■仲良きことは美しき哉
【お題】恋人達を見守る10題(by 追憶の苑さま)/10 本人達が幸せならいいんだけどね
玄関の扉がガチャリと開き。
ただいま、と聞こえて来たのは数ヶ月ぶりに聞く、大好きな人の声。
パタパタと軽やかにスリッパの足音を響かせて出迎える。
「おかえり、梁」
「ただいま、香穂」
ぴょんと飛びついて抱きしめ合って、再会を喜ぶキスを───
── とかやってんだろうな、あの二人。
あたしはノートの上にころんとシャーペンを転がし、机の縁をぐいっと押して立ち上がった。
自分の部屋を出てリビングに足を踏み入れれば── 案の定。
ま、本人たちが幸せなら、それでいいんだけどね。
「はいはい、ちょっと失礼しますよー」
リビングの入り口で抱き合っている二人の後ろを掠めるように通り抜け、キッチンへ向かう。
冷蔵庫から出したミルクを背の高いグラスになみなみ注ぎ、その場で三分の一ほど一気に飲んでから、同じルートで自分の部屋へ逆戻り。
「はい、お邪魔さまでした。どうぞ続けて?」
「あのな……おかえりくらい言っちゃどうだ?」
扉を閉めようとしたあたしに、後ろから呆れを含んだ声がかかる。
はふぅ、と溜息ひとつ。
リビングに引き返して、途中のソファセットのローテーブルにコトンとグラスを置いて。
『梁』は腕の中の『香穂』を解放して、あたしと向き合った。
スポーツマンのようにがっちりした身体にふわりと抱きつくと、きゅっと抱きしめられた。
その胸に顔を埋めて、大きく息を吸い込む。
あ、ちょっぴり汗臭い。
冬も近い外の空気はずいぶん冷たくなってるはずなのに、汗ばむほど急いで帰ってきたのかな?
あたしは顔を上げて、にっと口角を上げた。
「おかえりなさい── パパ」
「ああ、ただいま、凛々香」
あたしは土浦凛々香。
嬉しそうに目を細めてあたしの頭をぐしぐし撫で回しているのは土浦梁太郎。
その隣でニコニコ笑っているのは土浦香穂子。
そう、実はこの『万年新婚バカップル』な二人はあたしの両親なのだ。
あたしみたいな10代半ばの娘がいるとは思えないほど年齢不詳な二人の異常ともいえる若々しさは、指揮者とヴァイオリニストという人目にさらされる職業のせいだけじゃなく、
いつまでも恋人気分でいるからなのかもしれない。
二人とも一度世界ツアーに出てしまえば数ヶ月は帰ってこない。
だからあたしのこれまでの人生は、三人家族と父子家庭と母子家庭のローテーション(『一人暮らし』がないのは、そうならないようにスケジュール調整してくれていたらしい)。
二人とも旅先からの電話やメールは頻繁にくれるから、いつも存在は身近に感じてはいたけど。
そんな感慨に浸っていると、突然ぎゅっと背中を押さえつけられた。
「やーん、二人ばっかりズルイっ! 私も仲間に入れてっ!」
圧迫の原因は、あたしの背中から抱きついてきたママ。
直後、おいおい、と苦笑したパパがあたしとママを一緒くたに抱きしめてくれたおかげで、サンドイッチ状態のあたしは苦痛の悲鳴を上げたのだった。
* * * * *
恒例の再会の儀式が終わり、あたしは部屋へと戻って勉強机へ。
これでもあたしは花の受験生。
秋の初めに近くの音楽院を卒業したあたしは、両親の母校である日本の高校へ入学すべく準備中なのである。
年末には生まれ育ったウィーンから日本へ引越しする予定。
順番が逆じゃない?、なんて言わないで。パパとママの計算づくのことなんだから。
親の敷いたレールを歩いてるだけじゃない、なんてことも言わないでよね。
あたしは十分満足してるもの。
溢れる音楽の中で育ってきたし、小さい頃から遊びの中で触れさせてもらった楽器たちは今ではあたしの身体の一部みたいなもの。
いろんなところで音楽の勉強をさせてもらえる環境なんて、そうそう手に入らないわよ?
それに── 待ってなさい、リリ!
コンクールだろうがなんだろうが、受けて立ってやろうじゃないのっ!
