜。
 クリスマスコンサートとお正月の間の設定でございます。
 こんなことがあって、自信をつけた香穂子さんが初詣の電車の中で
 恋愛について語りまくり、土浦さんをドギマギさせるんですよ、たぶん(笑)
 機会があれば土浦サイドも書きたいと思ってます。
 k@n@さま、リクエストありがとうございました。

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【2008/12/11 up】