■Feel
とある有名指揮者所有の別荘のスタッフルーム。
その一室のベッドの上で、土浦梁太郎は大きな溜息を吐いた。
先日、たまたま通りかかった廊下で揉めているらしい生徒二人にうっかり声をかけてしまったために、
優秀な学生を集めて行われるという合宿を偵察する、という企みに巻き込まれてしまったのだ。
いや、『うっかり』というのは間違っている。
揉めていた二人のうち、ひとりは見たことない顔の男子生徒で、もうひとりは土浦の想い人である女子生徒だったからだ。
さらに正確に言えば、どう見ても男子生徒が女子生徒に迫っているように見えたのだから、声をかけないわけにもいかなかったのだ。
そして、『巻き込まれた』というのも間違いだろう。
もしもあの時二人を放っていたらここに自分はおらず、あのニコニコと調子のいい転校生と『彼女』の二人きりでここに来ていたかもしれない。
それだけはなんとしても阻止せねば。
『俺も行く』と渦中に飛び込むより他に、土浦には選択の余地はなかったのである。
首にかけていたタオルをふわりと頭に被り、タオルドライだけで十分な短い髪を乱暴に掻き回した。
しゅるりと抜き取り、ふと目に入ったのは自分の右手。
「………………」
タオルを左手に持ち替えて、右手の手のひらをじっと見つめた。
なんとなく、むずむずとくすぐったいような気がする。
わきわきと握ったり開いたりを繰り返してみる。
それでもなお、くすぐったさは消えなかった。
── 『所構わず口説くな!』
思わずそう言って、彼女を引き寄せた。
必要以上に彼女に接近してくる転校生から引き離したかったから。
そう、引き寄せたのだ、この手で。
触れたのは手っ取り早く『隠す』意味を無意識に込めたのか、彼女の顔だった。
すっぽりと彼女の顔の造りを覆い隠してしまった結果、鼻も口も塞ぐ形になってしまって彼女には苦しい思いをさせてしまったけれど。
── それだっ!
くすぐったさの原因はそれなのだ。
息苦しさをどうにか訴えようとする彼女の唇が触れていた、小指の付け根辺りがやけにムズムズして仕方なかった。
その部分に自分の唇を── なんて行動はあまりに変態じみているという自覚があるので決してやらないけれど。
土浦はゆっくりと指を折り曲げ、拳を握り締めた。
自分の手からなんとか意識を引き剥がすと、次に気になるのは匂いだった。
シャワーを浴びたばかりの自分から匂うシャンプーやボディソープの香り。
そのどちらとも違う香りがふと蘇ってくる。
それは彼女を引き寄せた時に、彼女から香ってきたもの。
自分の腕の中にすっぽりと収まっていた彼女。
あんな風に片手で顔を掴んで、ではなく、両腕でしっかりと抱きしめることができたなら。
胸元に蘇ってくる彼女の頭や華奢な肩の感触を振り払うように、水浴びした犬のようにブンブンと頭を振った。
「はぁ……」
今日一番の大きな溜息を吐いて。
少し考えてから、土浦は外に出ることにした。
頭を冷やしたい、というのもあるが、問題は土浦と入れ替わりにシャワー室に行っている転校生。
某ラッパ吹きの先輩にも引けを取らない社交性ですっかり馴染んでしまった彼が戻ってきたら、根掘り葉掘り聞かれそうな気がしたから。
あの時、『素直じゃないよね〜』と意味ありげに笑っていたし。
ぶらぶらと立派な建物の周りを歩いて行き、ドキリとして足を止めた。
暗がりのベンチにぽつんと座るのは──
「── 日野…?」
驚きに目を見開いた後、憂いを含んだ微苦笑を浮かべた彼女に、土浦は吸い寄せられるように近づいた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
あんた十分変態だよ(笑)
加地の話を除けば土浦まみれだったコミクス11巻をネタにしてみました〜。
ていうか、外での会話は2日目の夜なんだよね。
これ書いた後でコミクス読み直して気付いたんだよ(汗)
書き直すと辻褄合わなくなりそうなので、そのままUPさせていただきます。
【2008/10/28 up/2008/11/08 拍手お礼より移動】