あたしは目指す星奏学院であたしの入学を待ち構えているであろう羽根つきの小さな生き物を思い浮かべ、メラメラと闘志を燃やす。
パパたちから聞いた理不尽な所業の数々、こっちの音楽院で仲良くなったファータたちに話したらびっくりしてたわよ。
順位はともあれ、あたしの音楽に涙ながらに聞き惚れさせてやるっ!
そのためには何が何でも入試に合格しなくっちゃ。
いつの間にかシャーペンを強く握り締めていた手がちょっぴり痛い。
ふん、と鼻息荒く勉強を再開してしばらく経った頃、コンコンとノックの音。
「晩ご飯の買い物行くけど、凛々香はどうする?」
開いた扉の隙間から顔だけ出したママ。
あたしはちょっと下げた椅子の上で身体を捻って振り返り、
「パパは?」
「一緒」
「じゃあ待ってる」
「えー」
眉尻を下げて唇を尖らせた情けない顔は、我が母ながらなんともチャーミング。
「なによー、夫婦水入らずにしてあげようっていう娘の心遣いじゃないの」
すると、ママの頭の上にひょっこりとパパの顔が現れる。まるで食べかけの串団子みたい。
「ちょっとぶらぶらして、外で食って帰ってもいいけどな」
「行く!」
テキストとノートをパタンと閉じて勢いよく立ち上がったあたしを見て、串団子が顔を見合わせて笑っていた。
* * * * *
支度を済ませ、通りに出たあたしはうっかりスニーカーの紐を踏んでしまった。
あ、音楽家一家なら外食はいつも三ツ星レストラン、なんて思ったでしょ?
あたしたちが行くのはラフな格好で気軽に入れるレストランばかり。
『テーブルマナーを気にしながらじゃ食った気がしない』っていうのがパパの弁。
あたしもそう思うし。
大体、あたしたちはあんまり外食をしない。
あたしのパパ、ああ見えてすっごく料理上手なの。パパが作る和食は絶品なんだから。
ママの作るご飯も美味しいけど、ほとんどパパに教えてもらったんだって。
靴紐を結び直して立ち上がると、少し前を歩くパパとママの後ろ姿。
パパがちょっと肘を出すとママがそこに手を添えて、しっかりエスコート。
あたしはなんだか嬉しくなって、二人に向かって駆け出した。
体当たりするみたいに二人の間に割って入り、びっくりして離れた腕に抱きつくようにして両腕を絡める。
「やーね、びっくりするじゃない」
「えへへっ」
照れ臭くなって笑ってごまかしたら、パパに頭をくしゃっと撫でられた。
「さ、行こ!」
大好きな笑顔に挟まれて、あたしは二人を引っ張って歩き出す。
友達からはよく『あんたの家族、仲良すぎ』って言われるけど。
仲良きことは美しきかな、っていう言葉もあるんでしょ?
いいじゃない、あたしたちがそれで幸せなんだから、ね?
〜おしまい〜
【プチあとがき】
ああ、またなんだかワケわかんないものを書いてしまった……。
『恋人達』じゃないし、見守ってもないし、ただの家族愛?
意外に反響のあった捏造土日娘・凛々香視点でございます。
以前書こうと思っていた長編のプロローグ的なもの。
途中まで書いてたけど、主役が土日じゃないとどうもテンション上がらなくて断念。
◇凛々香とリリ・練習室にて
「土浦凛々香、お前にはヴァイオリンでコンクールに出場してほしいのだ」
「えーっ、あたし、ピアノ専攻なんですけど」
「うぅ、それはわかっている。だが、ヴァイオリンの出場者がどうしても見つからないのだ」
「んー……まあいいけど」
「お前が不安に思う気持ちはわかる。だがヴァイオリンでの参加者がどうしても必要なのだ!」
「わかったってば」
「だが心配するな、我輩には魔法のヴァイオリンがある。それをお前に授けよう!」
「人の話を聞けーっ! ヴァイオリンで出てあげるって言ってるでしょうがっ!」
「ををっ、いいのか !? ならば早速魔法のヴァイオリンを──」
「いりませんっ! あのね、あたしはこの学院にはピアノ専攻で入ったけど、ウィーンの音楽院はヴァイオリン科だったの! ヴァイオリン弾けるの! わかった !?」
そして、ヴァイオリン・ロマンス再び。
(注:実際のものとは異なります。ギャグ風味150%増量)
……そんな話を本気で考えてました。
【2008/09/24 up】